ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

無色の能…『六浦』(その5)

2016-11-07 01:07:30 | 能楽
シテが「行方も知らずなりにけり」とシテ柱で正面に向いてヒラキをすると、その姿は消え失せた体になります。静かに橋掛リを歩んで中入するシテの横顔は、能独特の風情ですね。このとき笛方の流儀により「送り笛」といって笛の独奏でシテが橋掛リを歩むのを彩ってくれることがあります。

シテが中入すると、それ以前に目立たぬように登場して橋掛リ一之松の裏欄干前の「狂言座」に控えていた間狂言がおももむろに立ち上がります。間狂言は六浦の里の里人の役で、舞台に入るとワキを見つけた体で言葉を交わし、ワキに促されるままに称名寺の不思議な楓について 所の言い伝えを物語ります。

間「かやうに候者は。六浦の里に住まひする者にて候。今日は志す日に当たりて候間。称名寺へ参らばやと存ずる。まことに称名寺は。隠れなき御寺にてあるに。近くに住みながら。再々参らぬは。近頃疎かなることにて候。いや、これに見慣れ申さぬお僧の御座候が。何処より何方へ御通りなされ候ひて。この所には休らうて御座候ぞ。
ワキ「これは都方より出でたる僧にて候。御身はこのあたりの人にて渡り候か
間狂言「なかなかこの辺りの者にて候
ワキ「左様に候はば。まず近う御入り候へ。尋ねたき事の候
間狂言「心得申して候。さて御尋ねありたきとは。如何やうなる御用にて候ぞ
ワキ「思ひもひも寄らぬ申し事にて候へども。山々の紅葉。今を盛りと見えて候に。これなる楓に限り。未だ紅葉せず。たゞ夏木立の如くに候。それにつき様々子細ありげに候。ご存知においては語って御聞かせ候へ
間狂言「これは思いも寄らぬ事をお尋ねなされ候ものかな。我らもこの所には住み候へども。左様の事詳しくは存ぜず候さりながら。凡そ承り及びたる通り。物語申さうずるにて候。
ワキ「近頃にて候
間狂言「さる程に。鎌倉の御事は天下に隠れましまさねば申すに及ばず。それにつきこのあたりを六浦の金沢と申して。此処もとにては名所にて候。すなはちこの寺は金沢の称名寺と申し候。またこれなる御庭の楓は隠れもなき名木にて候。その子細は。いにしへ鎌倉の中納言為相の卿と申す御方。この所へ御下りなされ候。その折節はいまだ秋も半ばにて。山々の楓ひと葉も紅葉仕らず。青葉ばかりなるに。これなる御庭の楓は色美しく照り添ひ。今を盛りと紅葉仕りて候間。為相の卿不審に思し召し。御歌を詠ませられたると申す。その御歌は。如何にしてこのひともとに時雨けん。山に先立つ庭のもみぢ葉と。かやうに詠ませられければ。まことに草木心なしとは申せども。また心も御座ありけるか。その次の年より。この木に限りひと葉も紅葉仕らず。年々青葉ばかりにて暮れ申す程に。見る人毎に不審をなさるゝ御事にて候。これと申すもさすがに為相の卿の御歌に詠み給ひて候へば。この後紅葉仕りても詮なしと存じ。年々青葉ばかりにて暮らすと見えたり。それを如何にと申すに。功成り名遂げて身退くはこれ天の道と申す事の候へば。あっぱれこの言葉を以て紅葉致さぬ物にてあらうずると。仰せらるゝ御方も御座候。これは御尤もなる御事にて候。
間狂言「まず我らの承りたるはかくの如くにて候が。ただいまのお尋ね不審に存じ候。
ワキ「懇ろに御物語候ものかな。尋ね申すも余の儀にあらず御身以前に。何処ともなく女性一人来たられ。楓の謂はれ懇ろに語り。まことは楓の精なりと言ひもあへず。そのまゝ姿を見失ふて候よ
間狂言「これは言語道断。不思議なることを仰せ候ものかな。それは疑う所もなく。これなる楓の精にて御座あらうずると存じ候。それを如何にと申すに。草木心なしとは申せども。四季折々の時を違へず。花咲き実成り候へば。心の御座あるは必定にて候。左様に思し召さば。暫くこのところに御逗留なされ。ありがたき御経をも御読誦あって。重ねて奇特をご覧あれかしと存じ候。
ワキ「近頃不思議なる事にて候ほどに。暫く逗留申し。ありがたき御経を読誦し。重ねて奇特を見やうずるにて候
間狂言「御用の事候はば。重ねて仰せ候へ。
ワキ「頼み候べし
間狂言「心得申して候


まことに。。能の定型にきっちりと嵌ったような やりとりですね。

間狂言が物語る内容には考察すべき問題が多く、その能が作られたよりもずっと後世に間狂言の文言だけ新作されたと思われる場合もあり、また能の台本と密接に結びついていて、能の成立時から間狂言の文言や動作が想定されているのが明らかなものもあり。

能『六浦』の間狂言は「語り間」と呼ばれる形式です。間狂言としては最も多用される演出だと思いますが、これは前シテが後シテの化身として登場し、後場でその本性を現す。。いわゆる「複式夢幻能」と呼ばれる能の場合に多く使われる間狂言の形式です。

登場した前シテを里の者と思いこんだワキが、シテの言動や、ふいに消え失せてしまったことに不審を抱いたところに、折良く現れた現実の所の住民が間狂言です。彼と問答をする中で、ワキは前シテがじつは人間ではなく幽霊や草木の精など超自然的な存在であったのだと確信し、その者のためにワキが弔いをする「待謡」などの場面に繋げ、これが後シテの登場の直接の動機となる、という定型的な演出効果があります。観客にとっては後場の前にシテの素性や、かつてシテをめぐって起きた事件を再確認することになり、シテはその間に楽屋で扮装を改めるという作業ができるわけです。

が、この「語り間」が物語る文言はシテ方の演技とはとは直接の関係が深くないため、能が作られた当初の文言からの改変が容易に行われる可能性があります。

語り間の中には、『鵺』や『船橋』などに前シテが語らなかったシテに関する謂われを物語るものがあり、言うなれば前シテが物語った物語をさらに補強して、後シテが登場する前に、その性格を明確にする語り間もあります。こういう場合は能が作られた当初から間狂言の文言も規定されて、それがそのまま伝わっている可能性が高いと思われますが、上掲の『六浦』の語り間の文言のように、前シテが語った内容をほとんどそのまま なぞっている場合もあって、この場合は間狂言の文言の成立と能の成立とが時期を同じくしているのかどうかの判定は難しくなります。

結論から申せば『六浦』の間の文言が能の成立と同時期に作られたものか、後世に改変されたのかは、詞章だけを見てはわからない、ということになってしまいます。さらに言えば、『六浦』という能が持つ独特の舞台設定が、間狂言の文言の成立時期の判定を より難しくしている面もありますが。