ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

無色の能…『六浦』(その10)…番外編「称名寺探訪記」

2016-11-17 00:34:07 | 能楽
前述しましたが ぬえは今年の6月に六浦の称名寺に参詣して参りました。能の舞台となった名所旧跡は関東には数えるほどしかなく、東京からすぐに行けるのは『隅田川』とかこの『六浦』とか。。あ、『放下僧』は『六浦』の近所なんですよね。

そんなわけで ぬえも自分が能を勤める前に その舞台となった場所に行って感慨にふける、なんてことは ほとんどした事がありません。ああ、京都の能楽師がうらやましいなー

で『六浦』の舞台となった称名寺ですが、神奈川県横浜市金沢区金沢町にあります。京急本線の「金沢文庫駅」か金沢シーサイドラインの「海の公園柴口駅」が最寄り駅になりますが、今回は車で行ったので駅からどれくらいの距離かわかんにゃい。。 歩くとちょっとありそうです。
また京急本線も金沢シーサイドラインも乗ったことがほとんどなく、どの駅から連絡してるのかさえ よく知らないです。地理的には「海の公園」「八景島シーパラダイス」の近く。あ、この方がわかりやすいや。

で、その称名寺ですが、住宅街の中にあって最初の山門に到るまでの道がなかなかわかりづらかったです。



ところが いざ山門をくぐってみると、広大な境内。。というよりもう付近がすべて境内で、裏山の一帯は「称名寺市民の森」という公園のようになっていました。



山門には北条家の三ツ鱗の紋あり。

そして第二の山門~仁王門は閉鎖されていたので ぐるっと生け垣に沿って右側に廻り込むと、いきなり本堂の前に出ました。



まずは広大な池にびっくり。能『六浦』に「東の山里の人も通わぬ古寺の庭」というのとはかけ離れた大伽藍です。そして称名寺という寺号といい、どう見ても浄土庭園の池といい、これは浄土系のお寺なのかと思いきや、ここは真言律宗の寺でした(あとでわかったことですが、創建は不明ながら金沢北条氏の持仏堂が起源とされ、その持仏堂は「阿弥陀堂」と呼ばれていたそうですから、やはり当初は浄土系のお寺だったのかも)。



反橋が架けられた広大な池、仁王門から入ればこの反橋を越えてたどりつく壮大な本堂、その傍らには茅葺きの禅宗様の釈迦堂、鐘楼。







そして池の前に問題の青葉の楓がありました。



これ、楓?





そこにたまたま竹箒など清掃の道具を満載したリアカーを引いて作務衣姿のご老人が現れました。たぶんご住職でしょう。そこで ぬえはご老人に楓について尋ねてみました。

うん、ここは能であれば楓の来歴を延々と語り、じつは私は楓の木を守る神、とか言って消え失せるのでしょうが。

「あ、楓? これは市が植えたんだよ。もう何代目かになるけどね」

んー。。大変 風流なお答えでした。。
青葉の楓が紅葉しちゃ困るから、紅葉しない品種を植えたのかなあ。

ところで有名な「金沢文庫」はこの称名寺に隣接してあります。というか称名寺の寺宝を納めているのが金沢文庫で、その起源は古く、鎌倉時代に金沢北条氏が収集した書籍・典籍類を納めた私設文庫に端を発します。鎌倉幕府とともに北条氏が滅びると文庫は称名寺に移管されましたが、多くの収蔵品は徳川家康らの有力者に持ち出されてしまい、現在の金沢文庫は神奈川県立の博物館として昭和初期に復興されたものですが、称名寺所蔵の多くの国宝の典籍類が納められています。


                                   【この項 了】