ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

無色の能…『六浦』(その8)

2016-11-15 01:33:44 | 能楽
シテ「さるにても。東の奥の山里に。 と上扇
地謡「あからさまなる都人の。
 と大左右 あはれも深き言の葉の露の情に引かれつつ。 と正先へ打込 姿をまみえ数々に。 とシテ柱へ行き正面へ向きサシ 言葉を交はす値遇の縁。 とカザシ扇 深き御法を授けつゝ。仏果を得しめ給へや。 と大小前にて左右、ワキへ向き
シテ「更け行く月の。夜遊をなし。 と正へ向き謡い 地謡「色なき袖をや。返さまし。 と扇をたたみながらシテ柱へ行き これより序ノ舞

上端から先の型もごく簡単な型の連続で、型を追うだけなら初心者の稽古の課題曲になるほどですね。もちろん、中年の女性の姿をした草木の精の役を表現するのは簡単なことではないと思いますが。

クリから始まってクセの前半までは四季折々の花々。。梅・桜・卯の花がそれぞれに咲き誇る美しさを讃えていて、言うなれば自然の賛歌のような文言ですが、さてここに至って、シテがワキ僧の前に姿を現した理由がようやく明らかになります。

「あからさま」は「短い時間」「かりそめ」を表す語で、「都人」は為相のこと。たまたまここを訪れた為相と、先立って紅葉した楓の木との偶然の出会いがあり、そこで詠まれた風情のある歌の縁によって、いまここであなた(僧)と出会い、言葉を交わすことが出来た。どうか深遠な仏の教えを授け、成仏の道へ導いてください、というような意味です。

『六浦』の楓の精は、みずから山に先立って紅葉したおかげで為相の感動を呼び、歌を詠まれるという栄誉を得ました。そうしてその後は、それを誇るでもなく老子の教えに従って紅葉を止めてしまいます。が、歌に詠まれた見事な紅葉を毎年見せるのではなくても、明らかに楓は歌を詠まれたことを誇りにしていますね。

そのような、いわば成功者は能のシテとしては珍しく、この世に未練や恨みを残していない分、僧に回向を頼むために現れたり、恨みを晴らしたいという執着を持って登場する動機がない、つまり戯曲として成立しにくい性格のシテであろうと思います。

ところが、能『六浦』は、楓と人間との出会いを、為相だけでなく僧と結びつけたところに作者の新しい視点があると思います。

すなわち、為相の歌によって現世の栄誉を手に入れた楓ではありましたが、和歌の機縁によって、楓はいま再び僧との出会いに遇うことになりました。これは現世の喜びを超えて仏の教えに触れ、成仏という永遠性のある衆生の最大の望みを得ることになったのです。

ここまで読んで、ようやく観客も気づくことになります。なぜワキが日蓮あるいは日蓮宗の僧として描かれているのか。なぜ為相のことを聞いたワキが彼と同じように楓に歌を手向けたのか。。

ワキが後シテに語りかける文言の中にも「草木国土悉皆成仏の。この妙文を疑ひ給はで。なほなほ昔を語り給へ。」と言っている如く、日蓮宗が奉戴する法華経による「山川草木悉皆成仏」の思想によってシテの楓の精は成仏の機会を得るのであり、そのきっかけとなる楓と僧の機縁こそ、為相の歌に触発されてワキが歌を手向けたことによるのです。日蓮宗の僧らしきワキの設定といい、その僧が歌を手向ける破格の展開といい、じつは作者によって綿密に計算された仕掛けだったのです。(注)

そのうえこのときワキが詠んだ歌「古り果つるこの一本の跡を見て。袖の時雨ぞ山に先だつ」(下掛では初句が「朽ち残る」)ですが、これは古歌ではなく『六浦』の作者によって新作された歌。『六浦』の作者は ぬえが最初に想像していた「能に習熟した作者があまり力を入れずに書いた」のではなくて、ある種の強い思い入れをもってこの作品を書いたのだということがここで はっきりすると思います。

となれば、このクセのあとに舞われる序之舞は、僧の読経によって法味を得た楓の精の喜びの舞であり、また同時に僧への報謝の舞なのですね。

う~ん、しかしながら『六浦』では、どうも喜んで軽やかに舞っている、という感じには舞いにくい序之舞ではありますが。。

これは想像にしか過ぎませんが、ぬえはこの序之舞はシテが感謝を表したり、成仏の喜びを表現している、というよりは、法悦の境地にシテが恍惚として遊んでいる、という感じではないのかと思っています。

戯曲のうえでは、ワキに「なほなほ昔を語り給へ」と乞われたシテは、四季折々の自然の中で咲き誇る草花の美しさを愛でながら、さて秋の季節に話が及んだとき、為相の歌が機縁になって いまみずからが仏の教えに触れることを喜び。。さてここで眼目といえるシテの舞を入れるのが能の常套手段であり、その通りに『六浦』も書かれています。

が、仏果を得たシテが「喜びの舞」を軽やかに舞うのは、まず無紅のシテの装束からして無理があります。

そこで能の作者が用意したのが舞に導入する 次のような詞章です。

シテ「更け行く月の。夜遊をなし。地謡「色なき袖をや。返さまし。

もう ぬえはこの一文の美しさに本当に感激しておりまして。。

「色なき袖をや。返さまし」。。「や」が疑問の係助詞で「まし」は特殊な助動詞で、決断できない様子を表して「返すべきだろうか。。」と言っています。

「色なき袖」。。美しい言葉ですね。能の常套とすれば色(紅)が入っていない装束、という意味になるのですが、それは想定しつつ、無色透明な境地にシテが到達し、恐る恐る舞の一歩を踏み出したということをこの文言は暗示させる。。作者の非凡が見事に表現された一句だと思います。

(注)
もっとも、能では「草木国土悉皆成仏」という文言が多用され、これが『法華経』に書かれた釈迦の教えだということが常識のように描かれていますが、実際には『法華経』には「草木国土悉皆成仏」などという記載はありません。一番近いのは「一切衆生 悉有仏性」という、これは『涅槃経』の文言なのだそうですが、「仏性」と「成仏」じゃエライ違いです。どうやら「草木国土悉皆成仏」という言葉は観念として日本で独自に発展していった思想のようですが、そのうえその文言が能では常識のように描かれながら実際には『法華経』にない、となると。。意外に往古の先人たちもすべからく仏典に長じていた、という訳ではないようで、その点 現代人ともそれほど遠くない。。なんだか親近感を持ってしまいました。