ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

無色の能…『六浦』(その7)

2016-11-14 09:15:05 | 能楽
間狂言の物語を聞いて前に会った女は楓の精であることを確信したワキは読経して重ねての奇跡を待ちます。

ワキ/ワキツレ「所から。心に叶ふ称名の。心に叶ふ称名の。御法の声も松風もはや更け過ぐる秋の夜の。月澄み渡る庭の面。寝られんものか面白や。寝られんものか面白や。

ふうむ。。「待謡」と呼ばれる、これまた定型のワキの謡ですが、ぬえは この場面でも大変違和感を感じるのですが。。
その違和感は後シテの存在意義に関わる重要な問題だと思いますし、この違和感は、本当のことを言わせてもらえば、ぬえは前シテの場面からも感じていることで、つまり能全体に通底するものなのです。
が、そのことについては後に詳しく書きたいと思います。まずは舞台経過の続きを。。

「待謡」を受けて笛が鋭く「ヒシギ」と呼ばれる高音を奏でて、大小鼓が「一声」と呼ばれる登場音楽を奏し、やがて後シテが登場し、舞台に入って謡い出します。

後シテの装束は、面は前と同じ「深井」を掛け、無紅の長絹、大口に無紅鬘扇を持つ、という姿。紅葉しない楓の精を中年の女性の姿で現すのが一番の特徴で、すぐさま思うのは同じ趣向の能『芭蕉』との相似ですね。作品の成立の前後はわかりませんが、能『六浦』が『芭蕉』を意識して作られた、あるいはこの二つの能の作者に関係があるのは容易に想像でき、その可能性は高いのではないかと思います。

後シテ「あらありがたの御弔ひやな。妙なる値遇の縁に引かれて。二度此処に来りたり。夢ばし覚まし給ふなよ。 とワキヘ向きヒラキ
ワキ「不思議やな月澄み渡る庭の面に。ありつる女人とおぼしくて。影の如くに見え給ふぞや。草木国土悉皆成仏の。この妙文を疑ひ給はで。なほなほ昔を語り給へ。
シテ「それ四季をりをりの草木。おのれおのれの時を得て。地謡「花葉様々のその姿を。心なしとは誰か言ふ。
 と大小前へ行き正面へ向き

ああ、違和感がありすぎです。

まず、このシテはなぜ登場したのでしょう。そもそも前シテからして、なぜ僧に声を掛けたのか。
自分の身に悩みや恨みのような感情があって、僧に弔いを求めているのでしょうか? いや、この楓の木はかつてひとつ自分だけが山の紅葉に先立って色づいたことを藤原為相に愛でられて歌を詠んでもらう栄誉を得ました。それどころか、そこから達観して老子の言葉に従い、以後紅葉を止めてしまった、という、いうなれば誇りのようなものを持っている木ですから それもないでしょう。

ここで気になるのが「妙なる値遇の縁に引かれて。二度此処に来りたり」というシテの言葉です。前シテも自分が現れた理由を「お僧尊くまします故に。只今現れ来りたり」と まことにあっさりと表現していますが、この場面でも登場の理由としては同じように やや曖昧な印象を持ちますが、それでも「お僧尊くまします故」というよりは「妙なる値遇の縁に引かれて」という後シテの言葉の方が、前シテのそれよりは一歩踏み込んだ表現ではあろうと思います。

ぬえはこの『六浦』という曲の中で脚本の構想がうまく整合されていない箇所があまりに多すぎることに疑問を抱いていることは前述しましたが、一方 能『六浦』の作者が能の台本を書く、あるいは実際の能の上演に精通している人であったろう、とも考えています。この矛盾はどこから来るものなのか。。ぬえが感じる台本の疑問や不整合は大体このあたりまでに出尽くしていると思うので、改めて列挙しておくと。。

・ワキが日蓮、あるいは日蓮宗の僧と考えられるのに訪れた寺が「称名寺」(しかも真言律宗)●
・鎌倉に土地勘がない◆
・まして称名寺の伽藍規模を知らない(前シテが「人も通わぬ古寺」という)◆
・ワキが前シテの素性を尋ねず、シテも化身としての身分を言わない▲
・ワキが紅葉しない楓について事情を聞く前に楓の木に歌を詠む異例の展開●
・地謡がはじめて登場するのは中入の場面で、それもたった4行だけ▲
・待謡でワキが称名(念仏)を行う◆
・待謡でワキが「寝られんものか面白や」と言うのに後シテは「夢ばし覚まし給ふなよ」と言う◆
・ワキに「なほなほ昔を語り給へ」と促された後シテは、楓が紅葉しなくなった自分の昔語りではなく、まったく違う物語を語る●

ぬえは、あるいは、『六浦』の作者には失礼だけれども、この曲は能に習熟した作者があまり力を入れずに作ったのか、とも最初は思ったのですが。。

が、曲を読み進めていくうちに、作者の意図も読めてきました。
たしかに。。鎌倉に土地勘がなく、微妙に能全体の整合性を壊す箇所(上記◆の箇所)もないわけではないですが、能を冗漫にしないために敢えて能の定型の段取りを短縮しようとした箇所(同▲)があり、まして、一見疑問を抱かせる展開ながら、じつは能『六浦』の重要なテーマに欠かせない、計算された場面(同●)もあります。この作者の意図。。能『六浦』のテーマが、これ以後の場面で徐々に明らかになってゆきます。

シテ「まづ青陽の春の始め。地謡「色香妙なる梅が枝の。かつ咲きそめて諸人の。心や春になりぬらん。
シテ「又は桜の花盛り。地謡「たゞ雲とのみ三吉野の。千本の花に若くはなし。
 と扇を開きユウケン扇
地謡「月日経て。移れば変る眺めかな。桜は散りし庭の面に。 と右ウケ 咲きつゞく卯の花の。垣根や雪に紛ふらん。 と正面に向き左足拍子 時うつり夏暮れ秋もなかばになりぬれば。 と角トリ 空定めなき村時雨。 と右上を見上げ 昨日は薄きもみぢ葉も。露時雨もる山は。 と中にてサシ込ヒラキ 下葉残らぬ色とかや。 と左右打込 扇開き

クセからシテは舞い始めますが、これも簡素な型の連続ですね。

注意しなければいけないのは、ワキに促された「昔を語り給へ」という言葉とは違って、このクセ(の前半)では四季折々の草花の盛りを春・夏・秋と順を追って数え上げ、自然の賛歌のような文言であることです。これが「上端」と呼ばれる、長大なクセの文言のちょうど中央あたりに位置して、シテが謡う部分から様相が一変してゆきます。