ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その12)

2009-05-02 00:11:40 | 能楽
月日の経つのは早いもので、今日は師匠に『殺生石』のお稽古をつけて頂きました。概ね。。なんとか叱られることもなく終えることができ (^◇^;)、一応、ではありますが、ぬえの稽古は間違った方向には進んでいなかったようです。それから、じつは ぬえもあちこち工夫した型を取り入れてもいますので、この稽古はその工夫した型について師匠の許可を頂く、という意味合いも含んでおります。結果、師匠からはお許しも出ましたし、それどころか、新たに師匠がかつてこの曲を勤められた際の工夫を教えて頂きました。ううむ、その型は最近何人かの演者が工夫された型であることは知っているのですが。。これからそれを取り入れるとなると。。公演までに間に合うか??

さてクリの間に大小前から舞台の中央に出たシテは下居して、シテと地謡が拍子に合わせずに謡うサシとなり、以下クセが終わるまでシテは何度かワキに向くほかはずっと下居のままです。

(サシ)シテ「然れば好色を事とし。
地謡「容顔美麗なりしかば。帝の叡慮浅からず。
シテ「ある時玉藻の前が智恵をはかり給ふに。一事とゞこほる事なし。
地謡「経論聖教和漢の才。詩歌管絃に至るまで。問ふに答への暗からず。
シテ「心底くもりなければとて。
地謡「玉藻の前とぞ。召されける。

地謡(クセ)「或る時帝は。清涼殿に御出なり。月卿雲客の。堪能なるを召し集め。管絃の御遊ありしに。頃は秋の末。月まだ遅き宵の空の雲の気色すさましく。うちしぐれ吹く風に。御殿の燈消えにけり。雲の上人立ち騒ぎ。松明とくと進むれば。玉藻の前が身より。光を放ちて。清涼殿を照らしければ。光大内に満ちみちて画図の展風萩の戸闇の夜の錦なりしかど。光にかゝやきて。ひとへに月の如くなり。
シテ「帝それよりも。御悩とならせ給ひしかば。
地謡「安倍の泰成占なつて。勘状に申すやう。これはひとへに玉藻の前が所為なりや。王法を傾けんと。化生して来りたり調伏の祭あるべしと。奏すれば忽ちに。叡慮もかはり引きかへて。玉藻化生を本の身に。那須野の草の露と。消えし跡はこれなり。


『殺生石』の詞章は平易な文章なので、とくに解説の必要はないと思いますが、「画図の屏風」「萩の戸」は大内裏・清涼殿にある屏風(おそらく荒海障子のこと)と清涼殿の北側にある小部屋のこと、「安倍の泰成」はどうも詳細がわかりませんが、陰陽師で、安倍晴明の子孫ともいわれているようです。「勘状」は泰成が書いた占いの結果の報告書。

このところ、前述のように居グセなのですが、近来 上羽より立ち上がって舞うやり方があるようですね。そうでなくても「玉藻の前が身より。光を放ちて。清涼殿を照らしければ」のところでユウケン扇をされたおシテも何度か拝見したことがあります。『殺生石』の「白頭」は、後シテが通常の能よりもかなり型が変わるのに対して、前シテは装束からして大きな変化がなく、前後のシテのバランスを考えて、近来様々な工夫がされているのだと思います。ふうむ。。

クセが終わるとようやくワキは不審を感じ、シテに名を問います。

ワキ「かやうに委しく語り給ふ。御身はいかなる人やらん。
シテ「今は何をか包むべき。その古は玉藻の前。今は那須野の殺生右。その石魂にて候なり。
ワキ「実にや余りの悪念は。かへつて善心となるべし。然らば衣鉢を授くべし。同じくは本体を。再び現し給ふべし。
シテ「あら恥かしや我が姿。昼は浅間の夕煙の。


このワキの言葉は、散々悪事を働いてきたシテにとっては意外なものだったでしょう。気がついたのですが、シテがワキに物語る内容も、前シテと後シテとでは違いがあったりするのです。う~ん、どうやらこの曲、かなり緻密な構成に作られているようです。