「選挙戦」ですか?
戦いですか?
政策は何ですか?名前しか宣伝出来ないのですか?
友人のSNSへの投稿。
最初から、ず~~~~っと変な選挙制度だなあと思ってきましたが、圧倒的な知名度があるわけじゃないから、とりあえず可能なことは全部やらなきゃ同じ土俵に上がることは難しい、だから自分でもやってきました。
今の制度の下では、政治を志す者が一般の有権者にダイレクトに自分の心情なり政策を知ってもらうことは、ある意味至難といえるかもしれません。
抜け道らしきものはあるけど、一番一般の有権者と政策論議ができるのは手間暇はかかるけれど、戸別訪問による面談だと思いますがそれは選挙違反。
現制度でも有権者に直接政策を訴える機会、組織がしっかりしていれば組織内の人や関係する人には可能だけれど、限定される。
一般の有権者と個別に政策論議するって、大変な手間とコストがかかるけれど、民主主義は高コストな制度と得心すれば有権者の意識を高める有効な手段足りうる。
でも、為政者側から見ると有権者は誘導しやすいほうが楽、“自民党をぶっ壊す”というコピーで流れを作っちぇるって面白くてしようがないかな?
男は変化に弱い、だから・・・
内田樹編「日本の反知性主義」に、作家の赤坂真理が面白いことを書いていました。
男性の特徴の一つは「変化に弱い」こと、よって「変わりにくい」。
だとすれば、変化に強い女性を組み入れることは、男性のシステム維持にとってもメリットがあるはず。
しかし、「以前の」システムと同じように残さなければ、彼らの存在意義が消えてしまう。
そして、システムを「以前のまま」にしようとする努力は、システム自身をも絞め殺す。と。
新たに挑戦する人たちは、労苦を厭わないけれど、一度そこで味を占めてしまうと変えるのには大きな抵抗があるもの。
赤坂さんご指摘のように、特に男性はそうなんでしょうね。
それが、味を占める回数が増えるにしたがってシステム変更のハードルは上がる。
一般に長老といわれる皆さんの弊害って、まさにそこ?
どうなんだろう?今、システム自身を絞め殺す現象って、あちこちに見えるような気がするのだけれど。