「仏は是れ究竟なり 三大阿僧祇劫に於いて修行果満して、方(まさ)に始めて成道す」 「臨済録」より
人は仏となるを究極とす。生きて死んで生きて死んで生きて死んで、三大阿僧祇劫というとてつもなく長い年月をかけて修行して、修行の成果が満たされて、はじめて道を悟る。清々しく仏道を歩めるようになる。
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その日が今ここに来ている。今日只今に於いて、その三大阿僧祇劫が終わった。その成道を呼吸する。おいしい。
今日がその日だ。夏風が渡る。新緑が映える。水が流れる。雲が生まれる。すべておいしい。
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今日をおいしく呼吸している者は仏である。即身是仏。即心成仏。此処を逃してなるものか。此処を逃してなるものか。今日只今をおいしく呼吸す。
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そこを道元禅師は「面前聴法底」とされた。今此処で仏陀の法を聴いている者が仏である、と。
面前にただいま風を聴き、山を聴き、空を聴き、海を聴く。風という法を聴く。山という法を聴く。空という法を聴く。海という法を聴く。此処を逃さない。