生きている。死ぬべきいのちを死なずに。死なずに、だが、わたしはもう77才。その肉体の、生と死の構成割合はしだいに死の要素が強まっているだろう。両者はいまのところ、なかよく共存しているようだ。
死なずにいる間にするべきことはあるか。つまり死んでからでは遅いという「事柄」はあるか。そりゃあ、あるだろう。いまを喜んでいると言うことだろう。
おまえ、いまをよろこんでいるか? 僕は僕に問う。
僕は傲岸不遜を得意としている。あんまりよろこんでいるふうには見えない。そんなことをよろこぶとへなちょこにおもわれてしまうという恐れがある。
ではそれはそんなにもよろこべないことなのか? よろこばないでも生きておられるのだから、とりたてて意識の表には出してこないでも済んでいるようだ。といって禁止事項でもない。
では、意識の表に、全面に出して来たらどうなるか。試す価値はあるかもしれない。