<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたし流に「浄土和讃」を読み解く。みなさんはみなさんのそれぞれにどうぞ。

2025年02月07日 13時44分08秒 | Weblog

南無阿弥陀仏を称うれば、閻魔法王尊敬(そんぎょう)す。五道の冥官みなともに、夜昼常に守るなり。

「浄土和讃」より

地獄界の関所を守るのは閻魔法王。餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界の五道にもそれぞれ関所があって、そこには通行管理の官吏がいる。その関所の守りを固めている閻魔法王をはじめとして五道の官吏がみな、念仏を唱える者を尊び敬って、夜も昼も無事を願って守り抜いていてくれる。・・・そう書いてある。

だから六道の何処を通ってもいい。阿弥陀仏を念じている者は恐れることがない。

何処を通ってもいい、というのがいいなあ。

みな関所のお役人が行く者を尊び敬って、「わたしたちがあなたをお守りいたします」と言って、力をくれるのだから、力強い。

死後われわれのおおよそは六道を輪廻転生することになっている。それがイヤなら、解脱をするしかない。六道を回る周回運動から逸脱して解放されるのが「解脱」だ。

じゃ、解脱して何処へ行くか。

仏界に行く。浄土往生をする。

そこから次の新しい高次のサイクルにステップアップする。ここからは利他行のサイクルである。

しかも阿弥陀経によれば、われわれは浄土往生が約束されている。

しかもしかも、わたしの力によらないで、阿弥陀仏一人の力によって、そう「せしめられて」往く。徹底して他力なのだ。心配は要らないのだ。

六道輪廻は第一の行程である。往生浄土は第二の行程である。その次には第三の行程が控えている。その次の次には第四、第五の行程が待っていてくれる。われわれの命は何処までも何処までも無限向上を果たしていくのだ。耀いて輝いて行くのだ。

仏典にはいいことばっかりが書いてある。安心しろ安心しろばっかりが書いてある。

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