<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

人が聞きつけたらやばいよなあ。

2022年12月14日 17時54分09秒 | Weblog

歌手都はるみの歌う演歌「大阪しぐれ」に嵌まっている。

詞も曲もいい。

はるみ節も巧みだ。

しびれる。

このところ朝昼晩口ずさんでいる。

♪ 一つや二つじゃないわ古傷は。噂並木の堂島、堂島雀。こんなわたしでいいならあげる、なにもかも。抱いて下さい、ああ、大阪しぐれ。♪

上手い具合に男と女の微妙な世界を切り取ってあるなあ。

これは2番の歌詞。古傷ならお爺さんにだってあるよ、たくさんたくさん。

畑仕事をしながらも口ついて出る。

人が聞きつけたらやばいよなあ。

お爺さんがなまめかしい演歌を歌っているんだから。

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夕食までにまだ時間があるなあ。

2022年12月14日 17時50分32秒 | Weblog

ああ、腹が減ったなあ。まもなく午後6時。外はすっかり暗くなった。

我が家の夕食は7時。まだ小一時間あるなあ。

当座のしのぎにペットボトルの水を飲んでおこう。

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仏像は人間のカタチをしている、と思っていたのだが。

2022年12月14日 17時35分04秒 | Weblog

仏像は人間のカタチをとっている、(人間と同程度か)と思っていたが、逆だった。間違っていた。

人間のわたしを、仏陀と同じカタチにして生かしてくださっていたのだった。

段差を設けず、等しく仏陀として敬っていてくださったのである。わたしたちは此処で仏陀として暮らしているのである。

仏陀だけが受けるべき功徳(みのり)をわたしもこの世で同等同量同質に受けて暮らしていたのである。

仏陀の説法をそのように理解をすれば、泣けるよなあ。

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安心して生きて安心して死んで行くことができる。

2022年12月14日 17時24分00秒 | Weblog

仏が説かれた仏教経典は、「安心して生きて、安心して死んでいいですよ」「恐がることはなんにもありませんよ」ということを説いてあるように、(わたしには)思える。

 

なぜなら此処は、仏陀がいて仏陀が説法される世界なのである。そこに我等が、同じ仏陀として、生きて死んでいるのである。

(衆生本来仏なり。仏陀は一人己だけを仏陀とはされなかった)

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わたしに仏教を説いてもらっていた。わたしがこの世で息災にして生きていけるように。と。

2022年12月14日 16時54分57秒 | Weblog

阿弥陀如来、来化(らいけ)して、息災延命のためにとて、金光明の寿量品、説きおきたまへるみのりなり。

浄土真宗経典 「現世(げんぜ)利益(りやく)和讃」より

さ、この和讃を唱えて元気を出すとしよう。

**

「現世利益(げんぜりやく)」とは、この現世において頂くべき利益がすでに十分に完了しているという受け止めである。この先に我が幸福の頼み事をすることではない。「わたしは、仏さまのお助け、仏さまのご利益に預かって、この世で十分幸せにして暮らしています」という領下である。請求書ではない。領収書である。

「来化(らいけ)」は「化仏(けぶつ)として人間の住むこの地上にお出で下さって」の意だろうか。

「阿弥陀如来が我等の暮らしているこの世にお出でになってくださっている」という信心である。

「息災延命のために」は、「わたしたちがこの世で息災で命長く暮らして行けるように」ということか。

阿弥陀如来が来化して、「金光明の寿量品を説きおきくださっている」というのである。それが「みのり=結果=結実」として結果しているという受け止めである。

「寿量品(じゅりょうほん)」は無量寿経・大無量寿経を指すか。阿弥陀仏の無量寿を称賛する経典のことだろうと推測する。「金光明」は「金色の光明を放つ」の形容詞として、わたしは理解してみた。(このあたり、わたしにはよく分かっていない)

わたしは現世で「みのり=仏のご利益」を頂いて生きているという信心。これこそが現世利益(現世で頂いている仏さまのお助け、お慈悲)なのかもしれない。

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来年は捲土重来を図ろう。

2022年12月14日 16時43分30秒 | Weblog

2紙の読者文芸に投稿している詩の作品も、この1年というものまったく入選から離れている。(毎月合計3篇ずつ投稿している)

そのどれもが、いい作品に仕上がっていないのだろう、きっと。

ここまで徹底して拒否されると、自信喪失患者になってしまう。

自信喪失してしまうといよいよ書けなくなる。

書いても書いてもそれが粗悪に見えてしまう。いよいよ萎縮してしまう。負の連鎖が始まる。

今年はもう終わった。来年は捲土重来をはかろう。

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助走ばかりをして過ごしている。

2022年12月14日 16時36分35秒 | Weblog

詩が書けるための助走をしているのだが、助走ばかりで、肝心の詩の作品が誕生しない。

エンジン全開とならない。

モーターすら回っていない。困ったもの。

いい詩が書けたら、ブログは書かない。

のに、山麓のあたりの周辺外回りだけを回っている。

もう一月くらい1篇の詩すら書けていない。ブランク状態が続く。

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猪が捕まったらしい、友人宅の畑で。

2022年12月14日 16時27分50秒 | Weblog

友人宅の畑を荒らしていた猪が捕まったらしい。捕獲用の鉄製の大きな罠に。50kgほどはありそうに太っている猪らしい。暴れて大声を出しているらしい。

市役所に相談したら,市役所の方と猟師さんがお見えになって、罠を仕掛けてくださったらしい。

市役所にその旨電話で報告したら、しばらくそのままにしておきましょう、とのことだったらしい。(僕は又聞き)

見せしめにするつもりなのかもしれない。

しばらくこれで彼の畑に侵入して荒らす猪がいなくなるのかもしれない。

我が家の畑も数日前に猪の被害に遭った。我が市の市役所に届けたら取り締まってくれるのかなあ?

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Nさんはどうしておられるだろうか?

2022年12月14日 16時16分32秒 | Weblog

村里に住む70歳以上のお爺さんたちは、毎日何をしてすごしておられるのだろうね。

ふふふ、似たり寄ったりだったりして。

10人中7人くらいは、炬燵の番をして過ごしているんだろうなあ、うずくまって、肩を丸めて。

しかし、そうじゃないお爺さんもおられよう。外に出て散歩をしたり体操をしたり、趣味三昧だったり、畑仕事に精出したり、して。

お婆さんは炊事洗濯掃除があるから、じっとしてはいられまい。

(男女同権の世の中になったから、進んでお爺さんがお婆さんを手伝っている世帯もあるのかも)

Nさんはどうだろうなあ?

尺八の練習ばかりしておられるかもしれない。

この頃しばらくお顔を見ない。

 

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餌場の屑米を補給してあげた。

2022年12月14日 16時11分55秒 | Weblog

雀さんは、やはり食欲旺盛だった。

餌場の屑米を食べ尽くしていた。

たっぷり補給をしてやった。

よろこぶだろう。

まだ飛来してこない。

午後4時を過ぎた。ねぐらに帰る時間はもう少し後だろう。

屑米といっても、今年の新米。おいしいはずだ。

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