阿弥陀如来、来化(らいけ)して、息災延命のためにとて、金光明の寿量品、説きおきたまへるみのりなり。
浄土真宗経典 「現世(げんぜ)利益(りやく)和讃」より
*
さ、この和讃を唱えて元気を出すとしよう。
**
「現世利益(げんぜりやく)」とは、この現世において頂くべき利益がすでに十分に完了しているという受け止めである。この先に我が幸福の頼み事をすることではない。「わたしは、仏さまのお助け、仏さまのご利益に預かって、この世で十分幸せにして暮らしています」という領下である。請求書ではない。領収書である。
*
「来化(らいけ)」は「化仏(けぶつ)として人間の住むこの地上にお出で下さって」の意だろうか。
「阿弥陀如来が我等の暮らしているこの世にお出でになってくださっている」という信心である。
「息災延命のために」は、「わたしたちがこの世で息災で命長く暮らして行けるように」ということか。
阿弥陀如来が来化して、「金光明の寿量品を説きおきくださっている」というのである。それが「みのり=結果=結実」として結果しているという受け止めである。
「寿量品(じゅりょうほん)」は無量寿経・大無量寿経を指すか。阿弥陀仏の無量寿を称賛する経典のことだろうと推測する。「金光明」は「金色の光明を放つ」の形容詞として、わたしは理解してみた。(このあたり、わたしにはよく分かっていない)
わたしは現世で「みのり=仏のご利益」を頂いて生きているという信心。これこそが現世利益(現世で頂いている仏さまのお助け、お慈悲)なのかもしれない。