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大威徳世尊、衆生を度さんが為の故に、無量億歳に於いて、而して乃(いま)し成仏することを得、所願已(すで)に具足したまへり。善哉吉無上、世尊は甚だ希有なり。一たび座して十小劫、身体及び手足、静然(じょうねん)として安じて動ぜず、其の心未だ嘗て散乱あらず、究竟して永く寂滅し、無漏の法に安住したまへり。今者(いま)世尊の、安穏に仏道に成じたまうを見て、我等善利を得、大いに歓喜(かんぎ)す。
今仏最上安穏無漏の法を得たまへり。我等及び天・人、これ最大利を得たり。
妙法蓮華経「化城諭品第七」より
2☆
「大威徳世尊」というのは大威徳如来のこと。「我等」とは、その世尊を仰いでいる十六人の弟子たち。
これはその大威徳仏を讃歎賞賛している偈である。
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読んでいるだけで、読者のわたしもこの賞賛の河の流れに合流して行く。いい気持ちだ。ほんとうにいい気持ちだ。最上安穏無漏の法を開陳している仏を想像するだけでいい気持ちだ。わたしの想像なんて、低級暗愚な想像なんだけど、それでもいい気持ちがする。
「善哉吉無上」に勝手に同化す。
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今回人間として生まれて来た。そして妙法蓮華経に出遭った。導かれたのだ。これを喜んでいる。
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もう三十年間ほどもこの経典を読んでいるのだが、それでも理解は甚だ浅い。1ミリほどもない。それでも惹かれている。此処へ来る度に安堵を分けてもらう。
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法華経に出遭えたわたしの一生は、何はさておき、善哉吉無上であった。最大利を頂けたのである。大きな顔をして死んで行けそうな予感すら感じる。
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