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大地に御湿り(これは女房詞)が欲しい。雨よ降ってくれ、雨よ降ってくれ。龍神様、雨を降らしてください。畑の野菜たちの喉がからからに渇いています。龍神様の真言マントラは、「オン メイギャ シャニエイ ソヴァーファー」何度か唱えてみる。ウルトラ俗物のこの老爺が唱えても、どうにもならないか。う~~~ん。
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大地に御湿り(これは女房詞)が欲しい。雨よ降ってくれ、雨よ降ってくれ。龍神様、雨を降らしてください。畑の野菜たちの喉がからからに渇いています。龍神様の真言マントラは、「オン メイギャ シャニエイ ソヴァーファー」何度か唱えてみる。ウルトラ俗物のこの老爺が唱えても、どうにもならないか。う~~~ん。
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その美しい真間娘子の、悲しい結末の、墓所を、はるばるわたしは尋ねて来た。しっかり見届けたので、この旅を終えたら人にもこのことを語り聞かせてあげるとしよう。若くして死を選び取った純潔貞節な娘の、菩提が弔われるように。
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背景にある事件を読み取らなければ、真意が汲み取れない。この作品の前に長歌がある。その後の反歌であるから、やっとそこで推して知ることができる。だから、わたしにとっては、万葉集を味わうにはどうしても解説本が必須である。で、一人に成った時に、それでも、その歌が胸を打つかどうか。
30回噛んで食べると、唾液の効果も加わって、舌上の料理はしだいに甘くなる。おいしくなる。30回ですまないなら、40回50回。
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万葉集を開いている。山部赤人のこの挽歌の作品を読む。
われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名が奥津城処 山部赤人 万葉集巻の三
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遠く葛飾に旅をして、真間娘子(ままのおとめ)の墓を尋ね歩き、そこで感懐を述べた歌である。葛飾は下総の国の郡名。隅田川より東一帯を指す。手児名(てこな)は処女(おとめ)。「な」は親しみを表す。手塩にかけて大事に育てた娘を思わせる。この真間の娘子はあまりにも美しい娘だったので多くの男性から求婚されたが、悲しいことにとうとう入水を計ってしまった。そういう語り伝えが残っていたのだろうか。奥津城処(おくつきどころ)は墓所。
室内で30℃。室外で34℃。5月末でこの気温。外に出て働いておられる人は、どんないか暑いだろう。老爺は室内に籠もって暑さを凌いでいる。ズッキーニの大きな葉っぱが、くったりなっている。これだけの広い面積に太陽を集めていたのでは、そうなるだろう。いま午後2時半を回ったところ。日が落ちるまでにはまだ5時間近くもある。忍耐が維持できるか、心配になってくる。さいわい、風が起こっている。それがときおりそよろと吹いて、葉っぱを揺らす。風よもっと涼しく吹き渡れ。
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昨年、里芋なんかは夏の暑さに耐えきず、枯れてしまったのもありました。耐えきったのも、次の子育てを諦めるしかなかったようです。水遣りを数度したのですが、収獲がほとんでありませんでした。直射日光を避ける帽子でも、傘でも、被せてあげたいくらいです。山に生えている木々は、しかし、畑の野菜たちよりは、うんと頑丈そうです。深く深く根を大地に下ろしているからでしょうね。
昨日5月25日も、昼間に計ったときには、外の気温は32度まで上がっていました。今日は昨日よりももう一段ヒートアップするのだそうです。
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昨年、里芋なんかは夏の暑さに耐えきず、枯れてしまったのもありました。耐えきったのも、次の子育てを諦めるしかなかったようです。水遣りを数度したのですが、収獲がほとんでありませんでした。直射日光を避ける帽子でも、傘でも、被せてあげたいくらいです。山に生えている木々は、しかし、畑の野菜たちよりは、うんと頑丈そうです。深く深く根を大地に下ろしているからでしょうね。
昨日5月25日も、昼間に計ったときには、外の気温は32度まで上がっていました。今日は昨日よりももう一段ヒートアップするのだそうです。
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人間には足がありますから、外の炎熱地獄を避ける方法があります。植物には足がありません。熱帯植物であれば、酷暑にも対応が出来るでしょう。日本も温帯地方ではなくなってきています。棲息する環境がこうも著しい変化を遂げようとは、庭や畑の植物たちも考えていなかったと思います。環境に適応するように、彼らも新しい進化を遂げねばならないでしょう。それも緊急に。
植物の根が足に変化をすると? どういうことになるのでしょう。
猫のAちゃんが、わたしの書斎の窓の下、濡れ縁に来て、にゃあにゃあにゃあにゃあ鳴く。どうした? と聞く。Aちゃんはこちらを見て、また同じように、にゃあにゃあにゃあにゃあと鳴き続ける。わたしは餌をやったためしがないから、わたしに用はないはず。Aちゃんは外猫。家の中には入れない。毛が家中に散乱するのを、わたしが鞏固に嫌うからだ。しばらくそうしていたが、わたしの反応がないのを見て取って、ついに立ち去って行った。
後で分かったことだが、真相が掴めた。鼠を捕まえてきていたのだ。それをこの家の主に見せに来ていたのだった。捕獲された鼠は、畑の畝の間に転がっていた。なあんだ、そういうことだったのか、Aちゃんは狩猟生活の野生に戻っていたのだった。狩猟の腕前を自慢をしていたのである。
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日照りが強くて、暑くて、焼けついて、外に出て野良仕事をしておられません。熱中症になる前に、引き上げて来ました。汗を掻いているので、すぐに着ているものを着替えました。体温が早く下がるように、冷たい井戸水で体を拭き上げました。やっと人心地がつきました。
人間はこうして日陰に移動することが出来ますが、庭や畑の植物たちには足がありませんから、直者日照を避ける手段がありません。その上、雨が降りません。明日から降り出すという天気予報ですが。
「さぶろう爺、おまえ、そんなことが嬉しいか」「はい、こんなことが嬉しいのです」空で雲雀が鳴いている。さぶろう爺がぽかんと口を開けて空を仰いでいる。雲雀の鳴き声にうっとり聞き入っている。雲雀は雲を住処にしている雀である。雲は天空に浮かんでいる。だから空の神々にお仕えをしているのだ。祝詞を上げているのだ。「神様、長閑な空にして頂いて有り難うございます」というお礼言上の祝詞である。さぶろう爺もそれに共感を覚えているからである。地上では麦が熟れた。刈り取りも始まっている。
生きているとこうしていろんな嬉しさを嬉しがることが出来る。これはみな頂く嬉しさばかりである。自分の功績を題材にしなくともすんでいるのである。