昨日のブログに青ヶ島小中学校の生徒数は20名(?)と書きましたが、小学生だけで5名、今年中学生になったのは3名、2年生と3年生 6名なので14名だと判明しました。昭和34年、子どもの数だけで86名、教師13名、およそ100名近く。
本日は予想とおり、あおがしま丸は4日ぶり動きます!!来週は再び下り坂、再来週のゴールデンウイークは比較的穏やかになりそう。
4月16日(土) ○ 就航 快晴
4月17日(日) 日曜運休
4月18日(月) × 欠航
4月19日(火) ○ 就航
4月20日(水) 辰巳
4月21日(木) 芝浦
4月22日(金) × 欠航
―――(ここから予想)―――
4月23日(土) ○ 就航
4月24日(日) 日曜運休
4月25日(月) ○ 就航
4月26日(火) △ 就航 条件付 (次第に風が強くなる見込み)
4月27日(水) × 欠航
4月28日(木) 芝浦
4月29日(金) × 欠航
4月30日(土) ○ 就航
この予想は、あくまでも「予想」ですので、100%その通りになるとは限りません。まもなく、ゴールテンウィーク。青ヶ島へご旅行のお考えの方もいらっしゃるかと思いますが、予想通り完璧ではございません。常に海上状況は変わりますので、就航できるかどうか、当日の朝7時以降、案内ダイヤル:04996-9-0033でご確認ください。(東海汽船のホームページも確認できます。更新が遅いときは、電話で問い合わせたほうが早いかも)
5月に入って、ゴールデンウイークは全国的に晴れて行楽日和になりそうです。ラニーニャ現象で今年の夏は台風の発生が例年より少ない見込み。猛暑になる可能性も出ています。青ヶ島も安定就航、汗が噴き出るほど、島の夏らしさも演出できそう??
(2016年 4月23日 0時00分現在の予想)
4月17日(日) 日曜運休
4月18日(月) × 欠航
4月19日(火) ○ 就航
4月20日(水) 辰巳
4月21日(木) 芝浦
4月22日(金) × 欠航
―――(ここから予想)―――
4月23日(土) ○ 就航
4月24日(日) 日曜運休
4月25日(月) ○ 就航
4月26日(火) △ 就航 条件付 (次第に風が強くなる見込み)
4月27日(水) × 欠航
4月28日(木) 芝浦
4月29日(金) × 欠航
4月30日(土) ○ 就航
この予想は、あくまでも「予想」ですので、100%その通りになるとは限りません。まもなく、ゴールテンウィーク。青ヶ島へご旅行のお考えの方もいらっしゃるかと思いますが、予想通り完璧ではございません。常に海上状況は変わりますので、就航できるかどうか、当日の朝7時以降、案内ダイヤル:04996-9-0033でご確認ください。(東海汽船のホームページも確認できます。更新が遅いときは、電話で問い合わせたほうが早いかも)
5月に入って、ゴールデンウイークは全国的に晴れて行楽日和になりそうです。ラニーニャ現象で今年の夏は台風の発生が例年より少ない見込み。猛暑になる可能性も出ています。青ヶ島も安定就航、汗が噴き出るほど、島の夏らしさも演出できそう??
(2016年 4月23日 0時00分現在の予想)
職場で、ある人。なかなか捨てられない性格なのか・・・書類やモノを段ボールに詰めて、置き場所に困るとあちこちの空いているスペースに放置。再び触れようとしない。そのまま忘れ去られてしまう羽目。マイクロフィルムを保管するスペースは私が管理していて、久しぶりに入室してみたら、モノが散乱していて足の踏み場がない。以前までは、利用者からリクエストがあると、瞬時にさっと取り出せたけど、今はタイトルがモノや段ボールで隠れているので、それを退かさないと出せない状態。かといっても、勝手に処分というわけではない。はぁ・・・リクエストがあるのは、頻繁ではなく、年に数回なので、こんな状態にされても困るということではないのは確かなんですが・・・。
自分も人のことは言えませんが、我が家でも、かなりモノで溢れかえっていて、なかなか捨てられないものばっかり。例えば、本。ほとんどは図書館から借りて返しているけど、図書館では取り揃えていない本は自分で買う。青ヶ島に関するものはマメに買って永年保存。買うたびにモノが溢れかえって、広々とした部屋ではなく、モノで逼迫している状態。少しでも見た目、広くしようと整理していたら・・・
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こんなのが出てきました。一体、何のために入手したんだ!?と思ったら・・・
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これでした。青ヶ島が載っているもの。
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今も「鬼ヶ島」であることは変わりないですが・・・当時の様子を伝える文章はかなり、リアリティー。小笠原諸島はアメリカ領土なので、青ヶ島が実質的に東京都最南端だった時代もありました。
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なんと!!昭和29年。西暦にすると1954年なので、もう62年前の雑誌ですよっ!!そういう変わっている本の収集癖は凄まじい。
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またまた出てきました!!他にもたくさんあるけど、割愛します。ここを青ヶ島郷土資料館にしてもいいくらい昔を知る資料ばっかり。1959年は昭和34年。57年前の三宝港は写真とおり、港はまだできていなくて、船着き場。
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もう1つの、船着き場は北部の人が暮らしている、ヘリポートに近い神子の浦。島の地形は断崖絶壁なので、神子の浦に降りようと思っても絶対に無理。今はもう道なきになっているでしょう。
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青ヶ島における教育の革命を果たした、高津勉先生のお陰で島の子供たちは本好きになりました。1950(昭和25)年赴任なので、その9年後。つじつまは合っています。
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昭和34年当時。小中学校の生徒数83名。先生13名、全島民の人口364名。
↓(57年後)
平成28年4月、小中学校の生徒数20名(?)全島民の人口158名(4月1日現在)
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昔の男の子は坊主ばかりでした。うちの父も小学生時代は、こんな格好によく似ています。昭和の男の子は坊主、女の子はオカッパが定番のようです。集合写真を見ていると、どれもおんなじヘアスタイル。
自分も人のことは言えませんが、我が家でも、かなりモノで溢れかえっていて、なかなか捨てられないものばっかり。例えば、本。ほとんどは図書館から借りて返しているけど、図書館では取り揃えていない本は自分で買う。青ヶ島に関するものはマメに買って永年保存。買うたびにモノが溢れかえって、広々とした部屋ではなく、モノで逼迫している状態。少しでも見た目、広くしようと整理していたら・・・
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こんなのが出てきました。一体、何のために入手したんだ!?と思ったら・・・
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これでした。青ヶ島が載っているもの。
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今も「鬼ヶ島」であることは変わりないですが・・・当時の様子を伝える文章はかなり、リアリティー。小笠原諸島はアメリカ領土なので、青ヶ島が実質的に東京都最南端だった時代もありました。
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なんと!!昭和29年。西暦にすると1954年なので、もう62年前の雑誌ですよっ!!そういう変わっている本の収集癖は凄まじい。
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またまた出てきました!!他にもたくさんあるけど、割愛します。ここを青ヶ島郷土資料館にしてもいいくらい昔を知る資料ばっかり。1959年は昭和34年。57年前の三宝港は写真とおり、港はまだできていなくて、船着き場。
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もう1つの、船着き場は北部の人が暮らしている、ヘリポートに近い神子の浦。島の地形は断崖絶壁なので、神子の浦に降りようと思っても絶対に無理。今はもう道なきになっているでしょう。
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青ヶ島における教育の革命を果たした、高津勉先生のお陰で島の子供たちは本好きになりました。1950(昭和25)年赴任なので、その9年後。つじつまは合っています。
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昭和34年当時。小中学校の生徒数83名。先生13名、全島民の人口364名。
↓(57年後)
平成28年4月、小中学校の生徒数20名(?)全島民の人口158名(4月1日現在)
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昔の男の子は坊主ばかりでした。うちの父も小学生時代は、こんな格好によく似ています。昭和の男の子は坊主、女の子はオカッパが定番のようです。集合写真を見ていると、どれもおんなじヘアスタイル。