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2018年11月2日の奥多摩湖

2018-11-12 00:00:00 | 奥多摩&檜原

 青梅駅全景。

 外覧は今時風にきれいに塗られていますが、かなり昔からあったもの。初めて青梅に行った、平成の初めころでも同じ建物。調べてみたら・・・
 1894(明治27)年11月19日開業。

 すいません、他のブログに載っていたものを拝借。青梅鉄道公園内の展示物を撮影したものです。
 開業30周年記念の1924(大正13)年、鉄道院ではなく、私鉄の青梅電気鉄道本社ビルとして2代目駅舎建立。戦時買収により、国有化。実際は、青梅電気鉄道はまだ解散しておらず、買収路線復帰運動の際に受け皿会社として活動を再開した。しかし、路線は再び同社の手には戻らず、それでも清算会社として暫く存続した後、1995(平成7)年に解散。青梅傘や、陶芸品を取り扱う地元の物産品などを販売する地下街もあったそうです。国鉄からJRに変わっても、駅舎の所有者は青梅電気鉄道なので、勝手に取り壊したり建て替えたりすることはできなかったかも知れない。
 昭和の第2次世界大戦を迎えても、空襲で破壊されるのも免れ・・・・その後ずーっと建て替えることはなく現在に至っています。94年経っても同じ駅舎が使われており、内装は自動改札機にみどりの窓口。すっかり近代的な設備に変わりました。94年前にタイムスリップすると、どんな雰囲気だったのか気になるところ。

 今度は奥多摩湖へ。11月2日はまだまだ紅葉の世界ではなかったようです。

 1936(昭和11)年、東京都のみずがめとなるように人造湖の小河内貯水池建設のため、旧小河内村と山梨県丹波山村及び小菅村の945世帯約6千人が強制的に移転させられました。丹波山村や小菅村は奥多摩湖から少し離れた地域なんですが、工事が始まると道路も遮断されるからでしょうか。そして旧小河内村は、ダムが完成した、1957(昭和32)年、その大部分が水没しました。湖底では、当時の家屋がまだ残っているかも知れません・・・。

 ヘリポート。

 右側の建物は、水没する前の街並みや風景、旧小河内村の歴史などの展示物が見られます。
 こう書いているうちに、群馬県の吾妻線、川原湯温泉駅のことが気になり、調べてみました。この周辺は八ッ場ダム水没地域になるため、2014(平成26)年に線路を別ルートに移転。旧線がまだ動いているうちに来訪。あれからもう4年。今でもまだ水没はしておらず、八ッ場ダムが完成するのは2年後の2020(新元号2)年。旧駅舎の建物も、ダムの水底に沈むかと思ったら、現駅舎のとなりに復元する計画が出ています。

 今度は奥多摩駅方面へ戻ります。

 ここが市街地。郵便局、東京都最西端のコンビニ。

 奥多摩駅前。雲と雲の切れ目から太陽の光が反射。少し珍しい風景。
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