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お墓参りの旅に弟の車で出かけたのは9日の朝でした。
先ず、父母の眠るお寺へ...、墓前に参り、私と同い年で
3年前に亡くなった従兄弟のお墓にも花を手向け、
久里浜のフェリー乗り場にむけて走りました。
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千葉県金谷までの乗船時間は35分、天気
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波も穏やかでほとんど揺れることなく着きました。
途中、大型船と交差するような場面では船内放送で、
水先案内艇に先導されてくる様子などを説明していました。
海岸線をくねくねとドライブしたり、新鮮な地魚のにぎりを
楽しんで、野島崎灯台に昇り、足を震わせながら外房の波や
景色をしばし眺めたりしながら弟の知人の宿に向かいました。
次の日は父の実家のお墓参りに大多喜まで車は走ります。
大多喜は大多喜城が山上に眺められ、城下町を睥睨しています。
その城主、本多忠勝、その夫人、次男、本多忠朝のお墓は
父の実家の菩提寺の良玄寺の一番奥に祀られています。。
本多忠勝の墓と対峙するようにあり、古い墓石がたくさん建って
いるのが歴史を語っています。
私は暫く振りの祖先のお墓参りでしたが、町おこしが盛んに
行われているらしく、町並み、案内板、街灯などが
城下町らしい設えになっていて、町のあちこちには黒塗りの
ベンチが置かれ、訪れる人の憩いの場所として提供されていました。
先回来たときとはうって変った雰囲気になっていて、
月日の移り変わりが良いほうに変っていたのはうれしいことでした。
6月最後の日曜日に父の七回忌法要があるので皆んなが集まった席で
様子を伝えたいと、デジカメでパチパチと撮ってきました。
父の実家は母親が亡くなったときに町に寄贈していて、
公園になっていましたが、今回訪れましたら、
歴史を語る案内板が建ち、町おこしの一環として、歴史的要素を
取り込んだ公園となっていました。そばを流れる川で遊んだ
あのころをしばし思い起こす時間でした。
戦争中、兄を学童疎開に出すのが忍びなかった母は
父が出征した後、家族でこの場所にあった父の実家に身を寄せて
いましたので、私にもいろいろな思い出のある場所です。
弟がお墓参りに行ってくるよって言い出さなければ、
私はこの場所に立っていることはなかったでしょう。
<一緒に行くわ>って連れて来てもらって本当によかった!!
そして以前よりずっときれいに整備された父の生れ育った
大多喜をみることができて、心が安らいでいる私です。
今日からまた、普段の毎日に戻りました。
でも、どこかに今回のお墓参りで感じたことが
いきていけばよいのですが...。
素敵な時間をお過ごしのご様子。
日記を読みながら、
その場面を想像していました。
海・山・川・公園・いにしえを彷彿とさせる街並み・菩提寺・・・・。
心にある安堵感が伝わってきましたよ。
いい度をなさいましたね。
お墓参りの帰り道は気分がいい、
爽やかで気持ちのよいものですね。
母の実家のお墓と 父、養父母の眠るお墓は
市内にあり、
お墓参りが出来ますが、
遠くでいつかいつか!と思いつつ・・・・
穏やかな気持ちになりますね。
大多喜城の山下に静かに眠るお父様もお喜びの事でしょう 合掌
ちょっと不謹慎ですが…
房総半島の海岸線と緑豊かな山あいのドライブは、癒しの旅になったことでしょう
久里浜-金谷間の船旅とはいい考えでしたね、アクアラインを使ったのかと思っていました。
房総半島も首都圏から近くなりました、高速道路が延び、アクアラインも安くなって、観光客が増えたそうです。
紅葉の頃(11月)もう一度お出掛け下さい。
私のドライブコースです、他にも良い所いっぱいの千葉です。
そうなんです。
思っていてもなかなかチャンスがなかったのですが、
弟に連れていってもらいました。
お墓参りは私は大好きですね。その上、
幼いときの思い出が次から次へと思い浮かぶのが
不思議におもえるほどでした。
おもいがけない良い旅をすることができました。
同じ頃にお墓参りでしたね。
父は次男でしたので、こちらにお墓がありますが、
本当は大多喜にしたかったかもしれませんが、
母の実家のお墓の近くで、お参りしやすくを
考えてくれました。
疎開なんて言葉なんてご存知ないでしょうね。
父の実家のあった場所が大多喜で、父は次男でしたので
こちらに自分のお墓を作りました。
私たちがお参りしやすいようにとの考えだったからと
今は思っています。
今は本当に深山これ新緑!!で入りくんだ海岸線との
コントラストも楽しく、本当によい思い出の旅でした。
疎開しているときに祖母が話してくれた多くの教えが
今は懐かしく私の生活にしみこんでいます。
ときどき、訪れてみたいです。
秋がよいのですね。