ここのところ小学生が来る時間がだんだん遅くなって来ています。高学年の子の場合、部活だとか委員会など、学校行事が主な理由となります。最初は“おかさん”も遅れるたびに「今日はどうしたの?」と声を掛けていたのですが、最近はそれもご無沙汰です。
そんなおり、いつも定時に来る子までが遅くなったりするようになってしまいました。「これはいかん。時間にルーズになっちゃった。」と思い、昨日久々に子ども達を前に説教を垂れてしまいました。
「時間を守ること。それは、約束の大元。何かを何人かでやろうとしたら、必ず“いつやろう”ということで、待ち合わせ時間の設定が必要になります。」「遊びの約束にだって時間はつき物」、それを守らないと、世の中うまく回っていかないよ。「やむを得ない事情がある場合を抜きにして、各自の勝手な理由で時間に大幅に遅れるのは禁物。そして、あらかじめわかっていて大幅に遅れる場合は連絡をする。ということを再度確認しました。
最近の学習時塾の“はやり”は「個別学習」。「各人の出来具合やスケジュールにあわせて運行します。」というのが売り物ですが、出来具合に教え方をあわせるのはもちろんよいことであるが、スケジュールあわせが行き過ぎると単なる甘やかしにしかならないのでは?と思ったりもしています。
そんなおり、いつも定時に来る子までが遅くなったりするようになってしまいました。「これはいかん。時間にルーズになっちゃった。」と思い、昨日久々に子ども達を前に説教を垂れてしまいました。
「時間を守ること。それは、約束の大元。何かを何人かでやろうとしたら、必ず“いつやろう”ということで、待ち合わせ時間の設定が必要になります。」「遊びの約束にだって時間はつき物」、それを守らないと、世の中うまく回っていかないよ。「やむを得ない事情がある場合を抜きにして、各自の勝手な理由で時間に大幅に遅れるのは禁物。そして、あらかじめわかっていて大幅に遅れる場合は連絡をする。ということを再度確認しました。
最近の学習時塾の“はやり”は「個別学習」。「各人の出来具合やスケジュールにあわせて運行します。」というのが売り物ですが、出来具合に教え方をあわせるのはもちろんよいことであるが、スケジュールあわせが行き過ぎると単なる甘やかしにしかならないのでは?と思ったりもしています。