先日、小学3年生の生徒が持っていたコンパスに驚かされてしまいました。針の先が1mmちょっとしかなく、先が少し丸くなっていたのです。
見てすぐ、これは尖った針がついていると危ないからそうしたのだとわかりました。
しかし、その安全性を追求する考え方はよいのですが、そのコンパスの針だと、針の先がうまくノートに固定されずに、まだ手先があまり器用ではない3年生にはうまく円が描けないのです。
さっそく学舎で使用している100円ショップのコンパスを貸してあげました。なんとも間抜けな、馬鹿な話ですよね、『円がうまく描けないように設計されたコンパスなんて。』
これが学舎のコンパスです。真ん中のコンパスは、針のところにカバーがついていて、使用しない時にはカバーをして安全性を高めています。ただこのカバーが意外と円を描くのに邪魔なので、カバーが針を覆えないよう改良(改悪)してしまいました。↑
今日、私の手元に届いた「(危険学から社会を見る)危険不可視社会」畑村洋太郎著の中に「子どもから危険を奪う社会」という章がありました。
そのなかで、著者は、『「危険なものをなくす」という安全対策の考え方は、子どもたちから危険と触れる機会を奪うことになります。これでは子どもたちは、遊びを通じて危険や安全について学ぶことが一切できなくなってしまいます。』・・・(中略)・・・『危険を完全に排除して、子どもたちを無菌状態で育てるのは、未来の大事故の準備をしているようなものです。』と書いています。そのとおりだと私も思います。
他にも、危険だということで、排除されてしまった「遊動円木、回旋塔、箱型ブランコ」など遊具についてや、子どもたちの外遊びについての考察など、おもしろいことがたくさん書かれています。興味のある方はぜひお読みください。