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昭和の「プロレス」の終焉

2009-06-14 18:41:16 | Weblog
 「プロレス」は昭和の娯楽の象徴であったように思う。
テレビの普及に貢献もした。
外国人特にアメリカ人に対して日本人が立ち向かう構図があった。
「力道山」(厳密に言うと日本人ではないか?)が日本を元気づけた。

 その後「ジャイアント馬場」というその当時珍しかった「日本人の大男」がマットを駆け回り、外国人をなぎ倒した。

 「全日本プロレス」「新日本プロレス」など団体が分裂した後、「全日本」の純血を守ろうとした「三沢光晴」が「ノア」を設立。興行が苦戦する中、懸命に「プロレス」を守ろうとした。


 昨日・・・その「三沢光晴」が試合中の事故で亡くなった。
とんでもない話である。とても悲しい事故である。
プロとは言えども「生身」で戦うだけに事故はつきもの。試合中に前兆もあったが、ドクターストップはなかった。

 事故後のフィルムを見たが・・・あれはどうなんだろうか?
「ドクター」はいたのか?救命体制はどうなんだろうか?と思ってしまった。
「プロ」の試合とは言え、事故を予見し体制を取る必要性はとても重要である。

 詳細を聞くと最後のバックドロップが致命傷となったらしいが、その前に「朦朧」とした状態があったという。その時点で「ストップ」かけていれば・・・助かったかもしれない。

 とても残念である。
「昭和のプロレス」はこれで終焉となるだろう。
いろいろな格闘技があるが、万全の体制で取り組み、1つでもこんな悲しい事故をなくしてもらいたいものだ。

  三沢光晴さんのご冥福をお祈りいたします。
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