いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<経産大臣指定伝統的工芸品> 山口 大内塗

2021-08-22 15:19:48 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「大内塗」

 Description / 特徴・産地

 大内塗とは?
 大内塗(おおうちぬり)は、山口県山口市周辺で作られている漆器です。室町時代に山口県で勢力を誇った大内氏のもとで誕生したことから、のちに「大内塗」の名がつけられました。
 大内塗の特徴は、渋みのある深い朱色の地塗りの上に、色漆でハギやススキなどの秋の草を描き、金箔で大内氏の家紋である「大内菱(おおうちびし)」をあしらった優雅な絵模様です。また、大内塗は何度も漆塗りを繰り返すために、丈夫で退色しにくくなっています。
 大内塗は椀や盆なども作られていますが、とりわけ「大内人形(大内雛)」が有名であり、土産品として人気があります。大内氏第9代当主・大内弘世(おおうちひろよ)が、京都から迎えた花嫁をなぐさめるために、京から多くの人形師を呼び寄せ屋敷を人形で飾ったという話にちなんで、大内人形が作られました。大内人形は、丸顔で切れ長の目におちょぼ口の男女一対の人形からなり、夫婦円満の象徴として親しまれています。

 History / 歴史
 大内塗 - 歴史

 大内塗は、14世紀後半の大内弘世の頃、京都にあこがれた大内氏が、都から漆塗り職人を山口に呼び寄せ、漆器を作らせるようになったのが始まりとされています。山口に居をかまえた大内氏は、京の都をまねて町づくりを行い文化を奨励したため、山口に大内文化と呼ばれる京の文化と大陸文化が融合した独特の文化が発達しました。大内文化のもと漆器づくりは栄え、漆器は大内氏にとって中国や朝鮮への重要な輸出品の一つとなります。
 その後、大内氏が滅び大陸との交易は中断され、また江戸時代になって毛利氏が城を萩に移したことにより、高価な漆器づくりは姿を消しました。しかし、明治時代になって毛利家の所蔵品から大内時代の豪華な漆器椀セット「大内椀」が発見され、この大内椀を参考にして大内塗が再興されます。「大内塗」の名称も明治時代から使われるようになったものです。大正時代には大内人形の原形が山口県工業試験場によって作られ、現在の大内塗へと続いています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/ouchinuri/ より

 大内文化の香り今に伝える、大内塗
 室町時代、西国一の大名・大内氏によって山口に花開いた大内文化。大内塗漆器はその遺産として今も愛用されている。山口市の中村民芸社を訪ね、加飾部門を担当する中村功さんに最近の取り組みやこだわりを聞いた。

 
 親子で一貫生産
 山口市大内にある中村民芸社では、下地、塗り、絵付けの全工程を一貫生産している。大内塗を手がけて40年以上になる (じゅん)社長が主に下地を作り、次男の建さんが漆塗り、長男の功さんが蒔絵(まきえ)や絵付けを担当する。功さんは高校卒業後の2年間を石川県の県立輪島漆芸研修所で、その後の5年を蒔絵師の内弟子として学んだ。建さんも5年間、輪島塗師に弟子入りした。功さんは「最初の2年は漆かぶれの日々で辛かった。大内塗を継ぐことは小さいころから見てきたので何の抵抗もなかった。今はただ、日々勉強」と語る。さんの教えは「常に探究心を持って」。他社の作品にも関心を寄せ、得るものを探しているという。

 代表的図柄の「大内文様」
 大内塗の製品は、丸盆や花器、椀、重箱、人形など多種にわたる。「大内朱」と呼ばれる深みのある朱色に、緑黄色の漆で描かれる伝統の秋草柄と、金箔で菱形をあしらった「大内菱」の文様が代表的な図柄だ。大内菱は大内家の家紋をデザインしたもので、優しく繊細な線を表現する秋草柄とともに「家運隆盛」を表すものとされる。
 ベースが黒漆の製品もあれば、松や五重塔などを描いたものもあるが、「よく売れるのは秋草と大内菱の柄の丸盆。大内塗はこれ、と定番を好むお客さんが多い」と功さん。山口市の市花でもある菊の花柄や、「紅殻(べんがら)漆よりやや赤い」という潤み色などには、塗師としてこだわりを持っている。


 弘世の愛妻家ぶりが起源
 売上の大半を占める「大内人形」。おむすびのような形をしたお殿様とお姫様が対になっている。
 大内弘世がその昔、京の三条家から美しい姫を嫁に迎えたが、姫があまりに都を恋しがるので京からたくさんの人形師を呼び寄せ、屋敷中を人形で飾った。弘世の愛妻家ぶりを伝えるこの伝説が、男女一対の大内人形を誕生させるもとになっているといわれる。
 丸顔におちょぼ口、切れ長の目もとは、作者によって微妙に異なる。功さんは「つっけんどんな目の人形は見ていて寂しい。人を和ませる温かみのある表情を描きたい。でも常にこれを描くのが難しい。その日の気分に左右されるし、タッチの差なんですよね」。


 新作続々、試作品も
 近年、大内塗の各店で工夫を凝らした新作人形が登場している。山口県の特産、トラフグをモチーフにした「大内ふぐ」や、竹かごに人形が入った「かご入り人形」、このほか「塗箱人形」「大内こけし」といった製品だ。
 人形は結婚式の引き出物や、各種記念品に使われることも多い。中村民芸社では屏風(びょうぶ)とぼんぼりをセットにした「大内ひな人形」も作った。「端午の節句や七夕にちなんだ製品にも挑戦したい」と意欲満々だ。
山口市が試作展示を目的に大内塗の新たなデザインを一般公募したところ、携帯ストラップやランプシェード、付け爪など245点ものユニークなアイデアが集まった。

 珍しい体験の場
 山口市のふるさと伝承センターに、大内塗体験教室がある。小学生を中心に毎年3千人が訪れる。あらかじめ上塗りの終わった箸(はし)に、「大内菱」を金箔であしらって仕上げる作品づくりが体験できる。
 年間通して漆塗りを教わる「塗り物教室」もあり、こちらは20代から70代までの60人が熱心に学んでいる。中には職人を目指して巣立っていく若者もいるという。三代続く大内塗の職人で、この教室の講師を務める冨田潤二さんは「陶芸教室はよくあるが、漆塗りの教室は珍しい。ぜひ、各地から来ていただきたい」。中村さん親子も「漆器づくりを身近に感じてもらえる貴重な場です」と話している。

 こぼれ話

 漆製品は大陸との貿易品

 大内塗の起源は定かでないが、朝鮮の李朝の文献「李朝実録」(1393~1863年)には室町時代の大内氏の交易の様子が記され、漆製品を重要な輸出品としていたことが分かります。文明17年(1485年)の「大内氏掟書」にも刀の柄や鞘に漆を塗る料金の記録があり、当時の山口で漆工芸が盛んだったことがうかがえます。防府市の毛利博物館にある「大内椀」は当時の作といわれ、紅色の下地に金箔や色漆で四菱形、雲形、枝菊文が施されています。
 天文21年(1552年)の大内氏滅亡とともに対外交易は途絶え、漆工芸も打撃を受けたが、日用品の漆器作りは江戸時代も続きました。明治時代になると伝統工芸として再び脚光を浴び、有力な地場産業に復興しました。

*https://kougeihin.jp/craft/0521/ より


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <経産大臣指定伝統的工芸品... | トップ | <経産大臣指定伝統的工芸品... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経済産業大臣指定伝統的工芸品」カテゴリの最新記事