~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ゴンドラの唄

2008年05月03日 12時37分31秒 | 見る・読む
先日、めでたく(?)後期高齢者の仲間入りを果たした私の父であるが、この父と言えば、私の古い記憶にしかと刻まれているのが「ゴンドラ唄」なのであった。

「ゴンドラの唄」というのをみなさんご存知だろうか?
「♪命短し 恋せよ 乙女 朱き唇 褪せぬ間に~~」というものだ。

父はもともと歌は好きなようで、ほかにも歌声喫茶系のロシア民謡だとかドイツの歌だとか歌っていたのだが、幼い私にもそれらの曲とこの曲のテイストは少し違っているように感じられた。
外国の曲と違って少しマイルドな感じがするのは、今思うといわゆる「四七抜き旋法(ハ長調でいうところのファとシが使われない)」だったからなのかもしれないし、演歌と違って少ししゃれた感じがするのはバルカローレ(舟歌)系の6拍子だったからなのかもしれない。
ともかく、なんだか不思議な歌だった。

その後、この曲は黒澤明監督の『生きる』で歌われていた歌だということを知ったし、私のぼんやりとした記憶の中では、どこかで松井須磨子(大正時代の女優)ともつながっていた。


・・いきなりこれらの記憶を鮮明にする記事が、今朝の朝日新聞(別刷Be)に2ページにわたって掲載されていた。


「ゴンドラの唄」は作詞吉井勇、作曲中山晋平。
今から93年前の1915年(大正4)、帝国劇場で上演された芸術座(主宰:島村抱月、看板女優松井須磨子)による『その前夜』(ツルゲーネフ原作)の劇中歌として、作曲された。(3年後に抱月は病死、須磨子はあとを追って34歳で自殺)

吉井勇によると、作詞の元となったのは森鷗外の訳書「即興詩人」に出てくるベネチアのゴンドラで少年が歌った民謡だそうである。
また、中山晋平は当時28歳。長野の母が亡くなり、帝国劇場での初日を8日後にひかえた(往復の)列車のなかで完成されたのがこの曲らしい。



さて、映画『生きる』は1952年(昭和27年)、つまり帝劇の『その前夜』の約37年後の映画。
雪の降る中、公演のブランコに一人揺られながら満足そうに「ゴンドラの唄」を歌いながら息を引き取る市役所の市民課長・・・・
後世に残る名場面であるが、黒澤監督は主役の志村喬に「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と注文した。志村は医師に聞いたり病人の観察をしたりして、患者そっくりのかすれた声を出したそうだ。撮影に入っての半年間、自分ががん患者であと半年の命だと、自分に言い聞かせ、実際、神経性胃炎になり、頬骨がはっきり見えるほどやせた。撮影に入る直前には移動性の虫垂炎でやつれたが、黒澤監督はやつれを維持するように求めたという。

・・・・監督も、俳優も「鬼」だ・・・


中山晋平は、映画には興味のない人だったらしいのだが、友人に「あんたとそっくりのまじめな性格の主人公が出る映画」と誘われ、『生きる』を見に行った。主人公の歌う「ゴンドラの唄」を聴きながら、泣いていたという。
映画を見た直後に晋平は腹痛を訴え寝込んだ・・・膵臓炎。
28日後に息をひきとった。


・・・復活した自身の唄と引き換えに消えた命、と思えなくもない・・・



「ゴンドラの唄」・・・この記事を読み、私の幼い頃の思い出とともに、それぞれの道の「鬼」であった芸術家たちの厳しい人生をも思う歌となった。