学生でありピアニストであり指揮者でもある、内藤晃さんのインタビュー記事を読んでいて、
ピアノという楽器でハーモニーをつくる際の、タッチによる音程の調整(実際は音色による錯覚なのでしょうけれど)の話に、ほーっと感じ入りました。
和音を弾く際のバランスということは繰り返し繰り返し言われることですが、そのバランスをどうとるかということは、ふつうは経験や感覚によるところが大きい。
でも、おそらく、どうやれば誰にも美しく聴こえるであろうという理論的な拠り所はやはりあるはずなのであって、
なるほど、平均律で調律された現代のピアノで音程的にどこにムリがあるのかということを知り、倍音なども考えて、ひとつひとつの和音についてバランスを吟味していけば、バランスのとり方もおのずとある程度は決まってくるはずなのですよね。
「ドミソ」の和音を弾いたときに、どうしてもミはちょっと変というかキツイ気がしてならないから、なんとなく控えめに弾きたくなったりします(そうでなくても親指・中指・小指で弾くと、中指の音は若干弱くなりがちではありますが)。
「ドミソ」だけならまだしも、8~10音から成る和音を弾くということは、実は、とてもムリなことをやっているわけで、さらに、そのムリなものを響かせようとダンパーペダルなぞを踏んで、さらにムリをヒドイに変えてたりなんかするわけです。
そこで8音なら8音のバランスを考えなければならないのだけれど、その際「メロディーだから」「バスだから」「内声の重要な音だから」ということプラス、そもそも調和にムリのない音なのかということをよく考えなければならないんですよね。
和音はどうかすると公害、いや凶器ともなると思いました。
というわけで、倍音をあらためて調べてみましたが・・・・・
数式はカンベンです・・・(泣)
ピアノという楽器でハーモニーをつくる際の、タッチによる音程の調整(実際は音色による錯覚なのでしょうけれど)の話に、ほーっと感じ入りました。
和音を弾く際のバランスということは繰り返し繰り返し言われることですが、そのバランスをどうとるかということは、ふつうは経験や感覚によるところが大きい。
でも、おそらく、どうやれば誰にも美しく聴こえるであろうという理論的な拠り所はやはりあるはずなのであって、
なるほど、平均律で調律された現代のピアノで音程的にどこにムリがあるのかということを知り、倍音なども考えて、ひとつひとつの和音についてバランスを吟味していけば、バランスのとり方もおのずとある程度は決まってくるはずなのですよね。
「ドミソ」の和音を弾いたときに、どうしてもミはちょっと変というかキツイ気がしてならないから、なんとなく控えめに弾きたくなったりします(そうでなくても親指・中指・小指で弾くと、中指の音は若干弱くなりがちではありますが)。
「ドミソ」だけならまだしも、8~10音から成る和音を弾くということは、実は、とてもムリなことをやっているわけで、さらに、そのムリなものを響かせようとダンパーペダルなぞを踏んで、さらにムリをヒドイに変えてたりなんかするわけです。
そこで8音なら8音のバランスを考えなければならないのだけれど、その際「メロディーだから」「バスだから」「内声の重要な音だから」ということプラス、そもそも調和にムリのない音なのかということをよく考えなければならないんですよね。
和音はどうかすると公害、いや凶器ともなると思いました。
というわけで、倍音をあらためて調べてみましたが・・・・・
数式はカンベンです・・・(泣)