~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

黒鍵が白くなる夢

2010年06月06日 18時25分35秒 | ピアノ
昨夜、夢を見ました。

<うちでピアノを弾いていたところ、だんだんと黒鍵の色が薄くなって白っぽくなっていく~>
というものでした。

ただそれだけでしたが・・・・
もしかすると、そのままだんだん白鍵のほうも黒くなっていったのでしょうか?
そうすると見かけがチェンバロに変わっていく・・ということになりますか。

昨日見たDVDのせいかもしれないですねえ。
もちろん自分の演奏の責任が大きいのですけど、ピアノの方は、ガランとした空間に黒い大きな物体がドカンとあり、そこで殺気漂わせて弾いているという感じが、自分としてはどうも受け入れ難かったです。
チェンバロは(初心者の気安さということもありますけど)、空間も衣装も音もふわっと色彩豊かな感じで、楽しく見ることができました。
たまたま今回見たDVDがそういう内容であったためなのですけど、あらためて、いったい自分はピアノで何をやりたいのかなあ・・・と考えてしまいました。

期間も取り組みかたも違うふたつの楽器を、同じ次元で考えることはできないのですけれど、あきらかに使っている神経や意識が違うような気がします。たとえ同じ曲を弾いたとしても、ピアノで演奏するときとチェンバロとでは全然気持ちの持ちようが違うような・・・・。曲が誕生した時のことに戻ると、ひとつの曲が楽器によってメンタリティーが違ってくるというのはおかしな話なのかもしれませんけど、今の時点では自分は、とても同じ気持ちでは弾けず、興奮と沈静くらい方向が違うことだってあるわけです。
まだこのあたりの整理がつかないので、同時期にふたつの楽器の演奏が重なるというのはかなり難しいことになります。

どういう楽器をやるにしても、やり始めた当初は「技術を向上させて、憧れの曲をそれらくしく弾く」という動機だけでかなり持続するものですけど、ある程度いったところで、「憧れの曲に技術がどうも追いつかない」「まあまあ弾けたはいいが、さらに上手い人が山ほどいる」という現実に直面し始めると、なかなか前に進みにくくなってきます。
そうなるともっと深いモチベーションに支えられないと続けるのが難しい。もともとその道を選択していないアマチュアだと、そこまでの「業の深さ」みたいなものが無いゆえに今に至っている場合も多々あるわけですから、わけのわかんない自問自答が始まるわけです。
でもそんなことは、周りから見れば「趣味なんだから、休めば?やめれば?」というだけの話です。

・・・そこを敢えて進んでいくなにかがあるか・・・なんですね、要は。



DVDでふりかえる

2010年06月05日 17時33分04秒 | ピアノ
友人が撮ってくれたDVDを(勇気をだして?)見てみました。
2月のショパン尽くしのコンサートと、4月末のチェンバロコンサート。

ショパンは自分が弾いた分のみなので、前奏曲の21~24番とチェロソナタの第3&4楽章。
21番時点ですでに音律がちょっとおかしいような気がしましたけど、それはまあおいといて、う~んやっぱり準備不足ですねえ。23番がまあなんとか・・・て感じしますけど、あとはダメです。松本氏にこの前「こういうもの(今弾いているシューマンの曲)が弾けるようになったら、ショパンも弾けるようになるかも・・・・」と言われましたけど、おっしゃることがよ~くわかります。技術的なことは仕方ないとしても、音がまだまだロマン派に届いてないです(汗)。
チェロソナタは第3楽章はゆったりした曲なのでまあ余裕があるとしても、第4楽章は弾くだけでいっぱいいっぱいな感じで(音量も調節できてないし)、ひたすら前にいってて、チェロと一緒に曲を作ってる感じがない(汗)。先生方(ピアノ・チェロ)からも、「ゆとりを持って相手をじっくり聴いて。『合わせる』のじゃダメで、相手がどうしたいかを察して一緒に弾かないと。そのためには音と音の間に余裕がいる」というようなことを、毎度毎度言われているんですけど、どうも進歩しないんですよね。「伴奏、ヘタだ・・」ということがわかってきたのが実はごく最近のことなので、まあこれからだとは思っています。


チェンバロは、師匠といっしょということもあり、また美術館という場所の助けを借りて、それなりに楽しめるDVDでした。
こうして聴いてみると、やっぱり師匠と音が違いますねえ~。音の立ちあがりが違う・・・ということは、音の切り方が違うわけで、自分のアーティキュレーションの入れ方が相当にぬるいのだということが身に沁みました。

・・・・やれやれ・・・・いい勉強になった・・・

DVDはいつも友人が好意で撮ってくれていて、大変ありがたく思っています。
録音することはあっても、自分ではなかなか撮影はしませんから。
演奏中の自分の姿はできれば見たくないわけで、こうして録画で振り返ると、演奏そのもの以外にも、体型から表情からマナーからなにからなにまで直面せねばなりません。
でもそれを、聴いてくださるお客様方には見られているというか、たとえ見たくなくても聴きたくなくてもある意味強要しているわけなので、シロウトと言えども、ある程度は自覚せねばなりません。・・・・自分でも見たくないものを他人に見せるのはいささかしのびない・・・・

ふだんは「あ、スッピン!」で指さされますけど、せめてステージではちゃんとしようっと。・・まずは体型だ(爆)。
もちろん演奏が一番肝心なのは言うまでもないことですが・・・(汗)


暑くなってまいりました

2010年06月05日 00時23分16秒 | 雑感
この前正月だったはずなのに、もう半年経過しつつあります。
驚くほど日が長いし、また暑くなってきました。
総理大臣も変わっちゃいました・・・・・

朝、子ども二人を送り出したあと、(うちにいる場合は)洗濯機を回しながらメールを打ったり、新聞読んだりワイドショーみたりします。どうかすると居眠りしてしまっている場合もあり・・・(汗)。
それから、「弾くか・・」となるわけですが、ピアノ部屋はここのところ除湿かけっぱなしなので、少し涼しい。・・・涼しいはずなんですが、弾いてるうちにどんどん脱いでました。
ピアノの方は少し音の整理がついてきておりまして、そうなると、どうしてだか、ふだんロクにやらない掃除をしたくなる。だんだん仕上げ近くなると、洗面所磨いたり、拭き掃除をしたりというナゾの行動が増えます。
「まあ昼間は一人だからね」と、風呂上りのおばちゃんのような格好で掃除をしていたわけなんですが、そこへなぜかインターフォンが鳴りました。しかも下のエントランスでなく、うちの玄関先。
・・だれであろう?・・・
もし3時過ぎだったら、家族の誰かだと思ってそのカッコのまま出て行ったと思うのですが、時間が早すぎる。「どちらさま?」ときいてみたら「防災器具の点検です」ということでした。ああ、忘れてました。今日なのでした。下着姿で出なくてよかった・・・。

それから2時間くらいの間に、子どもたちも次々に帰ってきて、私も台所のことをしたり、夜のレッスン(チェロの伴奏)にために着替えたり、化粧したりしてました。
こんどは、玄関にダ〇キンのおばちゃんがきたんですけど、人の顔みて「・・・あ・・・」。
「・・・あ、・・化粧・・しとる?」
してますけど、そんなに驚くことですかね?先日は逆に、近所の文房具店で学校関係の知り合いにバッタリ会ったところ「・・あ、スッピン!」と指さされましたが(爆)。


夜は8時からレッスンのはずだったのですけど、先生の都合でほぼ9時開始。
さすがに10時近くなると私電池切れ、仕事の都合で朝3時半起きの友人も同じくで、一箇所二人してありえない音を出してしまい、先生「・・・なんかシェーンベルクみたいなっちゃったね。たまにはいいよ、編曲も(笑)。・・・今日はもうダメかもしれないね(爆)」と。

帰ってから夕食をとりましたが、「今日はもうダメ」みたいなので(笑)、これで寝ます。
・・・・おやすみなさい・・・




ここぞのタイミング

2010年06月03日 23時57分31秒 | 雑感
ここのところ、サックス、チェロと合わせが続いております。
チェロは毎度おなじみ(?)なんですけど、管楽器とは初めて。
弦とはまた間合いが違いますし、しかもクラシックではないので、これで良いんだか悪いだかがよくわからない。う~ん・・・・・

いろんな曲を抱えてはいるのですが、練習過程でそれぞれに「ここは手を抜けない」というタイミングがあります。そこへきたときには他を後回しにしてでも、どーっと集中するわけなんですけど、そこを通りぬけると気分的にも技術的にも多少余裕ができて、音がだいぶ聴けるようになるような気がします。
練習って決して同じペースでは進んでいかないし、自分自身の取り組みのクセみたいなものもあるので、これはもう誰それがやっていたからといって自分もそれでいけるわけではないですよね。取り組んでいる曲の音源を聴く人もいれば、絶対に聴かない人もいる。聴く人でも聴くタイミング(譜読みの前に聴くとか、仕上げの前に聴くとか)もいろいろだろうし、
取り入れ方もそれぞれだと思います。
勉強でもなんでも同じことですね、きっと。


自分のことはまあいいとしてなんですが・・・・・
子どもに目を転ずれば、娘、漢字がヘン(汗)。
読むほうはかなり読むのですけど、書かせると書き順メチャクチャ、形もヲイヲイ。
これではいけないでしょう、とここのところ毎日漢字チェック中です。ここで集中して百マス的スパルタを施すかどうか迷うところ。
ピアノやバイオリンもぬるいことやってまして、コンクールなぞに出る気もなし、出す気もなし。「鉄は熱いうちに打て」といいますけど、温度あがってもこないので打ちようもなし(笑)。
息子の時は、それでもあまり難易度の高くないコンクールに、お友達と「せーの」で出してみたりもしましたが、私、わが子のことになると、カラキシ意気地なしでありまして、コンクールなんか心臓バクバクで、会場内で聴ける状態ではない(殴)。もちろん送り出すときは親のメンツでしゃんとしてますけど、そのあとは生きた気がしない。
こんな思いをするくらいなら自分が出るほうがナンボかまし・・・ということなのでございます。
毎年毎年お子さんをエントリーさせているお母さま方なんかどれだけ大変でいらっしゃることかと思うのですけど、練習過程は別として、本番を聴くのは「そうツラくはない」とおっしゃる方も多いのですよね。うらやましい・・・。


子どもとの関わりも「ここは手を抜けない」というところはたしかにあるのであって、タイミングによっては関わることそのものがよくない方向に行ってしまったりもします。難しいものです。
仕事そのほかで忙しいと、関わる時間が短くなるという問題よりも、「タイミング」を感知するセンサーが鈍ってしまう問題のほうが大きいような気がします。
だからといってべったり張り付いていればいいかというと、それはそれで近視眼的になってしまったり、「いつもこんなもん」と変化を見逃したり、もあり。

・・・・自分のことも家族のことも、ほんとまだまだですが、自分が消耗しては元も子もないので、エネルギーの補給に努めながら、ボチボチいきます。


話題はなぜか・・・

2010年06月02日 00時00分37秒 | 雑感
5月の最後の日に、娘のクラスの茶話会がありました。
ありました・・というとアレですが、私、学級委員ですから主催&司会でございます。
茶話会というのは、うちの場合、学校のとなりの児童館を借りてやるのが恒例になってまして、駄菓子を用意し(以前は、生のお菓子だったのですが、欠席その他で余った場合の処理が面倒なので、いつの頃からか乾き物になっております)、2時間ほど親同士がおしゃべりをいたします。
多いときは20数名集まるのですが、今回は12名。・・・若干さびしい・・・

小学校2年生なので、お母さんたちも若いだろう・・と思っていましたら、これが意外。
「上は大学生です」「高校をかしらに3人います」など続出。第一子であっても「超高齢出産で・・」というわけで、なぜか話題は人間ドック中心。

それぞれが自己紹介ついでに話をするのに、なにか例を出さないと思いつかないであろうと、司会である私が「たとえば、<気になるお店>とか<好きな食べ物>とか<ハマッていること>とかなんでもいいんですよ。6年あたりだと更年期障害とか人間ドックで盛り上がったりもしますけど(笑)」と冗談まじりに言ったところ、これが冗談でなく本筋になってしまいました。

いやあ、みなさん行かれてるんですね、驚きました。
健診&検診すら受けたことのない私には衝撃。だいたいが「主人の職場のヤツが〇円で受けられるので」という感じなんですが、これがまたいろいろ。
「おまかせで行ってみたら、<婦人科>のものはオプションになっていたらしく、肝心のところが受けられなかった」
「おまかせで行ってみたら、最後に<外科>に連れていかれてこれはなんだろう?と思っていたら、いきなりお尻の触診で大ショック」
・・・・・そ、そうなのか・・・・

みな同じ学区なので、病院名もダイレクトに出てきたりなんかするんですけど、こういう場でのクチコミってすごいですよ。
「婦人科なら〇〇」「ドックなら△△」から始まり、ピアノの先生から、はては調律師さんまで名前でてきますから(爆)。
さすがに「おすすめ調律師さん」が出てきたときはびっくりしましたねえ(・・・お名前だけは存じ上げてる方でした)。
逆にこういうところで「あそこは絶対やめたほうがいいよ~」となると、これまたたいした根拠なくても「・・・じゃ敢えていくこともないか・・」となるわけなので、みなさま、地域のおかあさんを敵に回したらいけません。


ま、そういうわけで、アレだ・・・人間ドック・・・