叔母との電話での会話。
「大変な状況なのに、何でも独りでやりながら生活していて偉いね。 精神力が強いからだよ。」
「いいえ、周りの方にお世話になりながら只生きているだけで、何も偉い事なんて無いんですよ。
普通ならもう死んでいるはずですから、、、
食べていけなければ死にますから、、、、
周りの方のお陰で生きられているんですよ。。。。
ただ、このままだと、何も成さないで人生を終える事が残念です。 何も成してないですから。。」
と言うと。
「大変な状況でも自分ひとりで生活する事は大変な事なんだから、そうやって独りで生活する事を見せるだけでも大切な事をしているんだよ。」 と、言われた。
-------------------------
全く動けなくなり、トイレへ行くのも辛くベットの上で過ごし、尿瓶まで使っていたのに、良くここまで回復したと思う。
しかし、子供の頃の虐待に較べれば大したことは無いのだ。
4歳児が母親に裸にされ棒切れで思いっきり打たれる時の感情を知る人は少ないだろう。
胸が張り裂ける感覚、
真っ暗な空間に独り取り残される感覚。
普通の人間が感じる事が無いであろう感覚を、、、、 よく耐えた。
そしてその感情を背負いながら、その後の人生も。
我ながら、、、 よく生きた、、よく耐えた。
長距離をやっていた中学、高校では毎日厳しい練習で追い込まれていた。
高校時代は、
休息は日曜日の午後2時から夕方のみで後は全く休みがない生活。良くやっていたと思う。
極真空手を始めれば、好きでやっていたのだがそれはそれは毎日大変だった。 のだろう。
試合の前も、当日も、、、、
そして、、試合後は激痛。
既に、毎日下痢の生活が始まっていたのだから、
それは一般的には大変なことだったのでしょう。
社会人になってからは、畑違いの世界にいきなり飛び込み、
それはそれは、アホ上司に追い詰められたり、ノルマに追われて結果を残さないと生け無い生活でストレスフルだった。
そして毎日の深夜までの飲み。好きでやっていた事だが楽しくもキツイ日々だった。
のだろう。。。。今にして思えば。
こんな経験をしながら少しずつ少しずつ強くなっていたのか。。。
今の生活に耐えられる自分を創って来たような。
自分から苦しい世界に飛び込んでそれを楽しんで生きて来たことが今の自分を助けてくれている。
そして、そんな自分を知っていてくれて助けてくれる周りの人に支えられているから折れないのだ。
そう、俺は折れないのだ。。。。折れると言う感覚すらない。
これでもかと言うような強力な周りのサポートで折れないのだ。
周りの方々に心から感謝。
ご先祖様からのご縁ご恩に感謝。
天に感謝。
感謝の足りない自分、、、、感謝を知れ。