自分に厳しいのは自分の勝手だからどうでもいいのだが、
それを周りに強いて要求してたのだから、周りはたまったものではなかっただろう。
だから、周りの一般人と合うはずはなかったのだが、、それはそれで良かったのだ。 大正解だったのに。。。
それが、徹底できなかった、特に社会人としてサラリーマンとして働く様になってから、
自分を曲げて周りの人間に合わせてしまったところに問題が出てきたのだ。
周りに合わせて優しそうで、迎合主義で、角が立たないように生きる事に少しずつ少しずつよってしまったのだ。
自分でも気がつかないうちに、いい人、いいサラリーマンに寄ってしまったのだ。
折角、銀行員らしくない珍しい人が来たと、多くの方に評価してもらっていたのに、、、
もう少し、生き方、自分らしさによく気がつくべきだった。
皆に合わせることなど必要ないのだ、 合わない人間と無理に付き合うこともないのだ。
自分の好きに生きて、それで合う人間が自然と残り、合わない人間はどんどん離れていく。
自分が自然に生きていれば、自然と生き易い環境に整えられるのに、、、、
おかしな気遣いや、相手への憐れみに似た思いやりなどをしていたから付き合いがおかしくもなったのだ。
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大学4年の就職活動時期、
周りが春先から必死に活動を始めている中、5月、6月、7月と立て続けに試合に出て、全く活動をしない俺は、、
「あいつは馬鹿か?」 とあきれられていいた。
しかし、おれの内心は、、、、、
中身のない人間がいくら一生懸命に企業を回っても仕方が無いでしょう。 まずは中身がないと評価されないでしょうに。
中身がしっかりしていれば、後から行っても評価されるのだ、
採用期間が終わっていても、 採用人数が埋まっていても、、、
採りたい人間は採るでしょう。
それが出来ないような会社はダメ会社でしょうから、、、行く必要なし。
自分の価値も見極められない会社は、大した会社じゃないでしょう、、、、、
こちらから願い下げなんですよ、、、、自分が落ちるのはダメ会社だから問題なし、、簡単な事でしょう。
それでも、自分の価値がわかってもらえなければ、、、それだけの人間だと言う事だ。
修行し出直すしかない、、、などと思っていた。
(今にして思えば、師範との縁を続けなかった事が一番の就職活動の失敗、後悔なのだが、その後、サラリーマンとして色々と経験させてもらえた事を考えるとそれはそれで自分の人生だったのだろうと思う。)
サラリーマン時代も、特長、持ち味、だったのは他人とはちがう事だったのに。 変える必要など無かったのに。
「君は気合が違うからな」 「規格外だね」 「そんなに遠慮した物言いは君らしくないね」
「サラリーマン金太郎、君みたいだね」 「私が居なかったら、判子無しでやっていいよ」(エエッ------)
「信用しているから好きにやってください」 「野武士のような男だな」
「あんたとは取引したいけど、あんたの会社とは取引したくないから、、、所で、今度自宅に遊びに来いよ。」
「空手をやるとみんな君みたいになるの?」
「やりたいんならやれ、、、回収できなかったら退職金で払えばいいよ」
などと言われていたのはほめ言葉だったのに。
生きる環境で自然と出来上がった、、、仕方なくそうしてきた生き方、「自分に厳しく」生きる事。
周りに関係なく 我道を行くでOK。
周りが淘汰され、一番信じてくれる人達が残っていく。。。
周りに残る皆さんも「自分に厳しい」方々。 でも方々は、俺とは違って「他人に優しい」。。。
人のレベルの問題。。。。