神様が見ているのかいないのか、、、そんな事は解らない、、し、、
神様がいるのかいないのかさえ知らない。
不祥事が見つかって、、、
それが、
過去の極悪な生き方が発覚しただけで、その後、反省も、チャレンジもせずにそのまま消えてく人生ならば、
罰が当たったのだと思われる。
それが、
たまたま知らないうちに巻き込まれたもので、、、、、その後、反省し、謙虚に芸を磨き復活したとすれば、
それは、更なる飛躍の為に神様が与えた試練などと言われる。
神様なんている訳ないと無いとふてくされようが、
神様を信じて復活する努力をしようが、、、、、、、他人のことなどどうでもいいが、、
何かに見守られ、それを裏切ってはいけないという感情をもてるのであれば、、、
それがたまたま神様であったとしても、いいのではないのかなと、思う。
そして、神様を敬い、尊敬し、畏敬の念を抱く事でそういう感情が芽生え、洗練され、、、
他人に対しても同じような感情を抱けるようになれば、、、、、、
その人はとてもお得な人生を送れるのではないか。。
神様がいるのかいないのか、、それは知らないが、、
「天網恢恢疎にして漏らさず。。。。」
誰かの目があると思って生活するのと、、
誰も見ていないから、、解らないから不正してもいいと思う生き方では、、
人生が全く違うし、人間性も全く違ってくしまうのだ。。。。
目先の利益を求めて得した気分になっていたが、、、、
実は最悪の事をしていたなんていう事にならないように。。。
自戒、自戒。。。
生きている事とは自由でいいのだが、、
自由の裏腹で、、一つ間違えばとても恐ろしい事になる、、世界にいるのだ。