唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

年金2000万円不足問題。

2019-06-17 11:04:46 | インポート

 年金だけでは生活できないから、老後2000万円が必要だという情報だけが独り歩きしている。

 月の生活費がいくら必要だから、いくら足りなくなると言う事から2000万円と言い出したのだが、
  生活費など個人で違うだろうし、収入が無ければその金額でやりくりすればいいだけの話なのだ。

 月に20万円では生活できない人は、稼ぐか、OR、生活費を抑えればいいだけの話。
 こんなアホな事で騒いでいる日本は本当に恵まれた国だと思う。

 34歳で無職になり、それからもう20年も仕事をしないで生きている自分にしてみたら何をくだらない話をしているのかと全く次元が違っていて笑ってしまう。

 今の切り詰めた生活などとっとと止めて、生活保護を受けたらどれだけ楽になる事か。

 ましてや、月に20万円も貰ったら、十分な蓄えまで出来てしまう。

 しかし、それは違うのだ。
 今の俺は節約生活に優れていて、一般人が出来ないような生活を普通にこなせているのだ。
  要は、それだけスキルが上がっているのだ。 生活力が格段に優れているのだ。
   追い詰められて、そこから対応できる能力が大切なのだ。
    甘えないで、自分で解決する事が大切なのだ。
  
 玄米を、分搗きで食べて、少ないおかずで済ませれば食費はかからない。
  暖房も気をつければ、費用は大きく変わる。
   いらないものは売り飛ばし必要なものに変える。
    キャッシュバックは面倒でも取りに行く。
  
 
 
 人は、今の生活に慣れてそれを手放せないのだ、
  今ある収入で生活すればいいのだが、
   今の生活を維持する為にはいくら必要だと考える。   おめでたいね。

 切り詰めた生活をし、少ない貯金を切り崩しながら長年耐えている自分を愛おしく思う。
  質素な生活に慣れ、質素な生活を普通にこなせる、むしろ楽しめる自分を感じながら生きている。
 
 清貧tという言葉があるが、貧乏も関係ないと生きる自分を、
   俺の魂も少しは成長しているのかな。。。と、感じる。   
  すこぶる気持ちが良い事だ。

 もちろん、34歳から今まで生活するのに多くの方に支援戴いた事で今生きている。
  本当に有り難い、有り得ない事。  ご先祖様からのご縁に感謝してもしきれないものなのだ。

 

そして、
  その気持ちに応えるように、質素でも貧乏でもいいから、しっかり生きる事。

 しっかり生きる事の意味を良く考えて。 支援して頂いている方々を悲しませない為、失望させないため。


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 車の話。これは深い。

 

 
   


いつの時も、、、、昔の自分ではない。 

2019-06-16 11:39:44 | インポート
 
 どんなに実績があっても、どれだけ輝いていた人生があっても、
  今の自分しか知らない人にはなにもわからない。

 ただただ、そのとき付き合いのある人にそのときの自分がどういう人物かを判断される。

 その時、その時を精一杯生きて今の自分を見せていくしかないのだ。

 過去の事は過去の事で、今の自分には全く関係ない事なのだ。

  転勤した時には、折角築いたものがむしり取られる事にサラリーマンの空しさと感じていたが、
それは当たり前の事で、過去に手に入れたものが永遠に自分のものであるはずはないのだ。

 どんな関係も、どんな環境も一時の事で永遠には続かない。
  一生続いたとしても、死ぬ時には手放して行くのだ。


 しょせん、独りで身一つで生まれてきて、全てを手放して身一つで死んでいくのだ。
  手に入れたと思っているのが間違いで、お金も、財産も、大切な人も、何かの実績も全て無になるのだ。


 今日は、ひどくお世話になった師範の命日。
  必死になって生きていたが、それ以上に評価をされ、自分を引き上げてくれた人、認めてくれた人。
   鍛えてくれて、教えてくれて、多くの感謝をもらった方。

  あの時の人生の勢い、周りの反応、は、今とは全く違う。
   しかし、自分がしっかりと生きていて、認められていた事は忘れない。 

 
 


 


 


おみくじ。

2019-06-15 16:59:28 | インポート

 戸隠神社に参拝した時必ず引いてくるおみくじ。

 数え年を言うと奥で禰宜さんが自分の代わりに決まった言葉を言い神様から受けてくれるちょっと変わったタイプの物で、その内容も難しい日本語で色々と書かれている。

 持ち帰って生活の指針にしなさいとあるからいつも持ち帰る。

 今回気になった言葉は、

  「先に艱難を経て、君に真心(まめこころ)をつくし、
  下に憐れみをかけ身を苦辛(くるし)めて末大吉を得たるの兆しなり。

 家富栄え子孫はんじょうすべし。 職に就く人は立身疑ひなしとしるべし。」


 「何事も人に愛で貴まるるの兆しなればかりそめにもわたくしごころなく親切をむねとすべし。」


 今の自分がおかれた身とダブるが、これが直ぐに大吉を得ると言うことでは無い。

 むしろ逆で、この状況下、今までの傲慢な自分を修正してくれる機会がまだまだ必要だと感じる。

 いつでも、どんな状況でも、艱難が後に大吉になると信じて一生懸命に過ごせということで、
  予言ではなく、生きる指針なのだ。


 親切は今一番気にかけていた事なので、響いた。
  自分は障がい者だから出来ない、むしろ助けてくれというのではなく、
   自分の出来る所でどれだけ他人様の役に立てるかの勝負になっている。

 元気な人が他人の為にする事と、身体の不自由な人がすることでは重みが違う。

 苦しくても甘えないで、できる事をやる。 

 見返りや、世間体の為ではなく、心から親切心を発する事が出来るように、
  日々、訓練中なのだ。
 
 
 


 
 
 

 


自分を戒めてくれるもの。

2019-06-13 13:56:46 | インポート
自分を戒めてくれるもの。

戸隠神社に参拝して来た。
 例年参拝しているので、何日も前から気になっていたのだが中々踏ん切りがつかなく、11日になってしまった。

 所々雨に降られ、体調もだるくてどんよりしている感じだったので入梅前の体調の良かった時に行かなかったことを後悔した。
 折角遠出するのでいつもは行きつけの蕎麦屋に行ったり、買い物などをするが今回はまっすぐ帰ってきた。
 
 中社のみの参拝だったが、丁度雨も止んで日が出ていたから寒さも酷くなく良いタイミングで参拝をさせて頂いた。  丁度誰も居ない中で参拝でき神聖さが際立っていた。 
 そんな中、誰にも遠慮することなく十分な休みを入れながら境内を歩かせて戴けた。

 帰り道は気になるナンバーが次々と現れて来るから、良かったのかな、順調なのかなと、気持ちも落ち着かせてもらった。
 
  神様を信心する事は、何事にも感謝の気持ちが薄い自分には、 感謝の訓練ともなる。

  そして、
   傲慢な生き方、自分勝手な生き方、思いやりの足りない自分、への戒め。 にも繋がる。
 
 未熟な我には、 正直に、誠実に生きる為に、ズルイ生き方をしない為にも、
  ある意味の恐怖感を与えてくれるようなものが人生に必要なのかも知れない。

 ご先祖様の供養も同じ意味をもつ。 

 さらには、 癌、 病気、不自由な身体も謙虚に生きる為に与えられたものなのかもしれない。

 全てに充実した時期は、自分を勘違いし、傲慢になりがちなのだ。
  逆に、今のような環境は、世間がよく見えて色々な事に気がつかせてもらえる。
  人生のヒントにも気がつきやすいし、成長のチャンスをもらっている。
  傲慢な自分を修正する機会となる。
  
 
  
 幼少時の虐待は、今でも許せないのだが、
  もし、それが無い人生だったら身勝手な乱暴物で育ったかも知れない。

 許す努力は散々したが許せない。 多分、許したくない自分がいるのだろう。 絶対に許さない、謝罪しないやつを許さない、そういう誓いにも似た感情が自分の中にあるのだろう。

 それはそれで仕方がないが、色々な経験が出来て、人生に育ててもらった事は自覚しておくべき事。


  辛く重たい経験をすればするほど、他の事が軽く感じられる。

 生きるのが楽になっていく。 

 何の苦労もなく、学習する機会が無ければ成長はない。

  苦しい人生には意味があり、
    制約があればこそ、戒められる。 

 良き環境に、ありがたい。
 

 


 

 


学歴信仰のむなしさ。

2019-06-04 13:51:44 | インポート

 キャリア公務員の最高峰「事務次官」になっても、
   練馬の畑の後ろに安っぽい一軒家を立てるのが精一杯なのだ。

 一生懸命子供に受験をさせて、人生を狂わせている親は、まず、その現実を見たほうがいい。
 受験勉強をして、キャリア官僚になり出世しても練馬の畑の中の不細工な一軒家が関の山なのだ。



 そういう事を成功だと思って生きて来たのならそれはそれで良いと思う。
   自分は成功したと自分で思えればそれで良い。 がしかし、

 事務次官として国家の為に働く為に公務員を目ぜすのならいいが、自分がいい生活をしたくて生きているのならl効率悪いとしかいいようがない。

 そして、キャリアのほとんどは、自分の生活の為に生きているのだろうに。

 

 俺の育った環境の方が何百倍も恵まれている。
  異常な受験勉強など何もしなくても、普通に生きていてもあんな不細工な家より良い家に皆住んでいる。

 少なくても俺も、、、育った地域の皆さんはそうだ。


 子供の頃から、やりたい事を我慢して、なりたい自分を封じ込め、受験で成功する事が人生で成功する事だと思って自分が生きるのは良いが、キャリア官僚の成功なんてその程度の事なのだ。

 全く、効率が悪い人生だと思うのだが、親は受験勉強が人生の全てのように、子供に強いる。


今回の件、
 母親は、成績が悪い事に腹を立てて、息子の大切なものを壊したという。
  その怒りから暴力が始まったと言われていた。

  母親は考える機会を息子からもらってよかったのに。。。

 くだらない事に執着して、くだらない事でもめて、殺人事件にならないと終着できない家庭。



 都会で生きている事がどれだけつまらない事なのか、今回の事案で再認識した。

 
 俺の田舎は、健全に普通に人間らしく生きて、それでいて皆さんが立派な家に住んでいる。

 都会の子供達がかわいそうで仕方ない。
   昔から思ってました、、そんなに勉強しても大した成功には結びつかないのではないかい。。と。
 
 所詮、建てる家が30坪とか50坪とか程度の差しか生まないのではないかい。。。
  平社員は30坪で、部長は50坪、30坪も50坪もウサギ小屋なのだから評価が良く解らない。

 100坪、1000坪、10.000坪の世界で育ったから何が良いのか良く解らない。
 
 それに、もっと努力して成果につなげる道はいくらでもあるのに、なぜ受験に特化するのか解らない。

 人格を歪め、大切な経験をすることなく受験に受かっても何も得るものはないと子供の俺でも解っていたのに、
 解らない。
  
 要は、自分の絶対的な価値観を曲げたくないのでしょう。
 それまでの努力を否定したくないのでしょう。

 世の中は変わっていくのに、、
  野球が上手ければ大金を掴む、
   ネットのゲームが上手ければ生活できる。  そういう事を認めたくないのでしょう。

 勉強ができることと、社会で成功することはイコールではないのに認めたくないのでしょう。


 
 でも親父さん、よく決断したと思う。 
   できれば、見栄を捨てて周りに相談すればもっとよかったとおもうが、 本人には本人なりの価値観があるから仕方ない。。

 自分の子の始末は、自分で着けると思ってしたなら尊重させて頂きます。