アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

箱根駅伝は競走だけにあらず

2025年01月04日 | Weblog
 箱根駅伝…お正月のぉ、否、1年の楽しみの一つです。この度は、勿論、予選会から勝ち上がった母校を応援しました。
 二男の母校は、2年連続の優勝。この11年間で、8回の優勝。楽しませて頂きました。また来年が楽しみです。

 青山学院大学が、シード校の常連ではなかったころの選手に凄い人がおりました。原監督がスカウトした選手なんですがね。高校は長崎県の有名進学校。
 彼は、2年生の時に、2区というエース区間で11人抜きを演じました。3年生の時は、9人抜いて区間賞。あの東海大学の村澤明伸くんまでを抜き去ったのですよ!

 現在、33歳。名刺には、中国電力のロゴが入っています。会社では中堅どころでしょうが、まだ選手を続けていてもおかしくない年齢ですね。学校は違いますが、一つ上には二代目山の神と呼ばれた柏原竜二さんがいて、一つ下には大迫傑さんがいる。
 大学卒業後は、原晋監督と同じ中国電力へ。マラソン日本代表を目指して競技を続けたのですが、まだこれからという25歳の若さで引退。引退の理由は、故障ではなく、「箱根で燃え尽きた」とのこと。

「そりゃあ、できすぎだ!」って?
 そうです。「できくん」です。「出岐(でき)雄大」くん。「出岐くん、出来すぎ!」(これを書きたくて、ここまで引っ張っりました!新年、初ダジャレ)
「くだらないダジャレだね!」と、言わないでね、お正月に免じて大目に見てくださ~い。

 箱根駅伝には、ドラマがつきもの。
 強烈な印象で、今も記憶が鮮明なのは、1991年の箱根駅伝…古すぎるって?だ、団塊世代なら十分記憶にあるかと。

 早稲田大学の1年生、「櫛部静二くん」が、花の2区を走りました。
 トップでタスキを受けた櫛部くんは、順調な出足ではありましたが…。体調不良に脱水症が加わったのか…中盤から大ブレーキ。靴紐は、ほどけたまま…。意識朦朧で走っていました。 次々と抜かれていき、タスキ渡しを目前にして、フラフラ。右に左に蛇行し、「夢遊病者」を観たことはありませんが、おそらく、こんな感じだろうと思われました。 
 立ち止まったり、歩きだしたり…。
 この時、駅伝ファンの100%、いや、日本人全員が、
「ガンバレ!櫛部!」
 と、声をからして応援したでしょう。立ち止まって、両手で顔を覆うなどの場面もありました。 

 はたしてタスキは繋がるのか!トップから14位に転落したところで、ようやくタスキ渡し成功!早稲田ファンでなくても、狂喜!驚喜!狂気…しましたぁ。それが日本人のいいところであり、駅伝ファンのスポーツマンシップだと思います。

 櫛部くん、今頃どうしているかなあと思ったら、なんと、城西大学男子駅伝部監督でした。城西大学は、この度の箱根駅伝に出場しておりまして、堂々の6位。強いですよ!
 箱根駅伝には、このように往年の選手が監督として箱根に戻ってくるのを見る楽しみもあります。

 櫛部静二くんを話題にしたのなら、花田勝彦くん、武井隆次くんも話題にしなければ不公平。花田、武井、櫛部は「早大三羽烏」と、言われておりました。オツオリ、マヤカといったケニア人留学生ランナーを擁する山梨学院大と覇を競った当時の早稲田大の中心選手でした。

 早稲田の花田勝彦くんは、現在は「早稲田大学競走部駅伝監督」。早稲田大学は、4位でした。次回の箱根駅伝、三強の一角を崩すのは、早稲田でしょう。

 早稲田大の監督は、渡辺康幸くんじゃなかったのかって?
 9年前に、早稲田大学競走部駅伝監督を退任して、住友電気工業陸上競技部監督を務めています。

 武井隆次くんは、箱根駅伝との直接的な関係は無くなっています。現役引退後、S&B食品監督や、早稲田実業高等学校陸上部コーチを歴任。現在は、すみだランニングサポートクラブで指導。そこには、将来的に箱根を狙える力を持つ中高生が所属しているという。「箱根を目指す教え子にはぜひあの舞台で活躍してほしい」と、武井くん考えているという。こういうのを夢とロマンというのでしょう。

 箱根駅伝、人間模様を見るのも面白いワ!
 私が、車椅子で、立川駐屯地~昭和祈念公園まで「箱根駅伝予選会」を観に行くワケも解っていただけるかと!


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