アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

読経しながら寝るお坊さん

2008年08月09日 | Weblog
   読経しながら寝るお坊さん

 葬儀に関して、東京方式が簡便かなと思っていました。お通夜は、その時間帯に行って、焼香を済ませると帰ってもいいし、別室で、「寿司や オードブルや飲み物」をいただいてから帰ってもいいのです。なぜか、東京は寿司なんです。
 沖縄は、さらに簡便のようです。お通夜は、お坊さんなし。親戚や親しい友人それに近所の方がみえる程度。香典も、なし(皆無ではないようですが)。何時から何時までという時間制限もなく、弔問客が引けるまで続く。遺族を含め、普段着。葬儀の時の定番料理は、「ジューシーのおにぎり」と「ソーメンの汁」。ジューシーは、沖縄の炊き込み御飯。豚肉と昆布その他が入っているアレ。

 なぜこのタイミングで、葬儀の話?退職して4か月が経ちました。何もかも変わったのですが、ネクタイを締めたのがこの4か月で3度です。現職では年がら年中ネクタイを締めていました。ネクタイは気持ちも引き締まり、私は好きです。ネクタイを締めたのは、「葬儀(お通夜)、結婚披露宴、葬儀(告別式)」の3回。そのため、葬儀の話になりました。言い訳しなくても良かったですね。
 (葬儀に出た)地域のお通夜は、お経が30分、お坊さんのお説教が20分。これまで、随分お通夜に出させていただいていますが、少々苦痛なのが、「お説教」です。パターン分けしてみますと・・・・
1 いつでも同じ話のタイプ・・・亡くなった人の、亡くなり方、年齢、その他の情報は一切関係ない。「拙僧のお説教は、これ一本でごわす」ってとこ。
2 お経の一節引用タイプ・・・お通夜の客は、仏教の勉強に来ているわけではないのですが。たっぷり学習させていただきます。オリジナリティっつものがなんです。
3 世間話タイプ・・・悲嘆にくれる御遺族の前で、「2丁目に、わき水が流れ出ているところがあるが、もったいないんじゃないか…南無阿弥陀仏」なんなんだ!お通夜なのか、町内会の寄り合いなのか…。
4 他の宗派より我が宗派が、いかにいいかを説くタイプ・・・そのまんま
5 自慢に次ぐ自慢のタイプ・・・自慢は、還暦パパの専売特許だろうって?いえいえ、私が知っている「自慢お坊さん」の足下にもおよびません。「日本で、一番偉いのは拙僧である!」それを長々と。長々なら、耐えていればいいだけですが、自分の言葉に興奮して、徐々にボリュームがあがり、絶叫ですよ!!「そんな坊主は、おらんじゃろう」って?マジですよ!クライマックスの時など、こちらが失神寸前ですよ、気分悪くて!コンビニで買った自慢の抗菌靴下を、脱いで投げつけてやりたいです。みなさん辛抱して聴いているんです。日本一偉いのは、お客様がただと思います。あー!書いただけで苦しくなった。日本中の皆様にお聞かせしたいです。おそらく、国民の5割は失神です。
 以上、5タイプに分けました。お説教は、遺族の心中を慮って、静かな声で、当たり障りのないことを手短にお願いしたいものです。

 告別式では、「弔電披露」というものがあります。進行係が、「弔電披露」というと、期待と不安でそわそわしてしまいます。
 披露する係が、いかにも野良仕事から駆けつけたという雰囲気を醸し出して、「えーーっとぉ、へば、弔電読むすけの!」標準語にすると「それでは、弔電を拝読させていただきます」と、なります。翻訳が必要で…仏様も、骨箱に入っている場合じゃないですよ。この地域では、「さようなら」は、「へばな」です。
 オフコースの「さよなら」って知っていますか?昭和55年のヒット曲。

 もう終わりだね 君が小さく見える
 僕は思わず君を 抱きしめたくなる
 「私は泣かないから このままひとりにして」
 君の頬を涙が 流れては落ちる
 「僕らは自由だね」 いつかそう話したね
 まるで今日のことなんて 思いもしないで
 さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬
 愛したのは 確かに 君だけ そのままの君だけ

 この歌詞を、「へばな地域」の還暦以上の人たちの言葉に翻訳すると…小田和正も裸足で逃げ出すね。(歌ってみてください)

 じき終わりだじゃ 汝(な)がこまぐ見えるじゃよ
 オラいぎなり汝(な)を 抱きすめたいじゃよ
 「オラ ながないすけ このままふとりにして」
 汝(な)のほっぺだっこを涙が 流れては落ちるじゃ
 「オラたちは自由だすけ」 いつかそうくっちゃべったね
 まるで今日のことなんて 思いもしないで
 へばな へばな へばな もうじき外は白い冬
 愛すたのは たすかに 汝(な)だけ そのままの汝(な)だけ

 また、「チチシンデ(父死んで?)・・・」と、読まれる場合もある。亡くなったのはチチではなく、爺さまだべってことではないです。「慎んで…」が、強い訛りで、「チチシンデ…」になってしまうのです。
 こんなこともありました。「…の…に、せ、せ…し、お、お…いております。残された御家族の皆様の御心…を、お…しし…」読めない漢字をスキップしてしまうんだもの!事前に下読みしておくってことがないんだもんねぇ。漢字が読めないのは困ったものですが、「訛り」とか「俚言」は、いいものです。啄木の歌で好きなもののひとつに、「ふるさとのなまり懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きに行く」があります。地球温暖化で失われていく氷河のような速さで、この、「訛り」「俚言」も消えてきています。CO2を削減しても、これは止められない・・・。

 ハイライトとしまして・・・不謹慎にはならないと思いますから・・・お通夜のお勤めに、2人の僧が現れた。お一人は、90歳を超えられたかなという感じ。歩くのもやっと。もう一人は50歳前後。読経が始まった。90歳の方は弱々しくなかなかいい味を出しておられた。15分ほど経過したところで、90歳が壊れたレコード状態となった。(若い人は、レコードを知らないかぁ?)同じ一節を繰り返し始めたのです。3回くらいまでは、「そういうお経なんだろう」と、思っていましたが、5回、6回となるうちに会場がざわめきだした。50歳の坊さんが、心配そうに90歳の様子を見ている。90歳は、さらに続ける。だんだん声が消え入りそうになっていく・・・指折って数えはしなかったが、20回はやってました。とうとう、50歳が、火鉢のような鐘(?)をすりこぎ棒のようなもので叩いた。「ゴーン!」90歳、我にかえってお経の続きを始めた。よかったよかった。熟睡してしまうところだった。読経を聞きながら寝てしまう客はいますが、お経を上げていて寝る坊さんもいるってことで・・・。

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