アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「目線」は名詞、「視線」は動詞ぃ…

2025年03月04日 | Weblog
「視線」という熟語、今でもありますよね?
「目線」という言葉が、「視線」を凌駕してしまっています。猫も杓子も、「視線」とすべきところを、「目線、目線、目線・・・・」
 杓子には目がないだろうって?真面目に書いているのに、そのような、「しょうもないツッコミ」を入れないでください。
 
 私は、「目線」は、「歌舞伎独自の言葉」だと思っていました。その後、芸能界全般で使うようになりました。
 スターたちが、「目線」を多用するから、庶民が、「視線」とすべきところを、「目線」を使うようになった。このように解釈しています。
「視線」は、今まさに「死線」をさまよっています。ウマイナア!頑張れ!「視線っ!」。

 広辞苑では目線の意味に、「視線。映画、演劇、テレビ界の語」。つまり、広辞苑としては「まあ、目線と視線は似たようなもんだなあ」といったところ。
「視」と「目」が違うだけで、「線」は共通しているので似たようなものといえば似てますが…。
 広辞苑に逆らうつもりはありませんが、そもそも「視線」と「目線」とは違います。

 「目」は、目そのもので、「視」は目の働き。簡単にいってしまうと、目は名詞で、視は動詞(的)。目線は、目の高さ、視線は目線の動き。
 歌舞伎の目線は役者さんが、月を見上げたり、高所から見下ろしたりするときの目のつけどころ。ですから、視線ではなく目線です。

 投手と打者が目線を交わす・・・この使い方は、間違い。動きがあるから視線です!
 温度計は、どのように見る・・・「目線の高さ」です。決して、「視線の高さ」ではない。動きがあると、目盛りが読めないから。 
(カメラマンが)目線ください・・・映画界、テレビ界の話だから、「目線」で良いだろうって?動きがありますよ。「視線を(カメラへ向けて)ください」でしょう。
 では、「カメラ目線」は間違いかって?これは、「カメラ目線」という言葉になってしまっているので…今更、「カメラ視線と呼ぶ会」を結成しなくてもいいかな。
「安全地帯」というグループが、「熱視線」とい歌を歌っていましたが・・・これは、正しい。「熱目線」となると、その上にヤカンをのせて湯を沸かしてしまいそう。

 視線も目線もごっちゃにしないで、考えながら使ったら良いと思います。
 目線を合わせるとんでもない実践例を一つ。

 教育現場で、「教員は、子どもの目線で…」という民主的なスローガンを見ることがあります(注:アンティークマンは、この民主的という言葉には嫌悪感をもっています。教育が民主的なのは、基礎基本。いちいち述べることではありません)。

 そして教室では…な、な、なんと!先生がしゃがんで、目の高さを子どもの目の高さに合わせている!こ、これが民主的ということか!?ふざけているのかと思いましたが、大まじめ。「民主的な先生なんですよ僕ちゃんは!」
 とでも言いそうな、自慢げな雰囲気。
 ただしゃがんだだけで民主的な教育!
 先生がしゃがんで子どもの学力が伸びるなら…足腰が強い人を教員にすればよい。出ました、投げやりな極論!


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