

「木曾街道」と名付けられていても木曾街道は脇往還で、中仙道のほうが主なようだが、それはともかく、この三作は中身も作者も異なった作品である。
横長の開かれているものは、渓斎英泉・歌川広重の「木曾街道六拾九次」、左下は歌川国芳の「木曾街道六十九駅」、右下は歌川豊国の「木曾六十九駅」で、普通「木曾街道」といえば英泉・広重の作をいうことが多い。
英泉・広重の作品は、英泉でスタートしたものを広重が受け継いだという。内容は名所絵(風景画)である。
これに対して国芳のものはその土地にまつわる歴史伝説画、そして豊国は土地土地に関係する芝居の演目中の役がらを演ずる役者絵で、当時の三人気絵師が各々の得意分野に筆をふるったものである。
開かれた絵の左側は広重の「洗馬」で、「東海道」の「蒲原」とならぶ傑作である。
また下の左は国芳の下諏訪八重垣姫、右は豊国の軽井沢である。

