サラマシアン 今回はことばについてです。
ホームステイ先の家族は65歳と60歳の夫婦でしたが、行ってみると奥さんの妹夫婦も一緒にいて
4人で住んでいました。
なので、あわててお土産を二等分して分けてあげたのですが。。。。。
とりあえず、できるだけのインドネシア語で自己紹介をしたのですが、
妹夫婦は片言で英語が話せるようで、
その二人の英語でなんとか状況が分かったのですが、
2日目にはもう帰ってしまい、考えると私が来るので初めだけ手伝いに来てくれたようでした。
しかしその夫婦も
妹の旦那さんが60歳で、一生懸命グーグル翻訳を使ってくれるのですが、
さすが60歳、スマホの扱いに相当時間がかかり、やっと翻訳をだしてくれたら話題から10分ぐらいたったあとで、そのことはもうわかりました的な流れ。
それでも頼みのその二人が帰ると
現地語のミナン語とインドネシア語だけでの生活となりました。
この言語だけで暮らす日々
なので、わからないことだらけ、
なので、わかることだけで
暮らしていました。だから全く困らない。変な話ですが。
毎回ご飯になると、「マリ マカン」と言われるので、そう言われるとご飯なんだなってわかってきたり
まあ、餌を入れる皿が出てきたら、餌をもらえると思ってしっぽを振る犬のような条件反射で、す、が
繰り返しの状況の中で同じ言葉が出てくるとだんだんと意味が分かってきました。
沢山歩いたあと、疲れたーーって思ってたら、ママが足をなでて「チャペ?」と聞くので
「疲れた?」って聞かれてるんだなとか、なんだろう、3歳のおばさん になってました。
そして、その関係性の位置づけがはっきりする場面がある日やってきました。
ママは、何やら、ジャパンとかエン、インドネシア、ルピアみたいな話をしていたのですが、
それが全くわからず、何が言いたいのか、予想もつかなくて、ママも一生懸命
ゆっくり話したり、大きな声で話したりしてくれたのですが、聞こえないわけではなく、
早いからわからないわけではなく、結果ママもあきらめて、話題は終了。
そうか、私はやっぱり3歳なんだと、互いに実感した一場面 それからは手をつないで歩いてくれたり
ジェスチャーを交えて伝えてくれたり、私のつたないインドネシア語を一生懸命聞いてくれたり
料理がいつもおいしかったので、ミナン語「ラマバナー」を教えてくれたので、それを乱発していたら
「おいちい?おいちいの!よかったわねー」みたいな受け止め方で、なんだかもう
なにも言葉で防御することもない、無防備な状態がすごく楽で、3歳生活をエンジョイしてました。