風は東楡の木通りから

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我らの国籍は天にあり

2006-07-28 01:04:39 | キリスト教(行事、他)
日曜日の礼拝の後、教会の墓地清掃に行った。教会の墓地といっても霊園の中の小さな敷地でいくつかの教会で管理している共同墓地のことだ。

その小さな敷地は芝生になっており、大きな四角い石に十字架の形がくりぬかれていて、「我らの国籍は天にあり」という新約聖書ピリピ人への手紙3章20節の御言葉とその裏には天に召された各教会の方の名前が刻まれている。

共同墓地というのをはじめてみた時、こういうのもいいなぁと思った。私達クリスチャンにとってお墓は故人の礼拝の対象の場ではなく、キリストがもう一度地上にこられ、復活に預かるまでの「眠りの場」である。天は私達にとって故郷なのだ。あったことのない兄弟姉妹達(クリスチャン達)と共に名を連ねるのもいいと思う。キリストにあって私達は一つなのだから。

もちろんクリスチャンがみんな共同墓地を使うというのではない。個人のお墓をもつ人もいるし、家のお墓に入る人もいるだろう。でも私は自分のお墓は要らない。一緒に掃除をしただんなも同じ事を言っていた。掃除は祈りに始まり、祈りで終わった。

日曜日は曇りだったが、暑くもなく、日焼けもせず、お墓の周りの草を刈るにはちょうどいい天候だった。芝生には花の終わったねじ花がそのまま枯れていたり、無数の小さなコオロギの子供が、どういうわけか墓石に向ってぴょんぴょんとびはねていた。どこからか鶯の声が聞こえてきて実にのどかな日だった。