アマゾンわんわん日記 2018

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夫のインディオ物語 3

2012年06月05日 | ブラジル雑記
夫のインディオ物語、最終回です。
最後はヤノマミ族。
日本でもよく知られていますよね。
ブラジルとベネズエラ国境付近、ネグロ河上流から中流にかけての地域で生活しています。

ヤノマミ族というと、記憶に新しいのが「ヤノマミ族の大虐殺」。
1993年6月から7月にかけて、73人のヤノマミ族の人たちが、金の採掘者によって殺害されました。
インディオの生活地の多くは、金の採掘場所と重なっています。
そのため、土地をめぐって金の採掘者とインディオとの間で争いがおこります。
この時には、最初に採掘者たちが5人のインディオを殺害、その後インディオたちは復讐のために2人の採掘者を殺害。
このようにして、殺し合いが続いて行ったのです。
この時は、ヤノマミ族側の死者が余りに多くの数に達したため、世界中で報道される事態になりましたが、実際にはあちらこちらで起こっている問題です。
ただ、表だって問題になることはほとんどないのですが...

さて、1970年代終わりごろ、夫が訪問したのは、ベネズエラとの国境地域。
この時、夫の接触しようとしたグループとは、FUNAI(インディオ保護局)もまだ接触を持っていませんでした。
なので、接触にはFUNAI職員とともに挑戦。
近くの部族から通訳ができそうな人を探してきて、接触を試みます。
インディオは部族ごとに言語が異なるのですが、同じ部族の他のグループの人ならば、何となく言葉がわかるそうです。
集落の近くにキャンプを張って半年近く。
毎日昼間のうちに、集落の近くにビー玉などの子供のおもちゃや、包丁などの家庭用品を置いておきます。で、次の日に見に行くと、それが消えている。
それを続けること何カ月か。
だんだんに集落の人たちも、緊張を解いてくれるようになり、夫たちの姿が見えると、子供たちが家の隙間などから顔をのぞかせてくれるようになったそうです。

夫に「インディオ取材で島でも印象に残っていることは?」と尋ねると「子供の笑顔」だそうです。
ブラジル人だろうと、日本人だろうと、インディオだろうと子供の笑顔はどこでも一緒!というのが、いつまでも心に残っていることだそうです。

最近、娘たちの学校の先生の友人が、アマゾナス州からロライマ州にかけて広がるインディオ保護区を車で通過中、途中で車が故障、インディオに襲撃を受ける寸前だったという話を聞きました。
オーバーなことでなく、現実に起こりうることです。
また、現在でもインディオの部族によっては、食人の習慣も残っているということです。
勇敢な人の身体を自分の体内に取り込むことによって、勇敢な魂も取り入れられるということらしいです。
実際、そのインディオ保護区は危険回避のため、日没から日の出までの間は幹線道路も通過が禁止されています。
夫たちも、このヤノマミ族との接触の時は、いつ襲撃をされるかと、かなり緊張したじかんだったらしいです。

というわけで、「夫のインディオ物語」終了です。
「まだまだおもしろいこともあったけど、忘れちゃった!」との夫の弁。
もったいないので、また適当に酔っぱらわせて、聞き出しますね。
まず、興味があるのが、「ポロロッカ」取材の話。
次はこれでいってみよう!
お楽しみに。

コメント (4)
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