サンパウロ市の現役市長 Bruno Covas氏が亡くなりました。
41歳。
早すぎる旅立ちでした。
彼が市長になったのは2018年のこと。
それまでの市長João Doria氏が サンパウロ州知事になったことから、後任として市長職を継ぐことになりました。
彼の市長としての初めての大きな仕事は、チエテ川をまたぐ立体交差の部分が2mもずれて下がってしまった混乱をおさめることだったそうです。
2019年、Bruno Covas氏は 自分の体に異変を感じます。
癌が発見されたのです。
しかも癌は、瞬く体中に間に広がっていきました。
彼は短期間に化学療法を繰り返して受け、病気と闘います。
こうした厳しい治療を受けつつも彼の理想は衰えることなく続きます。
2020年、保育園待機児童をなくすこと、医療系大学の新設、住宅問題の解決、公共交通機関のさらなる整備といった公約を掲げて、今度は選挙によりサンパウロ市長の座に再選されます。
この頃からコロナウイルスが広まり始め、サンパウロも次第に混乱の中に巻き込まれていきます。
そんな状況も強い決断力と実行力で乗り切っていったのがBruno氏でした。
しかし その激務は確実に彼の健康をむしばんでいきます。
2021年に入り新たながんの転移が見つかり、また入院治療となります。
彼の病室の傍らには、最愛の息子さんの姿がいつも見られたそうです。
彼の病状は日々市民にも伝えられていたそうですが、
「毎日のように出てくる姿が どんどんやせていくので、見ていてつらかった。」
と娘が言っていました。
そして今日5月16日 日曜日 朝8時20分、息を引き取られたそうです。
彼の遺体はいったん市庁舎に移され、そこから市内を回り市民からのお別れを受け、その後生まれ故郷でもあるサントスの家族の墓地に埋葬されるそうです。
* * * * * *
実はBruno Covas氏のお祖父さんMario Covas氏もサンパウロ市長をつとめた方でした。
Bruno氏は小さいころから祖父であるMario 氏にたいへんかわいがられていました。
そのため かなり早い時期から、政治の世界を志していたそうです。
サンパウロの人たちの喪失感はずいぶん大きなものなのでしょう。
心からご冥福をお祈りしております。
41歳。
早すぎる旅立ちでした。
彼が市長になったのは2018年のこと。
それまでの市長João Doria氏が サンパウロ州知事になったことから、後任として市長職を継ぐことになりました。
彼の市長としての初めての大きな仕事は、チエテ川をまたぐ立体交差の部分が2mもずれて下がってしまった混乱をおさめることだったそうです。
2019年、Bruno Covas氏は 自分の体に異変を感じます。
癌が発見されたのです。
しかも癌は、瞬く体中に間に広がっていきました。
彼は短期間に化学療法を繰り返して受け、病気と闘います。
こうした厳しい治療を受けつつも彼の理想は衰えることなく続きます。
2020年、保育園待機児童をなくすこと、医療系大学の新設、住宅問題の解決、公共交通機関のさらなる整備といった公約を掲げて、今度は選挙によりサンパウロ市長の座に再選されます。
この頃からコロナウイルスが広まり始め、サンパウロも次第に混乱の中に巻き込まれていきます。
そんな状況も強い決断力と実行力で乗り切っていったのがBruno氏でした。
しかし その激務は確実に彼の健康をむしばんでいきます。
2021年に入り新たながんの転移が見つかり、また入院治療となります。
彼の病室の傍らには、最愛の息子さんの姿がいつも見られたそうです。
彼の病状は日々市民にも伝えられていたそうですが、
「毎日のように出てくる姿が どんどんやせていくので、見ていてつらかった。」
と娘が言っていました。
そして今日5月16日 日曜日 朝8時20分、息を引き取られたそうです。
彼の遺体はいったん市庁舎に移され、そこから市内を回り市民からのお別れを受け、その後生まれ故郷でもあるサントスの家族の墓地に埋葬されるそうです。
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実はBruno Covas氏のお祖父さんMario Covas氏もサンパウロ市長をつとめた方でした。
Bruno氏は小さいころから祖父であるMario 氏にたいへんかわいがられていました。
そのため かなり早い時期から、政治の世界を志していたそうです。
サンパウロの人たちの喪失感はずいぶん大きなものなのでしょう。
心からご冥福をお祈りしております。