ブラジルを代表するピアニストの一人、Nelson Freire ネルソン・フレイレ氏が亡くなりました。
彼は1944年10月18日 ミナスジェライス州の山間の町で生まれました。
3歳の時からピアノを弾き始めました。
年長の姉がピアノを弾く姿にあこがれて 自分も弾き始めたそうです。
リストの孫弟子にあたる先生に見いだされ、2年後、5歳の時にはすでにリサイタルを開くほどの実力を発揮し始めました。
初めてのリサイタルの夜、幼かった彼は舞台の前に眠ってしまいました。
リサイタル会場はミナスジェライス州でも山間に位置するSão João Del Rei市の公会堂。
暖房もまだ十分になかった時代です。
心配した両親は 彼の両手が寒さでかじかまないように ずっとマッサージをしていたそうです。
1957年12歳の時にリオデジャネイロ国際ピアノコンクールで大人に混じって9位になりました。
その時の審査員であったヨーロッパのピアニストたちに招待され、ウイーン音楽院に留学しました。
ヨーロッパでも多くのコンクールで賞を獲得、多くのオーケストラと共演をしました。
ブラジルに戻ってからはレコードやCDを出したり、彼の半生をつづった映画が作られたりしました。
2019年、ウオーキング中に転倒。
腕を骨折ししばらくピアノから離れることとなりました。
ケガが癒え ようやく復帰というところでコロナ禍となり、復帰コンサートは延期となっていました。
そして2021年11月1日未明 自宅で転倒し頭を強打したことによる脳挫傷で お亡くなりになりました。
生涯ストイックなまでに勉強を続け、自分で納得のいかない演奏を人前ですることはできないと練習を続けた 職人肌の演奏家だったと言われています。
お亡くなりになった後、リオのTeatro Municipal(市民劇場)でお別れが行われましたが、多くの人たちが突然の別れに涙していたということです。
この後 彼は故郷のミナスジェライス州に帰り、懐かしい父や母と同じ場所で 永遠の休息を得ることになるのだそうです。
安心して休んでください
リオの下町からやってきたという男性。
ネルソン・フレイレの音楽は 様々な生活をしている人たちから受け入れられてきたのですね。