惜しいことをした、と心から想う時がある。
オレはとある会社のいわゆる「生え抜き社員」で、大学を卒業してそのまま、今の会社員生活を送っている。
とある地方都市に配属になり、2年経って、千葉県に異動となった。
千葉でバブル成長期~ハジケの全てを過ごしてきた。
確かに多忙でもあったが、不相応な賞与を受け取り、夜な夜なオネェチャンのいるお店に通い詰めていた。
週末はオネェチャンを伴って、スキーを口実に遠征~外泊。
今では、時間とカネをいくら突っ込んだか、考えるのも、憂鬱な気分にさせる。
その頃の人的交流は、現在では全て廃棄済みだ。
バイクというオレのアイデンティティは、その頃も、常に傍らにあった。
お気に入りの道具を携えて、お気に入りの時間を過ごす。
春夏秋は、バイクに乗って、テキトーなツアー(キャンプも、お宿も)を楽しんだ。
近場のバイク乗りの溜まり場で過ごしたりってのも、フツーの休日だった。
それは、それで、いい。
でも、オレには何が残ったろうか。
なぜだか、惜しいことをした、と感じてしまう。
もっと勉強してたらとか、資格や技術を取得したらとか、そんなのではなくって。
もちろん、その頃は時間が有限だなんて気が付かなかった。
残されている時間が有限なのだから、もっと、懸命にやっても良かったように思うのだ。
過ごすって時間の使い方ではなくって、もっと、むさぼり喰うような、というか。
雨で、ヤるコトがないので、引き出しの中を整理していたら、かつてのお気に入りの一部が出てきた。
彼は、オレに語りかけてくる。
「オレは、タダの追憶じゃねぇよ。オマエの現実なんだよ。」
わかってはいる。が、その責めるような口調は、ナンなんだよ。