4台目 XJ400D・YSP
記録映像はございませんw
BBAをアレした後、ビミョーに「反省期間」的な時期があったのです。
当然、その間は同級生に借りたチャリがメインウェポンだったのです。
そんなとこに神降臨。
「クルマ買うたんや、オレのバイク買わへん?困ってんねやろ?」
「おいくら万円?」
「うーん、2万走ってるし、10万でええよ」
「5万でw」
「んじゃ、キズだらけやし、中とって75千円」
「おげ、この色だし、7万でw」
「オマエは名古屋人(えげつない値切り方をなぜか名古屋呼ばわりする習慣)かwww」
コレがあの名車、YSP特別塗装のXJ400Dだったのです、なぜかフェンダーはメッキだったけどw
この色、めっちゃ不評だったんですよwww
今見ると、カコイイけどw
このバイクも普段の下駄兼一張羅として活躍しました、しましたがw
ある日、帰宅してチャリ置き場にXJを入庫してみると竹槍が3本しかないwww
内部が錆びまくってて、振動で破断したらしく、無くなってたw
修理するおカネなんかないので、しかたなく、そのまま乗ってたw
あまり爆音なカンジでもなかったしw
でも、他のマフラーが落ちても困るし、事故を体験した後だったんでひたすらイイ子に。
3本竹槍のXJに乗って、貯めに貯めた資金で、大学4年の夏休みに普通免許取得w
秋になるころ、一留の先輩が「もう乗らんから、やるわ」といってpoitaに軽自動車を下賜w
軽自動車ったって、電気屋さんのおさがりカラーそのままで2ストエンジンのバンだったw
ちな、その先輩が入手したのはマイティボーイだったwwww
でも、人生初めての自分のクルマ、ってのがまた楽しくってw
真冬のとある夜、芦原空手の先輩と下宿で飲んでまして、っつーか飲まされてまして。
近くにある短大の女子寮に乗り付けてナニしようで!ってことで大盛り上がりしましたのです。
先輩とふたりで電気屋ペイントの軽バンで、女子寮に乗り付けて半袖Tシャツ悪人面の酔っ払い学生2名が大声でナンパw
当然のように蔑視されただけで、特段の何もなくw
「ワヤやわ、あのオンナらぁwww」とか悪態ついてゲラゲラw
盛り上がっていたせいか、夜間だったせいか、なぜか田んぼの畦道に進入。
あかんあかんあかん、コレ絶対オチるでwwww
なにビってんスか、ちょろいもんっスよwwwww
関東弁やめぇwww 何遍ゆーたらわかるんや、アタマわるいのぅwww
血がしちーぼーいっスからwww
あほぬかせwwおとんもおかんも徳島人やろwww
道がだんだん細くなって、50㎝高の畦から刈跡の田んぼに「ごろん!」wwwww
天地が逆になり、シートに座った体制で逆立ちみたいになって、一気に酔いが醒めたw
車に乗ってて逆さまになったのは、人間50有余年、下天のうちをくらぶればこの時だけw
何とか脱出できた車外、ふたりでタバコふかしながら、あおのけになったクルマを眺めてさらにバカ笑いwww
ダメなのおまいらだよwwwwwww
しかも、サイテーw
なんで、あんなに楽しかったんだろ?
poitaは学寮OBだったので、大いばりで学寮に電話して人海戦術。
真っ暗の中、人力でクルマを田んぼから担ぎ出したwwwww
自分先輩含め13人だったかな?
この軽バンに全員乗せて、ラーメンおごってめっちゃ散財、で事なきを得ましたw
これ以上の過積載、したことないですwwwww
おっと、脱線(脱輪かw)。
んなこんなで、ほとんどXJに乗らなくなったのです。
たぶん、主体的に誰かとどこかへ出る、そんなのが楽しくて仕方なかったんだと思うのですw
んで、XJは中免取得した後輩に「お祝い」と称して処分したのですw
軽バンも卒業と同時に後輩にあげましたw
XJ400D・YSP。
竹槍が1本失くなった以外、特段の思い出がない一台w
同時期乗ってた軽バンのほうが思い出多いよwww
5台目 エリミネーター400(ZL400A)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/44/fa7a63b885a08250903676f23fca224a.jpg)
大学卒業して就職したのは、ほぼほぼブラック企業、しかも縁もゆかりもない新潟市配属w
初めての土日は、上司のクルマの洗車というナニっぷりw
「半ドン」時代の末期でしたw
当然、休日なんぞほとんどなく、会社の寮の行事やら先輩の仕事に同行やら手伝いやらなんやら。
バイクに乗って遊びに出掛けるとか、新兵には夢のまた夢みたいなアレでございましたw
でも、ウツ病とか見たことも聞いたこともなかったにゃぁ。。。
1年目は給料貯めて、まず、クルマ。
購入したのは、中古のシティターボⅡ(通称ブルドッグ)。
詐称しちーぼーいにはジャストミートなチョイスwww
いやめっちゃエキサイティングなクルマで、アクセル踏み込んではニヤニヤしちゃうようなクルマでした。
コイツのおかげでスターレットターボとかマーチスーパーターボとか世に爆誕した、アツい時代でしたw
スパイクタイヤがご禁制になる少し前で、新潟市内はFFでも困ることはほとんどなかったのですw
2年目の夏の賞与で、社会人として初めて購入したバイクがエリミ400でした。
新潟市周辺はアチコチ行きましたが、特段の思い出もないにゃぁ。。。
ちな、ブルドッグはタイヘンに短命で、エリミを買う頃には縁石に突っ込んでフレームまでアレにwww
poita右側に写り込んでるエクサが、マイおクルマw
当時流行のデートカーwとして活躍いたしましたwww
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d6/97009d633bf2bd9de0d3de0531d96e3f.jpg)
入社してエリミが来るまで約一年半。
この期間はバイク持ってなかったし全く乗らなかったw
poitaの人生で脇にバイクがなかったのは、この期間だけでございますw
なんせ、社会人1年目w
お仕事関係でコキ使われて(教育されていた、が実態と先輩になってから知る)忙しい上に、なんせクルマが手元にあるw
先輩社員はアートフォースシルビアとか4WSプレリュードとか、オネェチャン載せて槍隊砲台www
この会社の社員、フツーに新潟ではモテたし、自由な行動ができるのは主に深夜帯w
後輩たるpoitaも、ひたすらその道で精進続けることとなったのですw
このpoitaがですよ?「マハラジャ」に毎週のように逝ってましたものw
会社の寮ではテレクラ遊びが流行ってて、コレに没頭したのもブルドッグを手に入れてからw
6畳一間、共用廊下トイレ風呂の社員寮にまでおにゃのこアレしたり、リアル『立体忍者活劇 天誅』www
マジメな恋もしましたが「ソレとコレとは別」なんて、マジサイテーなゴミクズw
アタマのなかは常におっぱいでいっぱいでござるよwみたいなwww
バイクどこではない、ってのがその頃のpoita。
エリミネーター400。
ハリケーンのハンドルってばタイヘンよろしい、ってのを教えてくれた一台。
6台目 VFR400Z
写真はラクーンのダチと一緒に行った東北ツアーのワンカットw
ガス欠して、ダチに助けてもらったので、反省の一枚www
写真、ロクなのがないw
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e5/cdd7e837a19fa80703d88f273d5cfa4b.jpg)
会社の都合で「オマエ実家埼玉だろ、千葉ならよかんべ?」と千葉に転勤して(させられて)間もなく。
実家はだいぶ近くなったものの、千葉も当然のように知人友人誰もおらず。
地元埼玉のダチも、ラクーンのアイツさえJCの活動にどっぷりハマってて。
自分もそうですが、みんな成長し、変わっていて、poitaにかまってくれるアレはあまりいなかったのです。
結果として、バイクがオトモダチ、みたいなナニになっていたような気もしますwww
そうやって、バイクとの付き合いが増えてきましたら、ただ走るだけのクルーザっぽいエリミに飽きてきたのです。
んで、コイツに乗り換え。
当時のホンダ、やたらV4に注力してた時期でして。
いやー、コイツが速かった(400ccとしては)w
ノンカウルのくせにメーターフルスケールまで、その先もありそうなくらい伸びる伸びるw
同じ4発でもXJやエリミと違って、盛り上がりなくそのままずーっと回転が上がっていく感じw
機体の安定感、運動性も申し分なく「走る・曲がる・止まる」とはこういうもんか、そうなのか。
でも、タイヘンに懐が深くて、コケたり事故ったりというのも無かった、従順な機体でもありました。
シゴトも新兵から半人前に育ち、時間を作るスキルも身につき始めた頃。
千葉は峠というかくねくね道も多く、毎週末ごとに出かけるようになりましたのです。
「速くなりたい」ではなく、「上手くなりたい」と希求し始めました証左でございます。
せめて、自分がこの機体に釣り合うように。
バイクに、速度に、耽溺し始めたのがこのバイクからでございますw
そうそう。
あのバカとの初見はこのバイクで済ませていたらしいw
だいぶ経ってから、ヤツに聞いたw
こちらは全く印象もなく覚えておりませんでしたのですが、ヤツはソレにめっちゃムカついたらしいwww
知るかそんなのwww
ふと気づけば、バイクにおける「グランツーリスモ」に憧れるようになっておりました。
「最速のバイク」ではなく「メーカーの威信をかけた最強のバイク」。
400cc最速から派生したネイキッドの魁は、グランツーリスモを我が手に求める渇きを与えたのでございます。
時間を作っては幕張、大型二輪一発受験にいくようになり、6回目で合格。
VFRは、次の大型バイクの下取りとしてショップへ売却。
VFR400Z。
「最強のバイク」への予感と渇きを与えてくれたエポックメイキングな一台。
6台目のバイクでコイツに出会わなかったら、バイクは6台で卒業してたかも知んないw
バイク来歴~(4)に続きます。
記録映像はございませんw
BBAをアレした後、ビミョーに「反省期間」的な時期があったのです。
当然、その間は同級生に借りたチャリがメインウェポンだったのです。
そんなとこに神降臨。
「クルマ買うたんや、オレのバイク買わへん?困ってんねやろ?」
「おいくら万円?」
「うーん、2万走ってるし、10万でええよ」
「5万でw」
「んじゃ、キズだらけやし、中とって75千円」
「おげ、この色だし、7万でw」
「オマエは名古屋人(えげつない値切り方をなぜか名古屋呼ばわりする習慣)かwww」
コレがあの名車、YSP特別塗装のXJ400Dだったのです、なぜかフェンダーはメッキだったけどw
この色、めっちゃ不評だったんですよwww
今見ると、カコイイけどw
このバイクも普段の下駄兼一張羅として活躍しました、しましたがw
ある日、帰宅してチャリ置き場にXJを入庫してみると竹槍が3本しかないwww
内部が錆びまくってて、振動で破断したらしく、無くなってたw
修理するおカネなんかないので、しかたなく、そのまま乗ってたw
あまり爆音なカンジでもなかったしw
でも、他のマフラーが落ちても困るし、事故を体験した後だったんでひたすらイイ子に。
3本竹槍のXJに乗って、貯めに貯めた資金で、大学4年の夏休みに普通免許取得w
秋になるころ、一留の先輩が「もう乗らんから、やるわ」といってpoitaに軽自動車を下賜w
軽自動車ったって、電気屋さんのおさがりカラーそのままで2ストエンジンのバンだったw
ちな、その先輩が入手したのはマイティボーイだったwwww
でも、人生初めての自分のクルマ、ってのがまた楽しくってw
真冬のとある夜、芦原空手の先輩と下宿で飲んでまして、っつーか飲まされてまして。
近くにある短大の女子寮に乗り付けてナニしようで!ってことで大盛り上がりしましたのです。
先輩とふたりで電気屋ペイントの軽バンで、女子寮に乗り付けて半袖Tシャツ悪人面の酔っ払い学生2名が大声でナンパw
当然のように蔑視されただけで、特段の何もなくw
「ワヤやわ、あのオンナらぁwww」とか悪態ついてゲラゲラw
盛り上がっていたせいか、夜間だったせいか、なぜか田んぼの畦道に進入。
あかんあかんあかん、コレ絶対オチるでwwww
なにビってんスか、ちょろいもんっスよwwwww
関東弁やめぇwww 何遍ゆーたらわかるんや、アタマわるいのぅwww
血がしちーぼーいっスからwww
あほぬかせwwおとんもおかんも徳島人やろwww
道がだんだん細くなって、50㎝高の畦から刈跡の田んぼに「ごろん!」wwwww
天地が逆になり、シートに座った体制で逆立ちみたいになって、一気に酔いが醒めたw
車に乗ってて逆さまになったのは、人間50有余年、下天のうちをくらぶればこの時だけw
何とか脱出できた車外、ふたりでタバコふかしながら、あおのけになったクルマを眺めてさらにバカ笑いwww
ダメなのおまいらだよwwwwwww
しかも、サイテーw
なんで、あんなに楽しかったんだろ?
poitaは学寮OBだったので、大いばりで学寮に電話して人海戦術。
真っ暗の中、人力でクルマを田んぼから担ぎ出したwwwww
自分先輩含め13人だったかな?
この軽バンに全員乗せて、ラーメンおごってめっちゃ散財、で事なきを得ましたw
これ以上の過積載、したことないですwwwww
おっと、脱線(脱輪かw)。
んなこんなで、ほとんどXJに乗らなくなったのです。
たぶん、主体的に誰かとどこかへ出る、そんなのが楽しくて仕方なかったんだと思うのですw
んで、XJは中免取得した後輩に「お祝い」と称して処分したのですw
軽バンも卒業と同時に後輩にあげましたw
XJ400D・YSP。
竹槍が1本失くなった以外、特段の思い出がない一台w
同時期乗ってた軽バンのほうが思い出多いよwww
5台目 エリミネーター400(ZL400A)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/44/fa7a63b885a08250903676f23fca224a.jpg)
大学卒業して就職したのは、ほぼほぼブラック企業、しかも縁もゆかりもない新潟市配属w
初めての土日は、上司のクルマの洗車というナニっぷりw
「半ドン」時代の末期でしたw
当然、休日なんぞほとんどなく、会社の寮の行事やら先輩の仕事に同行やら手伝いやらなんやら。
バイクに乗って遊びに出掛けるとか、新兵には夢のまた夢みたいなアレでございましたw
でも、ウツ病とか見たことも聞いたこともなかったにゃぁ。。。
1年目は給料貯めて、まず、クルマ。
購入したのは、中古のシティターボⅡ(通称ブルドッグ)。
詐称しちーぼーいにはジャストミートなチョイスwww
いやめっちゃエキサイティングなクルマで、アクセル踏み込んではニヤニヤしちゃうようなクルマでした。
コイツのおかげでスターレットターボとかマーチスーパーターボとか世に爆誕した、アツい時代でしたw
スパイクタイヤがご禁制になる少し前で、新潟市内はFFでも困ることはほとんどなかったのですw
2年目の夏の賞与で、社会人として初めて購入したバイクがエリミ400でした。
新潟市周辺はアチコチ行きましたが、特段の思い出もないにゃぁ。。。
ちな、ブルドッグはタイヘンに短命で、エリミを買う頃には縁石に突っ込んでフレームまでアレにwww
poita右側に写り込んでるエクサが、マイおクルマw
当時流行のデートカーwとして活躍いたしましたwww
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d6/97009d633bf2bd9de0d3de0531d96e3f.jpg)
入社してエリミが来るまで約一年半。
この期間はバイク持ってなかったし全く乗らなかったw
poitaの人生で脇にバイクがなかったのは、この期間だけでございますw
なんせ、社会人1年目w
お仕事関係でコキ使われて(教育されていた、が実態と先輩になってから知る)忙しい上に、なんせクルマが手元にあるw
先輩社員はアートフォースシルビアとか4WSプレリュードとか、オネェチャン載せて槍隊砲台www
この会社の社員、フツーに新潟ではモテたし、自由な行動ができるのは主に深夜帯w
後輩たるpoitaも、ひたすらその道で精進続けることとなったのですw
このpoitaがですよ?「マハラジャ」に毎週のように逝ってましたものw
会社の寮ではテレクラ遊びが流行ってて、コレに没頭したのもブルドッグを手に入れてからw
6畳一間、共用廊下トイレ風呂の社員寮にまでおにゃのこアレしたり、リアル『立体忍者活劇 天誅』www
マジメな恋もしましたが「ソレとコレとは別」なんて、マジサイテーなゴミクズw
アタマのなかは常におっぱいでいっぱいでござるよwみたいなwww
バイクどこではない、ってのがその頃のpoita。
エリミネーター400。
ハリケーンのハンドルってばタイヘンよろしい、ってのを教えてくれた一台。
6台目 VFR400Z
写真はラクーンのダチと一緒に行った東北ツアーのワンカットw
ガス欠して、ダチに助けてもらったので、反省の一枚www
写真、ロクなのがないw
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e5/cdd7e837a19fa80703d88f273d5cfa4b.jpg)
会社の都合で「オマエ実家埼玉だろ、千葉ならよかんべ?」と千葉に転勤して(させられて)間もなく。
実家はだいぶ近くなったものの、千葉も当然のように知人友人誰もおらず。
地元埼玉のダチも、ラクーンのアイツさえJCの活動にどっぷりハマってて。
自分もそうですが、みんな成長し、変わっていて、poitaにかまってくれるアレはあまりいなかったのです。
結果として、バイクがオトモダチ、みたいなナニになっていたような気もしますwww
そうやって、バイクとの付き合いが増えてきましたら、ただ走るだけのクルーザっぽいエリミに飽きてきたのです。
んで、コイツに乗り換え。
当時のホンダ、やたらV4に注力してた時期でして。
いやー、コイツが速かった(400ccとしては)w
ノンカウルのくせにメーターフルスケールまで、その先もありそうなくらい伸びる伸びるw
同じ4発でもXJやエリミと違って、盛り上がりなくそのままずーっと回転が上がっていく感じw
機体の安定感、運動性も申し分なく「走る・曲がる・止まる」とはこういうもんか、そうなのか。
でも、タイヘンに懐が深くて、コケたり事故ったりというのも無かった、従順な機体でもありました。
シゴトも新兵から半人前に育ち、時間を作るスキルも身につき始めた頃。
千葉は峠というかくねくね道も多く、毎週末ごとに出かけるようになりましたのです。
「速くなりたい」ではなく、「上手くなりたい」と希求し始めました証左でございます。
せめて、自分がこの機体に釣り合うように。
バイクに、速度に、耽溺し始めたのがこのバイクからでございますw
そうそう。
あのバカとの初見はこのバイクで済ませていたらしいw
だいぶ経ってから、ヤツに聞いたw
こちらは全く印象もなく覚えておりませんでしたのですが、ヤツはソレにめっちゃムカついたらしいwww
知るかそんなのwww
ふと気づけば、バイクにおける「グランツーリスモ」に憧れるようになっておりました。
「最速のバイク」ではなく「メーカーの威信をかけた最強のバイク」。
400cc最速から派生したネイキッドの魁は、グランツーリスモを我が手に求める渇きを与えたのでございます。
時間を作っては幕張、大型二輪一発受験にいくようになり、6回目で合格。
VFRは、次の大型バイクの下取りとしてショップへ売却。
VFR400Z。
「最強のバイク」への予感と渇きを与えてくれたエポックメイキングな一台。
6台目のバイクでコイツに出会わなかったら、バイクは6台で卒業してたかも知んないw
バイク来歴~(4)に続きます。
ほんと速かったですなぁ
それでも、何だかの不具合というか、不満が全くなかった記憶でございますw
従順で速い、でも、エキサイティングさはあまり感じられない不思議なバイクでしたw
今となってみれば「もう一度咀嚼してみたいバイク」の一台でございますwww