山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

四国遍路第3番奥の院 愛染院

2020年03月18日 | 神社・仏閣

四国をお遍路していると、巡礼は奥が深いとつくづく感じます。

四国巡礼88か所と思われがちですが、お寺によって「奥の院」と呼ばれるお寺さんがあったり、四国別格霊場もあるし、四国36不動霊場もあるし、もうキリがないんですよね。

4年前歩きで四国の徳島を遍路して、2番さんから3番さんに向かっていた途中で立ち寄った「愛染院」さんですが、その時は3番さんの奥の院とはその時は知らなかったんです。

その時、境内で可愛い猫ちゃんがお迎えしてくれました。

私は、お遍路の場所じゃないんだ、と思って納経場にも立ち寄らず、でも納札箱があるので納めただけで、今思えば大変失礼なことしたなぁ~、って思ってます。

それで猫ちゃんのために「チャオチュール」を買って、お参りしました。

本当に逆遍路って、道の印象が全く変わるんですよね。

わらじの仁王門。

仁王門では、右でも左でもどちらからでも良いのですが、おのおのに合掌します。

お参りさせていただきます、の心で。

愛染院は、高野山真言宗。

本尊は不動明王で、別名「那東のお不動さん」とよばれているそうです。

伝承によれば平安時代前期の弘仁7年(816年)四国を巡錫中の弘法大師がこの地に霊気を感じ、みずから不動明王を刻み、ここに本尊として安置したのが始まりと言われています。

明治・大正時代までは「阿弥陀寺」と呼ばれていましたが、大正10年に四国21番札所太龍寺の境内にあった「愛染院」と合併し、現在の寺名となったそうです。 


天正10年(1582年)長宗我部元親の阿波進攻に際し、中富川の戦いにおいて討ち死にしたと伝えられている、この地を治めていた板西城主の赤澤信濃守崇伝の廟が祀られているそうです。

そしていつのころからか、この廟に参詣すると腰から下の病が治癒するとの信仰を集めるようになります。

信濃守が履いていた草鞋の紐が切れたために戦に負けてしまったという言い伝えのためか、治癒した信者は当院に草鞋を奉納する習わしがあり、赤澤信濃守廟と仁王門の前にはそれぞれ大わらじが奉納されています。 

全国的にも珍しく、四国ではここだけの「刷毛書き」の納経を頂くことができます。

ご住職が不在の場合は書き置きの納経を頂けます。

ご住職様がおられたので、貴重な刷毛書きを頂くことができました。

本当にありがたいと思いました。

書くのは相当難しいものと推測します。

頂く前に「四国3番じゃないけど」と念を押されました。

お四国の納経帳には、最後のほうに白紙の紙がありますから、私はそこにいただきました。

大きい納経帳のほうが迫力がありますよ。

まるで梵字が飛び出て見えるような凄さです。

でも刷毛書きは繊細なため、紙質によって変わってくるそうです。

 

4年前に私が会った猫ちゃんは、残念ながらもう、身を消してしまい、数年前から姿を見せなくなったとのことでした。

そうでしたか・・・。

でも、こうして君のために会いに来れてよかった。

猫ちゃん、本当にありがとうね。

合掌

 


四国遍路5番~1番歩き(1)

2020年03月17日 | 神社・仏閣

3月、とある日の徳島駅構内。

心がほっとしますね。

フェルトで作ったお重が豪華ですね。

可愛い~~♪

駅前のバスロータリーで「鍛冶屋原線 鍛冶屋車庫行」のバスを待ちます。

私の姿は、白衣にお杖を持った歩き遍路。

いよいよ、歩き遍路始まりです♪

でも外は雨。

「あすたむらんど」を経由して「羅漢」で下車。

いよいよです。

5番地蔵寺。

真言宗御室派。

ご本尊は、延命地蔵 胎内仏・勝軍地蔵菩薩(伝弘法大師作)さま。

樹齢は800年を超えるといわれる大銀杏。

あろうことか、ライターをどこかで落としてしまったらしく、慌てて納経場へ。

ライター売っていました。

良かった、よかった。

モクレンの花の香りが、こんなに素敵な匂いとは今まで気づかなかったです。

空気が綺麗だから、ですよね。

4番大日寺。

少し雨が小降りになって、着きました。

おととし修繕中だった山門が綺麗になっていました。

東寺真言宗。
ご本尊は、大日如来(伝弘法大師作)さま。

西国三十三観音霊場にまつわる御像が安置されています。

納経場で、住職さまと少しおしゃべりをしました。

柴犬のだいちゃんは今も元気。

境内にいた猫ちゃんは、昨年姿を見せなくなったそうです。

次は第3番金泉寺の奥の院「愛染院」まで歩きます。

お寺の納経場では「愛染院までのルートわかりますか?」と住職様がとても親切でしたが、4年前の歩き遍路とは違い、今はスマホ時代。

「大丈夫です~♪」と言った私ですが、途中ルートを間違えてしまい、お犬様にワンワンとけたたましく吠えられてしまったのでした。

汗。

スマホに任せきりでは情けないですね。

自分のかつての記憶を思い起してルート変更。

とはいっても100ⅿ程度のロスで済みました。

地蔵寺~愛染院の歩き遍路のコースは、古い遍路道が残っていて、私は好きなんですよね。

とても短いルートなのですが。

本当に少しだけ、こんな道があります。

いかにも遍路道って感じで、ワクワクしました。

子供の時、山遊びが好きだったからかな?

歩いていると、とても幸せな気持ちになって「私は幸せです。楽しすぎます。ありがとうございます」と心の中で何度も呟きました。


御髪神社

2020年03月12日 | 神社・仏閣

嵯峨観光鉄道「トロッコ嵐山駅」駅前すぐに、日本で唯一の「髪」の神社があります。

「御髪神社」

御髪神社は髪結業の始祖である、藤原采女亮政之を祀っているそうです。
政之の父の基晴は宮中の宝物係でしたが、宝物紛失の責任をとり諸国を行脚する旅に出ることになり、政之はその費用を稼ぐ為、髪結業を始めたそうです。

なんと、髪塚に自分の献髪したものを献納し御祈祷してくださるようです。

お守りが個性的で可愛いですね。

匠守は、はさみがついているので「ハサミは切れますか?」とお聞きしたところ、あくまでもお守りのため、切れない設計になっているそうです。

ご朱印もいただけるようです。

美容関係の方が多くお参りされているとか。

髪はいつまでも美しく、ふさふさでありたいと思いますよね。

 


天龍寺

2020年03月10日 | 神社・仏閣

嵯峨野の天龍寺は、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。

足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、1339年(暦応2)夢窓国師を開山として創建。

室町時代には京都五山の第一位を占めたそうです。

創建以来、8度にわたる大火にあい、創建当時の壮大な面影今は残っていません。い。

日本で最初に史跡・特別名勝に指定され1994年(平成6)12月には「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録。

晴天に恵まれ、気持ちよいお参りとなりました。

新緑や紅葉の時期は、さぞかし美しい景観となることでしょう。

法堂。
寄棟造の浅瓦葺で、東を正面としています。

天井は鏡天井で鈴木松年により明治32年(1899)に描かれた雲に乗る龍の絵だったそうですが、平成9年(1997)に法「堂移築100年夢窓国師650年遠諱記念事業」として加山又造画伯により新しく雲龍図が制作されました。

明治32年(1899)建立の庫裡。

庫裏は七堂伽藍の一つで、台所兼寺務所の機能を持つそうです。

方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せ、白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出し、天龍寺景観の象徴ともいわれています。

また、玄関に入ると、正面に大衝立の達磨図が見れるそうです。

前管長である平田精耕老師の筆によるもので、方丈の床の間などにも同じ達磨図が見られるそうです。

庭園(曹源池・百花苑)、諸堂(大方丈・書院・多宝殿、特別公開の法堂「雲龍図」を拝観すると、1300円もするのでやめにしました。

飛雲観音さま。

次は、竹林の小径に行ってみましょう♪

 

 


仁和寺

2020年03月08日 | 神社・仏閣

かつて私の高校生時代は女子高でしたが、校則が厳しくて、なかでも古典の先生が授業のなかで強烈な罰則を強いて、授業が苦行で、今でも思い出したくないほどです。

その先生が殊に好んでテストや話題にしたのが「仁和寺のある法師」。

徒然草の第52段から54段に登場してきます。

四国遍路を始めるようになったのをきっかけに、空海さま(南無大師遍照金剛)が開いた真言宗に興味が湧くようになりました。

現在真言宗は「十八本山」といわれ、仁和寺は御室派寺院として知られています。

嵐電利用では、御室仁和寺駅下車。

JR嵯峨野線では、花園駅下車。

京都では珍しい道路に面した「二王門」(京都3大門のひとつ)より足を一歩踏み入れると、広大な境内には国宝の「金堂」をはじめ、重要文化財の「五重塔」「御影堂」「観音堂」や、御殿内の「遼廓亭」「飛濤亭」などがあります。。

皇族や貴族とのゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる、御所風建築物が特長。

仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、現在は真言宗御室派の総本山です。

仁和寺の歴史は、仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まりますが、翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、寛平9年(897年)に譲位し、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となります。

以降、皇室出身者が仁和寺の代々住職(門跡)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。 

その日、金堂では行事がありました。

お御影堂。

一願不動堂。

水掛のお不動さま。

観音堂。

仁和寺では、御室桜が有名で、京都で一番遅い開花の桜なのだそうです。

そのため、普段は入山無料なのですが、「御室花まつり」の頃は特別入山料がいります。

また「御殿」は通年、拝観料がかかります。

その日は、仁和寺の「御室流華道」の展示が行われていました。

襖絵などを見ながら庭園へと進みます。

雅で格式高い寺院さんだと感じました。

私個人として、少し禅宗の雰囲気も感じました。

御室駅から、次は嵐山に向かいます。