山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

仁和寺宿坊 御室会館

2020年03月06日 | 神社・仏閣

龍安寺から「きぬかけの路」を歩きます。

真言宗御室派の別格本山「蓮華寺」は、本堂の阿弥陀如来をお祀りし、不動堂には五智不動明王をお祀りし、近畿36不動尊霊場15番となっています。

その向かいにある真言宗御室派総本山の仁和寺境内にある「御室会館」がその日のお宿です。

建物に入り、チェックインします。

ロビーでは,おみやげ物や素敵な陶器などが並んでいました。

いかにも京都らしい、粋な湯飲み茶碗に心を奪われました。

仁和寺は「花まつり」期間を除いては境内の拝観が無料ですが、御殿・庭園は拝観料(500円)がかかります。

宿坊の宿泊特典として、無料拝観チケットをいただきました。

2020年3月20日~5月31日まで、国宝の薬師如来坐像を初公開するのだそうです。

お部屋は和室でした。

お風呂は夜11時までとのこと。

ちょうど長湯を楽しめる湯加減でした。

その日は、私ひとりしかお客さんがいないとのこと。

私一人では勿体ないくらいの湯舟に浸かれるなんて、なんという贅沢でしょう!

お食事もとてもおいしかったです。

朝のお勤めは6時半です。

金堂と呼ばれる朝のお勤め場所まで宿坊の御室会館から少し歩きます。

朝のお勤めは私一人だけでしたが、読経のあとお坊さんからの法話があり、主に仁和寺の歴史や境内の見どころがお話の内容でした。

私一人のために時間を割いて下さり、本当にありがたいと思いました。

合掌

朝ごはんは7時半からですので、境内を少し散策してから、宿坊に戻りました。


龍安寺

2020年03月05日 | 神社・仏閣

臨済宗妙心寺大本山から世界文化遺産となっている龍安寺(りょうあんじ)を歩いてみました。

龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山と号していますが、妙心寺との関係が深く、山内塔頭と同様の扱いを受けているそうです。

ことに石庭が有名。

ご本尊は釈迦如来さま。

開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承。

3月のその日は、青空の下にまるで墨絵で描いたような、木々が息を潜めているかのような、静寂感が漂う景色でした。

桜でも咲いたなら、風景は一変するのでしょうね。

新コロナウィルスの影響で、不思議なくらい観光客が少なかったです。

一日でも早く終息しますように。

石庭で有名な庭園の拝観は500円。

襖絵を見ながら庭園へ。

海外のお客様たちが多く、真剣に庭園を眺めていました。

んん~、私には感動の気持ちは起こってこない。

よくわかりませんでした、この石庭の素晴らしさが。

石庭は、幅 25 m奥行 10 mほどの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置。

これらの石は3種類に大別できるそうです。

各所にある比較的大きな4石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山から西山一帯に多い山石の地石。

塀ぎわの細長い石他2石は京都府丹波あたりの山石。

その他の9石は三波川変成帯で見られる緑色片岩。

この庭は石の配置から「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」の別称があるそうです。

またどの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置されていることや、これらの石は全て戦国武将の織田信定が運んだことでも有名なのだそうです。

どこから鑑賞しても庭石が14個までしか見えないようになっているのは、ある石に別の石が重なるよう設計されているためで、日本庭園における「重なり志向」を表したものともいわれているそうです。 

 

さて、このお寺のご朱印をいただきましたが、とても変わったご朱印でした。

本来ご朱印の真ん中にくるのがご本尊さまなのですが、そこには「石庭」と記されていました。

ご本尊さまより、石庭のほうがこのお寺にとっては重要ということでしょうか?

観光客にとっては、その表記のほうが思い出しやすいのかもしれませんが、私としてはご朱印のありがたさを感じることができませんでした。

ご朱印の見本が掲示してあったら、私は頂かなかったと思います。

帰り道、こんな景色のほうが私は好きだなぁ、と思いました。

苔と木々の静かな息遣いを感じる大地に、光が命を繋いでいる感じ。

木々の芽吹きの頃は、まったく違う景色になるのだろうと思います。

訪れるものの心に四季が投影され、自分自身に反映される喜怒哀楽の分かりやすさが、京都の魅力だと感じました。

傍には、龍安寺名物の湯とうふ店「七くさ」がありました。

ゆったり時間を過ごしたい方には、石庭の庭園とお散歩と湯豆腐をセットでいかがでしょうか。

 

 

 

 


大本山妙心寺

2020年03月04日 | 神社・仏閣

今年ご縁があって、自宅に近い臨済宗妙心寺派のお寺さんに、毎月のお写経会と座禅に行っています。

ご住職さまも奥様も、こちらが驚いてしまうほど、物腰もお心もお優しくて、本当に心が洗われるというのはこういうことなんだなぁ~と感じる、素晴らしいお寺さんです。

今回京都の旅の目的のひとつは、その妙心寺派の大本山をお参りすることでした。

京都駅より、JR嵯峨野線「花園駅」下車。

駅の雰囲気が好きな感じだな、と思いました。

駅から5分くらいでしょうか、南門が見えてきました。

妙心寺の諸堂伽藍は典型的な禅宗様式で日本随一といわれ、その七堂伽藍を46もの塔頭が取り囲んでいます。

ひとつの町のような広さを誇る、といわれています。

各塔頭では、拝観料を支払って庭園などを公開しているお寺さんもあれば、ご朱印をいただけるお寺さんもあれば、そうではないお寺さんも。

私の調べでは、妙心寺で2つの塔頭さんが宿坊をされています。

ひとつは精進料理で有名な「東林院」さんで、電話予約してみましたが、おひとりさまは受付できません、とのことでした。

もうひとつは「大心院」さん。

「妙心寺派研修センター」は、大衆禅堂とは在家の方、一般の方を対象とした坐禅会を行っており、毎週土曜日18:00〜 日曜日 午前9:00迄というスケジュールで、日曜日朝食(粥座)つきで、夜食、入浴なし、初回 2,000円(2回目より1,000円)があります。

※現在新コロナウィルスのため休講しています。

その日は、重要文化財「明智風呂」が特別公開されていました。(拝観料別途)

臨済宗は、三大禅宗のひとつで、他に曹洞宗、黄檗宗。

臨済宗の開祖は栄西さんですが、その法系は途絶えてしまい、現在は江戸中期の白隠さんの法系になっています。

そうして臨済宗の伝統的な本山は14あるとされており、それぞれ一つの派を形成しており、各本山に各開山の禅風が継承されているそうです。

その一つ、臨済宗妙心寺派の大本山、妙心寺の山号は「正法山」。

妙心寺は、建武4年(1337)に関山慧玄禅師(無相大師)を開山に迎え、花園法皇の離宮を改め禅寺としたのが始まりです。

のちに黄檗宗の開祖となる隠元さんは、日本からの招請に応じて来日し、臨済宗妙心寺に入寺する予定もあったのですが、実現しなかったといわれています。

禅宗の特徴のひとつに座禅がありますが、臨済宗は看話禅、曹洞宗は黙照禅、黄檗宗は念仏禅と表現されています。

私が禅宗の教えの中で好きなところは、「整える」ということ。

その日、重要文化財の法堂と大庫裏を拝観しました。

法堂と書いて、はっとうと呼びますが、明暦2年(1656)に建立された入母屋造本瓦葺の大建築で、高さ13メートルの天井には狩野探幽の大傑作「雲龍図」を見ることができます。
また、堂内には吉田兼好の「徒然草」にも記されている、国宝の梵鐘「黄鐘調の鐘」が安置されています。

ご朱印を頂くところで、拝観料を払い、ガイド案内の時間を待ちます。

12時以外は20分間隔で、ガイド付き拝観ができます。

その他、写経、座禅などの体験もできるようでした。

※現在新コロナウィルスのため休講しています。

法堂の「雲龍図」は、どこから見ても自分のほうを向いていることから「八方にらみの龍」といわれ、狩野探幽が8年の歳月をかけて描かれたといわれています。

写真撮影は不可です。

力強く完璧で、妙心寺の「雲龍図」には圧倒されました。

国宝の梵鐘は鐘をつくと痛むため、過去の鐘をついた音をガイドさんの案内で、かつての音を聞くことができます。

次に案内された「大庫裡」は妙心寺の台所として、土間と大庫裏と小庫裏に分かれています。

一度に何百人もの食事を一度に調理、配膳することができるそうです。

各塔頭も気になります。

凛とした佇まいですね。

妙心寺の境内は、生活道路としても貢献しているようです。

ごみ一つなく、整然として気持ちの良い小路でした。

この道を通って、石庭で知られている龍安寺に向かいます。

 

 

 

 

 


東寺

2020年03月03日 | 神社・仏閣

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の寺院で、真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山。

東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄え「お大師様の寺」とも呼ばれています。

ご本尊は薬師如来さま。 

1934年(昭和9年)に国の史跡に指され、1994年(平成6年)12月には「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産に登録されています。

工事中箇所あり。

お寺さんは、維持していくのにたくさんお金がかかりますね。

国宝の五重塔は、京都のシンボルとなっています。

高さ54.8メートルもあり、木造塔としては日本一の高さを誇っています。

3月の上旬。

冷たい雨が降り、庭園はまだ春の賑わいを迎える前の、静寂が漂っています。

そんな中でもピンクが際立って見えます。

早咲の「河津桜」です。

癒されますね♪

京都駅から、歩いて15分程度。

お手水で清めてからお参りします。

お御影堂はまだ、仮の立た住まいでした。

建物内で靴を脱いで、お大師様の前でお経をあげます。

おつとめが終わって振り向くと、順番を待っている方々がいて、ちょっと気恥ずかしい~。

昨年の3月に工事中だった建物は、なかば完成していました。

金堂には、ご本尊の薬師如来がお祀りされています。

よくみると、薬師如来でありながら薬壺を持っていません。

これは古い様式の仏像で、光背に七体の化仏を配する七仏薬師如来となのだそうです。

右側は、日光菩薩。左側は、月光菩薩がお祀りされています。 

講堂には、大日如来を中心とした二十一尊の仏さまが講堂の須弥壇にお祀りされています。

2018年の秋に初めて訪れた時には、仏像を背後からも見ることができましたが、今回は通行止めのポールが立っており、正面からしか見ることはできませんでした。

お堂の中で自然な形でお祀りされているがために、仏像の傷みは避けて通れないものと推測します。

講堂の仏像の配置は立体曼荼羅となっているといいます。

お手洗いの建物ができて、気持ちよく拝観ができました。

緑が増えてくる時節になれば、もっと美しい眺めになるのでなることでしょう。

 

 


坂東三十三観音巡礼 第13番浅草寺

2020年02月07日 | 神社・仏閣

この写真、内容は2020年1月30日のものとなります。

坂東三十三観音巡礼日帰りバスツアーの翌日、公共機関で第13番浅草寺をお参りしました。

調べてみると、浅草寺は、聖観音宗の寺院です。

「雷門」で有名ですよね。

聖観音宗は、浅草寺を本山とした仏教の1宗派の総本山。

東京都内でも浅草寺は最古と言われるほど歴史は古く、1950年より前は聖観音宗ではなく天台宗に属していたそうです。

1950年以降は支院25ヵ寺、末社18舎を率いる聖観音宗の総本山となりました。

浅草寺自体は飛鳥時代の628年からその歴史が始まります。

浅草寺のホームページではこのような歴史の記載があります。

浅草寺は、1400年近い歴史をもつ観音霊場である。寺伝によると、ご本尊がお姿を現されたのは、飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝であった。
宮戸川(今の隅田川)のほとりに住む檜前浜成・竹成兄弟が漁をしている最中、投網の中に一躰の像を発見した。仏像のことをよく知らなかった浜成・竹成兄弟は、像を水中に投じ、場所を変えて何度か網を打った。しかしそのたびに尊像が網にかかるばかりで、魚は捕れなかったので兄弟はこの尊像を持ち帰った。
土師中知(名前には諸説あり)という土地の長に見てもらうと、聖観世音菩薩の尊像であるとわかった。

そして翌19日の朝、里の童子たちが草でつくったお堂に、この観音さまをお祀りした。

「御名を称えて一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏さまである」と、浜成・竹成兄弟や近隣の人びとに語り聞かせた中知は、やがて私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に生涯を捧げた。

やがて大化元年(645)、勝海上人という僧が当山に立ち寄り、観音堂を修造。

ある夜、上人の夢に観音さまが現れ、「みだりに拝するなかれ」と告げられた。以来今日まで、ご本尊を厨子(御宮殿)深く秘仏として奉安している。
平安初期の天安元年(857)、比叡山第3世天台座主慈覚大師円仁が来山し、その後浅草の地は、宗教的な聖地として次第に発展していく。

その後大地震や火災に見舞われ、数々のエピソードを経ますが、坂東に三十三観音札所が整えられたのは鎌倉時代初期。このとき、第十三番霊場となった浅草寺は、東京都内では唯一の札所となりました。

契機となったのは、源平の戦いで西上した武者たちが、西国三十三観音札所を見聞して信心を深めたから、とされているようです。

その後、武将たちの庇護を受け、浅草寺の霊験は広まるのですが、 江戸幕府時代には次第に財政難となり、元禄の観音堂大修復以後、「お手許不如意」ということで、公儀普請(幕府が費用を負担する公共事業)がなくなってしまいます。

その後の営繕は庶民の浄財によって成されることにより、浅草寺と庶民との結縁はより一層強まっていったといわれています。

仲見世が並び、巡礼という堅苦しさはなく、観光といった雰囲気です。

西国三十三観音巡礼に例えると、東の浅草寺、西の清水寺という気がしてきました。

宝蔵門には、「元版一切経(国の重要文化財)」が収蔵されているそうです。

厚労省は1月28日に開いた緊急会見で、新型コロナウイルスで日本人の感染者が初めて確認されたことを明らかにした影響と思いますが、想像以上に人が少ないなぁ、という印象がありました。
今後は旅は暫く諦めなければならない日が来る、そんな気がしながらのお参りでした。

朱に塗られた五重塔は華美で、金の相輪がまた見事な美しさです。

雷門からの拝観に1~2時間はかけたいものです。

お手水舎。

ここの天井には「墨絵の龍」(東 韶光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上に、かつて本堂裏にあった噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像(沙竭羅龍王像)がお祀りされています。

浅草寺の本堂の前にある常香炉は、その煙を自分の身体の悪い部分に当てると良くなるといわれているそうです。

参拝前に煙を浴びると、心身のお清めにもつながるのだとか???

今までの私の観音巡礼や四国遍路では、線香を浴びるなどということをする方もおられなかったので、浅草寺独特のいわれがあるのかな、と私個人は解釈しています。

さて、ご朱印場である影向堂に入ってみましょう。

ご朱印帳は一旦預ける形でしたが、混んでなかったのですぐに渡して頂くことができました。

浅草寺では、観世音菩薩のお説法やご活躍に不断に協力されている仏さまを「影向衆」と呼び、影向堂に生れ年(干支)ごとの守り本尊八体、千手観音、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来をお祀りされています。

堂内は内陣と外陣に分かれ、内陣の須弥壇中央に聖観世音菩薩さま、外陣に浅草名所七福神の大黒天を祀っています。

お参りのあとは、浅草寺といえば、おみくじですよねぇ~。
100円を箱に納めた後、おみくじ箱をふって出た串の番号と同じ番号のを扉を開けて1枚いただきます。
浅草寺では「凶」の出る確率が30%といわれていますよ。
実際、数十年前に引いたとき、人生初めての「凶」をいただきショックを受けた記憶があります。
今回はいかが・・・?

よかった~、「吉」をいただきました♪

年を重ねて、少しステップアップできているのかな??

だと良いですけど。