奈良・母子放火殺人は痛ましい事件だ。
犯人である高一の少年の亡くなった母親ときょうだいに対してでもあるが、
この少年のことを考えると実に辛い。
新聞やテレビの報道だけで軽はずみなことを書いてはいけないが、
この少年と父親の関係を想像すると寒気がする。
何があったんだこの親子には…?
いつも父親の部屋で勉強をさせられていたらしい。
厳しい態度で父親は少年の勉強に接していたらしい。
> 事件があった20日の午後、
> 高校では保護者に中間試験の結果が渡される
> 「学年保護者会」が予定されていた。
> 長男はこの保護者会を強く意識していたとも述べており、
> 県警は事件のきっかけになった可能性もあるとみている。
( 2006年06月23日03時05分のasahi.com )
少年は父親に、中間試験で下がった英語の成績について
「父親に『できた』とうそをついてしまった」といっていたようだ。
その日の保護者会で中間試験の結果が報告される予定で、
捜査本部は長男がうそ発覚を恐れ犯行に及んだ可能性が高いとみている。
母親がその日の保護者会に行く予定だったらしい。
私のような勉強もしないでいい加減な人生を生きてきた者は、
息子に対して厳しいことはあまりいわないできた。
(ただし、人間として他の人間への接し方や口のきき方には
厳しくいってきたつもりだ)
なので、息子たちはろくな勉強もしないで大学を出て社会人になった。
私はどっちかというと、勉強より遊ぶことを勧めてきた。
(なんといっても、学問には自信のない私です。
そうなんです。酒の飲み方なんて教えなかったが、
私の飲んでる後ろ姿を見て息子たちは生きてきた)
高卒で、社会の底辺を生きてきた私は、自分をどこかで唾棄している。
そのくせ、ある意味そんな自分をいとおしくも思っている。
(今日のおれは何が書きたいんだ)
勉強は大切だけど、一人の少年を“人を殺してもいいや”
なんて思わせるほど、勉強に向かわせてはならない。
この父親と酒を飲んでみたい。
息子をどんな人間にしたかったのかと、訊きたい。
私はいい加減な男です。
息子たちも“いい加減”な男になっていると思う。
“いい加減”でいい。
双子で生まれた息子の“いい加減”な片方は、9月に父親になる。
おそらくあいつも“いい加減”な子育てをするのだろう。
それでいい。