「銀の匙」(中勘助著 岩波文庫)がすばらしい本だ、
ときいたのはいつのことか。
たしか私が日本女子大の書籍部にいたとき(21歳のころ)だったと思う。
大学生協連に加盟している大学生協書籍部の新人研修会のときだったと思う。
この本はいい本でよく売れるから常備にするように、
なんてことを大学生協東京事業連合の講師からいわれた記憶がある。
そのときからこの「銀の匙」は、
私の心の隅っこに小骨が刺さったように存在していた。
いつか読もうと思っていました。
そしてとうとう読みました。
私の感想としては、つまんなかった。
あの文豪、夏目漱石が
「未曾有の秀作として絶賛をおしまなかった名篇」と腰巻きに書いてある。
あの漱石のいうことに間違いはない。
九想の感想なんてなんの価値もない。
あァ…、これで九想の、
文章を鑑賞する感性のないことが明らかになってしまった。
この“小説”は私に、
あらためて私の小さかった頃の貧しさを思い知らせてくれた。
私は、茨城の片田舎の百姓のせがれです。
祖父母と両親、3人の姉と1人の兄のきょうだいの末っ子で、
私のことなんてかまってくれる人はいなかった。
すべて自分のことは自分で処理しなければならない。
この本の主人公のように、いつも「坊っちゃん 坊っちゃん」と
気にかけれくれる伯母さんはいなかった。
伯母さんに対する主人公の思いは理解できる。
読んでて切なくなるところもあった。
でも私としては「あまったれてんじゃねぇ」と思った。
食べ物なんてなかった。
百姓の子どもなのに野菜が嫌いだった。
だから私はいつも醤油を麦飯にかけて食べていた。
家で飼っていた鶏の卵は近所に売るので、私は食べられなかった。
いつもは親父が生卵として食べていた。
私がご飯に生卵がかけられるのはたまにだった。
それも、兄と私で1この卵なんです。
最後は醤油を足してそれをご飯にかけた。
幼なじみで女の子なんて私にはいなかった。
いることはいたが話もできなかった。
女の子となんて遊んだこともなかった。
あァ…、じつに味気ない幼少時代だった。
これは、たんなる主人公に対するひがみ、やっかみだな。
この歳になってお恥ずかしいかぎりです。
こんど生まれてくるときは、もう少し暮らしに余裕のある家がいいな。
ときいたのはいつのことか。
たしか私が日本女子大の書籍部にいたとき(21歳のころ)だったと思う。
大学生協連に加盟している大学生協書籍部の新人研修会のときだったと思う。
この本はいい本でよく売れるから常備にするように、
なんてことを大学生協東京事業連合の講師からいわれた記憶がある。
そのときからこの「銀の匙」は、
私の心の隅っこに小骨が刺さったように存在していた。
いつか読もうと思っていました。
そしてとうとう読みました。
私の感想としては、つまんなかった。
あの文豪、夏目漱石が
「未曾有の秀作として絶賛をおしまなかった名篇」と腰巻きに書いてある。
あの漱石のいうことに間違いはない。
九想の感想なんてなんの価値もない。
あァ…、これで九想の、
文章を鑑賞する感性のないことが明らかになってしまった。
この“小説”は私に、
あらためて私の小さかった頃の貧しさを思い知らせてくれた。
私は、茨城の片田舎の百姓のせがれです。
祖父母と両親、3人の姉と1人の兄のきょうだいの末っ子で、
私のことなんてかまってくれる人はいなかった。
すべて自分のことは自分で処理しなければならない。
この本の主人公のように、いつも「坊っちゃん 坊っちゃん」と
気にかけれくれる伯母さんはいなかった。
伯母さんに対する主人公の思いは理解できる。
読んでて切なくなるところもあった。
でも私としては「あまったれてんじゃねぇ」と思った。
食べ物なんてなかった。
百姓の子どもなのに野菜が嫌いだった。
だから私はいつも醤油を麦飯にかけて食べていた。
家で飼っていた鶏の卵は近所に売るので、私は食べられなかった。
いつもは親父が生卵として食べていた。
私がご飯に生卵がかけられるのはたまにだった。
それも、兄と私で1この卵なんです。
最後は醤油を足してそれをご飯にかけた。
幼なじみで女の子なんて私にはいなかった。
いることはいたが話もできなかった。
女の子となんて遊んだこともなかった。
あァ…、じつに味気ない幼少時代だった。
これは、たんなる主人公に対するひがみ、やっかみだな。
この歳になってお恥ずかしいかぎりです。
こんど生まれてくるときは、もう少し暮らしに余裕のある家がいいな。