「檀」沢木耕太郎著(新潮文庫)を9月に読み終えた。
<じつに不思議な作品である。>
と解説の長部日出雄が書いている。
私もそう思う。
<この作品は、毎週一度ずつ一年間ほど、ヨソ子婦人に
インタビューを重ねた著者が、妻の視点に立って『火宅の人』の
作家檀一雄の姿を描きだす……という方法で書かれた。>
これを長部は、次のように書いている。
<まさに「四人称」ともいうべき、きわめて独特の視点をもつものとなった。>
私は、檀一雄が書いた「火宅の人」を20代の頃に読んだ。
読んで感動した記憶がある。
そのときに、男としての私は、檀の立場からしか読んでいなかった。
檀一雄の妻として生きた女性のことなど考えることはなかった、と思う。
妻として辛かったろうなとしみじみ「檀」を読んで考えた。
「僕はヒーさんと事を起こしたからね」
息子の次郎が日本脳炎を発病して1年後の8月に、檀からいわれる。
ヒーさんというのは、入江杏子という新劇の女優で、
「火宅の人」では恵子という名前になっている。
本名は久恵というところから、檀はヒーさんと呼んでいた。
> 夜が明けてきても、私はまだ眠れなかった。
> どう考えても許せなかった。私は私なりに檀に尽くしてきた。
> もちろん、尽くすということが何か特別なことだったとは思わない。
> 戦前に生まれ育った女である私は、檀に対してというばかりでなく、
> 夫たる男性に対して、尽くすということにより他に接する方法を
> 知らなかっただけなのだ。おまけに、その尽くし方も、
> 愚かしく不器用なものだったと思う。しかし、それはそれとして、
> 裏切られたという怒りが込み上げてくるのを抑えることはできなかった。
> 家を出よう、と思った。このまま家に留まることは、
> 愛人の存在を認めることになる。それはいやだった。
翌日、ヨソ子婦人は家を出た。
そして2週間後に家に戻った。
それからの暮らしが大変だった。
なにしろ亭主が愛人と暮らし始めて家に帰ってこないのだ。
しかし、最後には檀一雄は奥さんのところに戻る。
檀一雄は、奥さんを愛していたのだろうな。
それでも愛人をつくる。
でもこれは男のわがままだな。
私が東大生協に勤めていた頃、仕事を終え帰るときに、
檀ふみが、東大の学生たちと楽しそうに話していたのを見たことがある。
きれいだな、と思った。
彼女は私より2歳年下だ。
檀ふみも“火宅”の中で暮らしていた。
<じつに不思議な作品である。>
と解説の長部日出雄が書いている。
私もそう思う。
<この作品は、毎週一度ずつ一年間ほど、ヨソ子婦人に
インタビューを重ねた著者が、妻の視点に立って『火宅の人』の
作家檀一雄の姿を描きだす……という方法で書かれた。>
これを長部は、次のように書いている。
<まさに「四人称」ともいうべき、きわめて独特の視点をもつものとなった。>
私は、檀一雄が書いた「火宅の人」を20代の頃に読んだ。
読んで感動した記憶がある。
そのときに、男としての私は、檀の立場からしか読んでいなかった。
檀一雄の妻として生きた女性のことなど考えることはなかった、と思う。
妻として辛かったろうなとしみじみ「檀」を読んで考えた。
「僕はヒーさんと事を起こしたからね」
息子の次郎が日本脳炎を発病して1年後の8月に、檀からいわれる。
ヒーさんというのは、入江杏子という新劇の女優で、
「火宅の人」では恵子という名前になっている。
本名は久恵というところから、檀はヒーさんと呼んでいた。
> 夜が明けてきても、私はまだ眠れなかった。
> どう考えても許せなかった。私は私なりに檀に尽くしてきた。
> もちろん、尽くすということが何か特別なことだったとは思わない。
> 戦前に生まれ育った女である私は、檀に対してというばかりでなく、
> 夫たる男性に対して、尽くすということにより他に接する方法を
> 知らなかっただけなのだ。おまけに、その尽くし方も、
> 愚かしく不器用なものだったと思う。しかし、それはそれとして、
> 裏切られたという怒りが込み上げてくるのを抑えることはできなかった。
> 家を出よう、と思った。このまま家に留まることは、
> 愛人の存在を認めることになる。それはいやだった。
翌日、ヨソ子婦人は家を出た。
そして2週間後に家に戻った。
それからの暮らしが大変だった。
なにしろ亭主が愛人と暮らし始めて家に帰ってこないのだ。
しかし、最後には檀一雄は奥さんのところに戻る。
檀一雄は、奥さんを愛していたのだろうな。
それでも愛人をつくる。
でもこれは男のわがままだな。
私が東大生協に勤めていた頃、仕事を終え帰るときに、
檀ふみが、東大の学生たちと楽しそうに話していたのを見たことがある。
きれいだな、と思った。
彼女は私より2歳年下だ。
檀ふみも“火宅”の中で暮らしていた。