鍛地陽子フラメンコ教室発表会が10月4日(土)にあった。
つれあいは、新所沢にあった教室の先生が亡くなってから、
東京にあるこのフラメンコ教室に通っている。
女房はこの先生の踊りが一番好きだ、という。
午後1時開演で、私は12時40分に新宿のエル・フラメンコに着いた。
客席はほぼうまっていた。
やっぱりもっと早く来ればよかった、と後悔した。
奥のほうに歩いていくと、「お父さん」と呼ぶ声がした。
まさか私のこととは思わなかった。
「お父さん」なんてこれまでいわれたことはない。
でも、もう一度「お父さん」と呼ばれた。
確かに私に向かっていっていた。
声のするほうを見ると見知らぬ男女と赤ちゃんがいた。
見知らぬと思ったがよく見ると、私の息子と嫁と孫だった。
そういえば発表会に来ると女房から聞いていた。
いい席に坐れないことにがっかりしていた私の心が持ち上がった。
孫は、うさぎさんの耳のように髪を結わいていた。
いつもと違う環境に戸惑っているようだった。
そんな孫を見ているだけで私の心は癒やされた。
女房の出番は、3番目の「ソレア」だった。
4人で踊った。
女房はきちんとしっかり踊っていた。
息子に抱かれて孫は、静かにステージを見ていた。
おばあちゃんがフラメンコを踊っている。
どんな気持ちで孫はそれを見ていたか。
おばあちゃんは孫にフラメンコをやらせたいと思っている。
孫が退屈だろうから、女房の踊りが終わったら帰っていいよ、
と私は息子にいっていた。
でも、そのまま息子たちは見ていた。
孫も静かに見ていた。
休憩時間にトイレに行こうとしたら女房が外にいた。
私は息子たちのところに戻って外に出るようにいった。
女房は孫を見て目を細めて喜んでいた。
まわりの友人たちに息子たちを紹介していた。
私はただデジカメで写真を撮っていた。
息子にもう帰れば、というと
嫁が「私は最後まで見たい」という。
孫はずうっとおとなしく見ていた(少し寝ていたかな)。
こういう時間を孫と過ごせることを私は幸せだと思った。
つれあいは、新所沢にあった教室の先生が亡くなってから、
東京にあるこのフラメンコ教室に通っている。
女房はこの先生の踊りが一番好きだ、という。
午後1時開演で、私は12時40分に新宿のエル・フラメンコに着いた。
客席はほぼうまっていた。
やっぱりもっと早く来ればよかった、と後悔した。
奥のほうに歩いていくと、「お父さん」と呼ぶ声がした。
まさか私のこととは思わなかった。
「お父さん」なんてこれまでいわれたことはない。
でも、もう一度「お父さん」と呼ばれた。
確かに私に向かっていっていた。
声のするほうを見ると見知らぬ男女と赤ちゃんがいた。
見知らぬと思ったがよく見ると、私の息子と嫁と孫だった。
そういえば発表会に来ると女房から聞いていた。
いい席に坐れないことにがっかりしていた私の心が持ち上がった。
孫は、うさぎさんの耳のように髪を結わいていた。
いつもと違う環境に戸惑っているようだった。
そんな孫を見ているだけで私の心は癒やされた。
女房の出番は、3番目の「ソレア」だった。
4人で踊った。
女房はきちんとしっかり踊っていた。
息子に抱かれて孫は、静かにステージを見ていた。
おばあちゃんがフラメンコを踊っている。
どんな気持ちで孫はそれを見ていたか。
おばあちゃんは孫にフラメンコをやらせたいと思っている。
孫が退屈だろうから、女房の踊りが終わったら帰っていいよ、
と私は息子にいっていた。
でも、そのまま息子たちは見ていた。
孫も静かに見ていた。
休憩時間にトイレに行こうとしたら女房が外にいた。
私は息子たちのところに戻って外に出るようにいった。
女房は孫を見て目を細めて喜んでいた。
まわりの友人たちに息子たちを紹介していた。
私はただデジカメで写真を撮っていた。
息子にもう帰れば、というと
嫁が「私は最後まで見たい」という。
孫はずうっとおとなしく見ていた(少し寝ていたかな)。
こういう時間を孫と過ごせることを私は幸せだと思った。