ヤマハ銀座店

2010年06月01日 | 健康・病気
5時10分ほど前、ヤマハ銀座店の前を通り過ぎた。
店の前で黒のスーツを着た男女が、
大きな声で呼び込みをしていたから、
それで、通り過ぎてしまった。
なにやってんだ。私は、ヤマハに行ったのに…。
心を入れ替え、戻って店内に入った。
コンサートが始まるという。
何でもいいや聴いてやれ、と思って、
10ほど並んでいたイスの一番前の真ん中に坐った。

5時からライブが始まった。
ベーシスト1人の演奏だった。
弾いていたのは、ヤマハのサイレント・ベースだった。
ベース以外の楽器が録音された“カラオケ”で、
ベースを弾いた。

よかった。
私の2メートルほど前で見るベースの演奏、感激でした。
ネックの4本の弦の上を激しく移動する左手の指。
弦をはじく右手の指。
息詰まるものを感じた。

このベーシストは、
子どもの頃クラシックピアノを練習していた。
18歳(?)のとき、
あるバンドに入ったらベースを誰もやらなかった。
それでベースを弾くようになった、という。
それからベースを弾いている。

フォービートのジャズっぽい曲もあり、
エイトビートのクロスオーバー的な曲もあった。
聴いていて、あーおれも人前で演奏したい!!
と思った。  ん…?

あ、こんどの土曜日「ワイワイがやがやコンサート」が
パンカーラであるんだっけ。
でも練習してないしな…。
どうしよう?
明日には、こんど演奏する曲をマスターに連絡しなくては…。

ヤマハ銀座店が新装開店したのはいつなんだろう?
去年、来たときには工事をしていた。
私が、初めてヤマハ銀座店に行ったのは、
高校3年生のときで、先生と
コンクールで演奏する曲の楽譜を買いに行った。
その曲で私たちは、その夏のコンクールで銅賞を取った。
初めて参加したにしてはよかったと思う。

そのときに私は、雑誌売り場にあった「現代ギター」
という雑誌を買った。
立ち読みしたその雑誌の後ろのほうに、
「弟子募集」と書いた中出ギター製作所の広告があった。
それを見て、私は中出ギター製作所に手紙を書いたのです。
「弟子にして下さい」と。

あのとき先生が、
「コンクールにやる曲の楽譜を買いに銀座に行こう」
なんていわなければ、私は、高校出たときに、
あんな挫折を味あわなかったかも知れない。
いや、それはバカないいぐさだ。
私が、あの雑誌の広告を見て、
手紙を書いたのが失敗だったのではないか。

でも、あの広告はそのときの私にとって魅力的でした。
「おれは、世界一のギターを作るんだ」と夢を見させてくれた。
高校では就職担当の先生が、
「おまえはここに行け」とクラスで一番早く、
就職する会社を紹介してくれた。
私は、吹奏楽部の部長をしていて、成績もそこそこでした(?)。
その先生に、手工ギター工房の弟子になるといったら、
「**大丈夫か?」と心配してくれた。
しかし、世間知らずの私は、
「先生、大丈夫です。いいギター職人になります」といった。
その私は、弟子入りして3ヶ月後に挫折して茨城に戻った。
あ…、みっともない。

私の人生は、それから惨めなもんでした
これ以上書くと、今夜は長くなりますのでやめます。

ヤマハ銀座店には想い出があります。
上にあるヤマハホールにも何度もコンサートを聴きに行った。
今日、ヤマハ銀座店に行って思ったこと、
なんか以前のほうがよかったな。
なんか黒で統一してシックな雰囲気にしてあるが、
とても閉鎖的な感じだった。
B1のギター売り場、3Fの管楽器売り場に行ってみた。
狭いという感じがした。
以前の方が開放感があった。
試演奏できる部屋はいいと思った。
今日は、楽譜売り場に行ってない。
こんど行こう。
コメント
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