電車通勤

2007年10月11日 | 健康・病気
現在、電車通勤をしている。
これまで20年弱車通勤をしていた。
朝の7時半ぐらいに乗るのですが、混雑がすごい。
この感じ忘れていた。
池袋のホームに降りたら歩けなかった。
やはり車通勤がいいな。
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陶芸に戻る

2007年10月10日 | 健康・病気
今日、陶芸教室「彩工房」に行きました。
みっともなかったが、みんなに
「またやらせていただきたい」と頭を下げた。

やっぱり陶芸はやりたい。
前の仕事は、毎日15:15~23:50までの勤務。
これでは陶芸教室には行けない。
こんどの警備の仕事は24時間勤務だが、
明けの日が水曜日だったら行ける。
とうぜん、仕事で行けない日はあるはずだが、
月に2日以上水曜日が明けの日なら
陶芸教室に戻ろうと考えていた。
10月は、今日と17日が明けの日だ。
来週も陶芸に行ける。

土をいじって好みの形にして、
分からないままに釉薬をかけてできあがる陶器。
ものごとにこだわりすぎる私としては、
この気楽さが合っている。
一生続けて行きたいと思う。


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“3位”決定戦

2007年10月09日 | 健康・病気
今夜、ソフトバンクが勝ちましたね。
嬉しかった。
おれは、警備の仕事をしながらラジオを聞いていました。
王監督と誕生日の同じおれは、
ソフトバンクに日本シリーズに出てきてほしい。
当然、阪神と戦う。
そして、六甲おろしをうたわせていただきます。

思えばどちらもセ・パの3位でした。
これが真の“3位”決定戦だな。

               (10/10 追記)
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孫に会う

2007年10月09日 | 健康・病気
昨日、女房が息子に貸してあるビデオカメラを
取りに行くというので息子の家に行った。
孫と嫁のお菓子を買って行く。
息子は、日曜日、月曜日と出勤だった。
思ったとうり孫に泣かれた。
もう慣れているので驚きません。
いつになったら笑って迎えてくれるのだろう。

        (10/10 追記)
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ザ・警備員

2007年10月08日 | 健康・病気
昨日は、私の警備員としての第一日目でした。
なんと私が、あのお巡りさんとそっくりな制服姿で
24時間働いたのです。
我ながらなんともおかしな気持ちです。
あのようなかっこうをどちらかというと私は、
これまで“軽蔑”していたのです。

どんな警備の内容かということは書けません。
ちょっと普通の警備とは違うのです。
なにしろ24時間働いた。
立哨なんてこともやりました。
仮眠がなかなかできず困りました。

生きていくためにこれから警備員をしていきます。
なんとも忸怩たる思いです。

コメント (6)
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はっぴいえんど

2007年10月07日 | 健康・病気
今朝のなぎら健壱の
あの頃のフォークが聴きたい」(NHK第16:16 ~)は、
はっぴいえんどだった。
流れた曲は「風をあつめて」です。
この歌、おれ好きなんだよな。

                    (10/08 追記)
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野茂復活!?

2007年10月06日 | 健康・病気
野茂、ベネズエラへ 復帰目指しウインターリーグ参加(共同通信) - goo ニュース

米大リーグ復帰を目指す野茂が、
ベネズエラで今年のウインターリーグに参加するという。
しばらく野茂のことがマスコミから消えていた。
このニュースを読んで、おれはうれしくなった。
これからの野茂の活躍が楽しみだ。

桑田も来年、米大リーグに挑戦するという。
来年の野茂と桑田に期待したい。

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無職暮らし5

2007年10月06日 | 健康・病気
1階に降りて職業相談の手続きをした。
1時間半ほど待たされた。
紹介された会社の採用担当者が不在で、
あとで面接日を携帯電話に連絡、ということになった。

私は、職安をあとにしてやりきれない気持ちになっていた。
もう、中高年のこの私には、あんな仕事しかないのか、と。
ないのだから生きるためにはそれを選択するしかない。

家に帰って、警備の仕事で正社員はないのかな、とふと思い、
ネットで検索してみたら、パートより多くあった。
なんで私はパートを探したのだろう。
女房にいわれてなんとなくそれしか
もうおれにはないと思い込んでしまっていた。

正社員のほうは月給で表示してあり、社会保険なども加入できた。
探していると、勤務する場所は東京だが、
月給が21万から25万円というのがあった。
当然車通勤不可だが、そんなことはどうでもよかった。
それを見つけ出して、さっきの会社からそこに変更しようと思った。

午後3時になっていた。
まだ、さっき紹介された会社の採用担当者から電話は来ていなかった。
私は急いで職安に行った。なんとか電話のこないうちに変更しなければ。

そして紹介してもらう会社の変更ができた。
それにしても、これまで職業相談したときに、なんで職安の人は、
「パートの警備員なんかより、正社員の警備員のほうがいいですよ」
と、一言いってくれないのだろう、と悔しくなった。
私なんかより、そんなことは詳しいはずなのに。
私は少しでも収入の多い仕事をしたいと書類にも書いているし、
口頭でもいっていたのです。
職安の職員たちのおざなりな勤務態度にものすごく腹が立った。

とにかく私は、翌日(9月27日木曜日)、
その東京にある警備会社に面接に行った。
家から2時間ほどかかった。
“お上りさん”の私は、地下鉄の駅を出てから迷ってしまった。
2度警備会社に電話して、女性の道案内でなんとかたどり着けた。
こんな男は採用してくれないのではと情けない気持ちになった。
返事は次の日だった。
電話を待つ時間が辛かった。
午後3時前、採用の電話が来た。
これで今年3回目の無職暮らしが終わった。

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明日から、24時間勤務の警備の仕事になります。
(昨日までは、5日間の新人研修でした)
これまでは毎日九想話を書いてきましたが
明日からは難しいです。
休憩時間や仮眠のときに携帯電話で書こうと考えていますが、
どうなりますか。
みなさん、九想庵を見捨てないで下さい。
1週間に1度でいいですから、九想庵に遊びに来て下さい。


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無職暮らし4

2007年10月05日 | 健康・病気
それからまた、ネットのハローワークのページに行き、
パートの警備員の求人を探した。(9月26日水曜日)
就業場所が所沢で時給が1000円というのと、1100円のがあった。
どちらも1日8時間勤務(夜勤もある)で、週に4日程度働く、
と書いてある。

1000円のほうは、所沢の駅前近くにある高層のマンションの警備だった。
1100円のは、東所沢近くのパチンコ屋や焼き肉屋、スーパー銭湯などの
入ったビルの警備だった。どちらもマイカー通勤可だった。
どちらかというと私はマンションの警備のほうがいいな、と思った。
東所沢のほうは、以前、作業所の送迎をしていたとき、
そのビルの前の道路で警備員が車の誘導をしているのを見ていた。
あんなことはやりたくないな、というのが正直な気持ちだった。

しかし、ネットの求人情報だけでは月の収入がよく分からなかった。
それで私は、時給1000円のほうの会社に電話した。
「月にいくらぐらいの収入ですかね?」と訊くと、
「私は担当者ではないのではっきり答えられませんが、
 だいたい16万円ほどではないでしょうか」といってくれた。
正直、私は愕然とした。
女房にもメールすると、「安いね」と返ってきた。
とにかく私は、職安に行って1100円の警備会社を紹介してもらうことにした。
少しでも収入がいいなら、仕事の内容など選んでいられない、という気持ちだった。

紹介してもらう前に私は、雇用保険受給資格者証を持って2階に行った。
30分ほど待たされた。
これまでのいきさつを話すと、若い担当者は、
「3月に就職したときに、職安に就職したということをいって欲しかった。
 そしたら、今回退職したことで早く給付がもらえましたよ」という。
「でも、小さな会社では平日休むことはできないのですよ。
 やっと就職できた私としては『休ませてくれ』とはいえなかった」
「そういうことは私は分かりません。とにかく連絡していれば…」
「あなたは零細企業の実態を知らないのですか?
 とてもじゃないが、就職したばかりで平日に休ませてくれなんていえませんよ。
 それに、まさか半年後に膝を傷めて退社するとは
 そのときの私は思っていませんでした。長く勤めようと張り切っていたのです」
「私としては、ただ手続きだけはちゃんとして欲しいと…」
彼は下を向いて私の視線を外し、小さな声でぼそぼそといった。
私は、無神経な職安の若い職員にそのあとなにもいう気になれなかった。
彼としては、公務員としてただ目の前の書類を処理するばいいのだ。
私の事情などはどうでもいいのだろう。

                        ーつづくー

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無職暮らし3

2007年10月04日 | 健康・病気
所沢リハビリテーションの警備をする会社への紹介を依頼するために、
受付にお願いすると75番というプラスティックの“ふだ”をもらった。
カウンターでは4人が、職業相談をしていた。
その1人が呼んだ番号は52番だった。
私が呼ばれるのは何分後だろうと、力が抜けた。

11時過ぎ、女房からメールがあった。
「職安に行ってるのかな?」と。
女房は昼休みなんだろう。
「今、順番待っている」などと返信した。
40分ほどして、「75番の人」と呼ばれた。

私は、丁寧に頭を下げ、カウンターの前のイスに坐った。
1月に退職し、1ヶ月ほど職安で仕事を探し、
3月に就職したが、膝が悪くなり半年でその会社を辞めた、
ということを簡単に説明した。
すると、「そのときの雇用保険受給資格者証はありますか?」と訊く。
ある、と答えると、それを使えるから持ってくるようにという。
そんなことは、私には分からない。
「それじゃ、次のときに持ってきます」と私はいった。

私が紹介を希望した会社に担当者は電話をしてくれた。
そのとき、採用担当者はいなくて、
あとで私の携帯電話に面接の日などを連絡してくれることになった。
とりあえず紹介状はもらった。

家に帰って、首を長くして、微妙な気持ちで待っていたが、
夕方になっても、担当者から電話が来なかった。
午後6時過ぎ、こっちから電話をした。
すると、女性が出て、
「そこの求人はもう締め切りになりました」という。

ふざけやがって!だったら、求人票をとりさげておけばいいのに。
また振り出しに戻ってしまった。

                       ーつづくー



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