期日前投票

2007年10月21日 | 健康・病気
今日は、所沢市長選挙です。
おれは仕事なのて木曜日に期日前投票をしてきた。
市役所の1階にあった投票所にはかなり人が来ていた。
かんたんに投票できた。
期日前投票も特別なことではなくなったようだ。
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「肴や」開店

2007年10月20日 | 健康・病気
楽家があった店が一昨日、新しく開店した。
おれは昨日、7時すぎに行った。
一昨日は仕事だった。
すごい客の入りでした。
奥の板の間に楽家の常連がいたので、
そこに混ぜてもらった。
「肴や」をはじめたのは、
おれたちの仲間のくまさんだ。
どんな店になるのだろう。楽しみです。
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休肝日

2007年10月19日 | 健康・病気
警備の仕事をしてあきらかにいいことがあった。
それは月のうち半分は休肝日ということだ。
24時間勤務なのでそのときは酒が飲めない。

これまで1年間で酒を飲まない日なんて1日もなかった。
そのおれが、月の半分アルコール抜きの暮らしをするなんて。
信じられない。
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新任研修

2007年10月18日 | 健康・病気
私は、警備会社に採用され、10月1日から新任研修を受けた。
その研修は会社の近くの**区民館の会議室で5日間行われた。
初めて警備員になる人は、30時間の新任研修を受けなければならない、
と警備業法に決まっているそうだ。
私の他に4人いた。

 警備業務実施の基本原則
 1 警備業法の制定について
 2 警備業実施の基本原則について
 3 施設管理権について
 警備業法の適正な実施に必要な法令
 ◎憲法
 ◎刑法
 警備業務対象施設における人又は車両の出入管理方法
 巡回業務の効果的方法について
 警備員としてのモラル、指導及び教育の重要性
 サービス業としての警備業
 警備員の求められる信頼感
 事故発生時における警察・消防機関への連絡
 応急の処置
 遺失物法
 基本姿勢と礼式
 事故防止

なんてことを朝から夕方まで講義を受けた。
一言でいうと眠たかった。ひたすら睡魔と闘った5日間でした。

日本で警備業者が初めて設立されたのは1962年のことで、
東京オリンピックや大阪万国博覧会で国民に認知されたという。
私もよく観ていたテレビ番組の「ザ・ガードマン」で
一般の人に警備員という仕事が知られたようです。

木曜日の研修が終わって外に出たときに、
「もしよろしかったら、これから食事でもしませんか?」
と私がみんなにいってみた。
この研修が終わったらもう会えないだろうし、
こうして一緒に研修を受けた“仲間”のことを少しでも知りたかった。
1人が用事があるといって帰ったので、残りの4人で地下鉄に乗った。
御徒町で降りた。私にとって久しぶりの御徒町だった。
27歳のとき勤めていた広告代理店のあったところだ。

アメ横の人混みの中を4人で歩き、ガード下の居酒屋に入った。
3人が中生(生ビール中ジョッキ)、1人がウーロン茶をたのんだ。
(そのあと私だけ、日本酒なんぞ飲んでしまいました)
つまみは、もつ焼きと煮込み、冷や奴などをオーダーした。

ウーロン茶の人は60歳、お酒が飲めない人だった。
自動車教習所の教官を40年間勤め、今年定年退職した。
しばらく遊んでいたが仕事でもしようと警備員を選んだ。
退職金はかなりもらって生活には困っていないという。
現在、銃刀法の免許の取得をしているところで、
免許が取れたら銃を買って猟をしたいということだった。
散弾銃のカタログなど見せてくれた。
散弾銃は安いもので50万円ほどすると話していた。
年金をもらっているので、月の収入が多いと困るといっていた。

あと2人は57と58歳の人だった。
58歳の人は独身だった。
以前は商社に勤めていて、中国などに2、3年駐在していたらしい。
上海のことに詳しかった。

57歳の人は1年前に会社が倒産した土木設計士だった。
職安を通して土木設計の会社に何社か応募したが、みな断られたという。
それで土木設計以外の会社に応募してもだめだった。
年齢不問と書いてあってもおれは絶対年齢で落とされたと憤っていた。
私とこのことで意気投合した。

その日都合がわるく来られなかった人は60歳で、
研修の休憩時間に私と外でタバコを吸っていろいろ話していた。
建具の会社を40年ほどやっていたが、
悪い業者から支払いをしてもらえなくなり、10年前に会社を閉め、
それからタクシードライバーやトラック運転手をしていたという。
日に15、6時間働いても月に13万ほどしかならないときもあり、
バカバカしくて運転手は辞めた、といっていた。

それにしても、私が一番若かったということがおかしかった。
これまでどちらかというと、私が一番年上だった。
今の世の中、警備員という仕事は、
中高年の吹きだまりなんだなとしみじみ思った。
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初めての休日

2007年10月17日 | 健康・病気
今日は、警備の仕事を始めて最初の休日だった。
24時間勤務を5回続けるのは辛かった。
もともとは、7日、9日、11日の勤務あと13日が休みだった。
ところが、同じグループの人が別な所の補勤に行くことになり、
シフトが変わった。
こういうことはけっこうあるようだ。

義母が姉のところにいくと出かけた。
私は朝飯を用意し食べてから忙しかった。
まず、ずーっと以前からやらなくてはと思っていた
包丁を研いだ。
そのあと私が使っていた扇風機を箱にしまった。
義母の部屋に電話をつないだ。
ビール、酒、焼酎がないので買いに行った。
酒類の安い店があるのです。
鳩時計が動かないのでみてみた。
結局、鳩時計はなぜ動かないかわからなかった。

そして、昨夜200円で借りてきたDVD「レイ」を観た。
この映画はずーっと観たいと思っていた。
レイ・チャールズという人はこういう人だったんだ。
いい映画だった。
音楽がよかった。

夜、陶芸教室に行った。
そのあと飲んだ。
飲んで文学の話をした。
いい休日だった。

それにしても、居眠りして目が覚めた自分が、
勤務中なのか、休日なのか判然としない。
しばらくボーとしていて、
「ああ…、おれは今日休みなんだ」と気がつく。
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途中下車

2007年10月16日 | 健康・病気
今朝の9時に仕事から解放された。
昨夜は風も強く寒かった。
午前2時半から5時半までの立哨が辛かった。
仮眠は合計3時間ほどしている。

地下鉄に乗って乗り換え駅に着く頃、
無性に、途中下車したくなった。
その小竹向原駅の近くに21年前まで勤めていたT電気製作所があった。
明日、明後日は、警備の仕事をして初めての休日になる。
心に少し開放感があった。
5日連続の24時間勤務はきつかった。

駅の出口を出る。
外の景色がまったく変わっている。
その辺は池袋まで歩いても20分ほどで行ける。

以前会社は板橋の常盤台(トキワダイ)にあった。
私が入社してまもなく小竹向原駅の近くに引っ越した。
あの頃、最初の半導体業界の好景気のときで、
会社の主力製品だったマスフローが売れていた。
マスフローという機器は、ガスの流量を制御するものです。
半導体を製造するとき必ず必要なもので、
それまで多くは、アメリカのメーカーのものが使われていたが、
T電気製作所が、それをうまくコピーして製造しはじめた。
アメリカのメーカーの輸入販売していた商社が、
マスフローが壊れたときにメーカーに戻さず、
T電気製作所に修理を依頼してきた。
若い1人の社員がそれをみごとに直してしまった。
修理してるうちに「こんなものなら造れる」ということになり、
T電気製作所で製造するようになった。
とうぜん、アメリカのメーカーの特許のところは外して製造した。

引っ越したとき地下鉄小竹向原駅はなかった。
東武東上線のときわ台駅からバスで10分ほどかかった。
その頃私は、埼玉県富士見市に住んでいた。
それまで働いていた時計部品メーカーが傾いて私は退職した。
あの頃も大変だった。息子たちは2、3歳の可愛いときだった。
私はいくつかの会社に応募したがうまくいかなかった。
女房が池袋の水商売の店で働くという決意をし、
面接を受けに行くとき一緒についていったこともあった。
店から出て来た女房に、
「やっぱりこんな店で働くのは反対だな」とやめてもらった。
そんなときに新聞の求人広告にあったT電気製作所に応募し採用された。

小さな工場から4階建てのビルに引っ越したとき会社は、
飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
マスフローは売れに売れていた。
私は最初、製造員として働いていたがそのうち資材購買に移った。
それから私は会社を替わっても、資材購買の仕事を何年もすることになった。
しかし、マスフローの売り上げは少しづつ落ち始めていた。
新しい製品開発がうまくいかなかったからだ。
なぜなら、はじめにマスフローをコピーした
優秀な社員が辞めた補充として私が入社したのです。
私は34歳のときその会社を退職した。
いろいろありました。

このあたりがT電気製作所だったなと思うところに着いた。
道路は変わりなかった。
T電気製作所の建物に着いたが、その看板はなかった。
紙の販売をする会社になっていた。
潰れてしまったのだろうか?


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阪神が消えた

2007年10月15日 | 健康・病気
昨日、クライマックスシリーズの阪神、中日戦を観た。
おれは、それなりの期待感を持ってテレビの前に坐った。
しかし、昨夜も初回に先制点を入れられてしまった。
そのままずるずる…。
そして今年が終わった。

これからはのんびりした気持ちで、
クライマックスシリーズ、
日本シリーズを眺めていられる。

               (10/16 加筆)
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女の子

2007年10月14日 | 健康・病気
私はあるマンションを2人で24時間警備している。
基本的には1時間交代で立哨している。

昨日の土曜日の昼ごろ、待機時間が終わり、
立哨しているもう1人の同僚の所に行った。
同僚といってもその人は70歳だ。
かわいい女の子2人と話していた。
「このマンションに住んでいる子たちだ。
 小学5年生で、いい子だよ」
と同僚がいって交代して行った。

「新しい警備員さんですか?」
「**です。よろしくね」
私に話しかけてきたコは笑顔が素敵だった。
もう1人は、人見知りをする感じのコだった。
2人は、私の立哨しているうしろに坐り、
なんだかんだ話していた。

そのうち立ち上がり踊り始めた。
「それ、なんていう踊りなの?」
私は楽しい気分になって訊いた。
「**踊りです。教頭先生が作ったんです」
「もう一度見せて」
盆踊りのような踊りを2人は踊ってくれた。
「こんど小学校の創立25周年のときに踊るんです」

このコたちは、どんな高校生、大学生に、
そして、女性になるのだろう?


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ビーサンのげんべい

2007年10月13日 | 健康・病気

今朝、ラジオに(有)ゲンベイ商店の経営者が出ていた。
 おれは知らなかったが、
日本一、ビーチサンダルを売っている会社だという。
こういう会社もあるのかと感心した。

 
元は足袋や手甲や脚絆を作る足袋屋、だったという。
この人が婿入りして、ビーチサンダル専門店にしたようだ。
インターネットでの販売が会社を成長させた。
ビーチサンダルという言葉は和製英語で、
これを世界で通じるようにしたいといっていた。
今の若者は「ビーサン」というのですね。



                  (10/14 追記)

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再就職の壁

2007年10月12日 | 健康・病気
  「再就職の壁」
  60歳からのハローワーク 
  清掃員は月16万円、駐車場管理人は6万円…

という記事が週刊文春にあったので本屋で立ち読みした。
私が体験したことが書いてあったので頷きながら読んだ。

現在、60歳で定年退職しても、なかなか年金だけでは暮らしていけず、
なんらかの仕事は続けていかなければならないようだ。

一人の人のことが書いてあった。
会社で人事の事務の仕事をずーっとやってきて、
退職してからもそういう募集はあるからそれをやろう、
と考えていたが、
実際、定年退職してそういう求人に応募すると、
60歳の人は採ってくれなかった。
現在は、駐車場の管理人を週4日ほどやっている。
どの求人にも中高年は応募できるが、
求人する会社側では採用する人の年齢は決めている。

現実的に中高年が採用されるのは、次の職種だそうだ。
1、清掃人、雑務人
2、警備員
3、駐車場管理人
私はとにかく“めでたく”2番目の警備員になれたんだな、
とあらためて思った。

うちの会社もまだまだ警備員を募集している。
もし希望者がいましたら、紹介します。
私が勤務しているところもあと1人募集している。
でも、24時間勤務なんていう仕事は、できればしないほうがいい。
つらいです。


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