「舟を編む」読了

2013年06月16日 | 健康・病気

「舟を編む」(三浦しをん著 光文社刊)を3日前に読み終えた。
つまんなかった。
あれほど期待して読み始めたのに…。
La pieさんがブログに書かれた気持ちを理解した。
この本を書店で見たときに「本屋大賞 第一位」という“腰巻き”に私は踊らされていたのかも知れない。
考えれば、これまで、本屋大賞に選ばれた本を読んだことはなかった。

「四」まではそこそこ面白かった。
> 「舟を編む」の感覚、私は好きです。
> まだ読了してませんが…。
などと、La pieさんのブログにコメントを書いてしまった。
小説の導入部はよかった。
新しい辞書企画の立ち上げ半ばで定年退職しなければならない荒木公平。
彼が後継者として選んだ営業部にいた馬締光也。
馬締が暮らす下宿「早雲荘」の大家の孫娘林香具矢。
玄武書房辞書編集部員の西岡正志。
この小説に登場する人物がそれぞれ魅力的だった。
ところが13年後になってからが退屈だった。
そのまま小説は終わってしまった。
「ナニ、これ?」という気持ちで読了した。

 

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句会の結果

2013年06月15日 | 健康・病気

5月の句会の結果が出た。
今回も、優勝させていただきました。
兼題は、「新樹」「薔薇」<“女”しばり>です。

 戸隠の新樹いまにも歩き出す       2 

 愚考して薔薇を送りし誕生日        6 

 限りなく女で歩く夏の街           6 

「新樹」という題には苦しみました。
次の句会の兼題が今日出た。
「明易し」「苺」覆盆子(いちご)<“白”しばり>
今月こそ早めに投句しよう。

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紙飛行機

2013年06月14日 | 健康・病気

井上陽水 / 紙飛行機



6月11日、ラジオ深夜便の午前2時台と3時台は、井上陽水へのインタビューだった。
「〔わたしの”がむしゃら”時代〕シンガーソングライター 井上陽水
この番組は、こちら ↑ で7月8日まで聴けます。

まさか陽水が、こういうラジオのインタビュー番組に出るなんて、
23歳で死んだ龍彦には想像も出来ないだろうな。
おれが、井上陽水を初めて聴いたのは、たしか、龍彦の住むアパートだったと思う。
龍彦は、同郷(山口県)の友人のアパートに居候をしていた。
場所は東京北区の王子駅から20分ほど歩くところだった。
龍彦の住むアパートに行ったのは、彼と知り合って1年近くたってからだと思う。
そのときに、龍彦の友人のステレオで拓郎と陽水の曲を聴いた。
拓郎と陽水を聴いておれは、それまで聴いていた曲とは違うものを感じた。

龍彦とは1972年に就職した会社で出会った。
おれが夜の予備校に入るために、龍彦はボクシングジムに行くために、
本郷三丁目の試薬会社に同じ求人広告を見て入社した。
おれは、夏休みあたりで夜の予備校生活(大学受験)に挫折し、
龍彦は、その晩秋にプロテストに合格し、4回戦ボーイのデビュー戦1週間前にボクシングから逃げた。
「人を殴ることが怖くなった」と、居酒屋で龍彦は震えながらいっていた。
それまでそれほど付き合いの少なかったおれと龍彦だったが、
それからは毎日のように、仕事が終わるとつるむようになった。

といっても龍彦もおれも安い給料なので、だいたいおれのアパートに龍彦が来ていた。
会社が本郷三丁目で、本郷通りを走るバスで龍彦もおれも通勤していた。
地理的に、本郷三丁目-駒込-王子というふうに本郷通りに並んでいる。
現在は、ここを地下鉄南北線なんてのが走っているんですね。
おれの三畳のアパートは駒込にあった。
乾き物とサバ缶、ビール・二級酒などを買ってアパートに帰った。
その頃おれはテレビなど持っていない。
あるのはラジカセとギターとリコーダーぐらいだった。

同じアパートのひとが、毎日アルトリコーダーを吹いていた。
バッハのフルートの楽譜をリコーダーで吹いていた。
そのひとは、芸大を落ちて山谷で週に2・3日、日雇いをして絵を描いていた。
といっても、ほとんどリコーダーを吹いているへんなひとだった。
そのひとと酒を飲むようになり、おれもリコーダーを吹くようになってしまった。

2人で飲んでいるとおれがギターを弾いて歌う。
龍彦もギターに触るようになる。
あるとき龍彦が「ギターを買った」とおれにいった。
それからあいつのギターは上達していった。
おれよりうまくなった。
おれたちは楽しく暮らしていたのにいきなり龍彦は会社を退職し、大阪に行ってしまった。
なのに半年もすると東京に戻ってきた。
で、三ヶ月いるとまた関西に逃げた。

関西で龍彦はギターを上達させた。
陽水のライブも何度か行って、そのようすをおれに話してくれた。
おれは、相変わらずギターは下手だし、暮らしも変わらなかった。
ただ、会社から家に帰ると小説だけは読んでいた。
そのうち演劇に目覚めた。
おれは役者になりたいと思い始めていた。

このあたりのことは憶えていることが正確ではない。
記憶が前後している。
その頃、龍彦はフォーク歌手を夢見ていた。
おれは、演劇の俳優を夢見ていた。
龍彦がよく歌っていた曲は「紙飛行機」だった。
この歌をYouTubeで見つけて聴いて、涙ボロボロです。

龍彦は、21か22歳のとき焼き物に憧れ萩に行った。
萩焼の窯元に弟子入りしたのです。
そこで…、

今日は、もう眠たい。
明日も仕事です。
これは6月14日としてUPしますが、今は15日(03:25)です。
九想話としては、おれが眠るまでが14日です。
このあとの龍彦のこと、気が向いたら書きます。
龍彦の人生は、「紙飛行機」だなとおれは思っています。

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囲碁

2013年06月12日 | 健康・病気

今日は、北軽井沢のSさんのお宅に遊びに行って、囲碁を教わった。
私は、以前から囲碁に憧れていた。
将棋は、20代にそれなりにやった。
囲碁はなんかとっつきにくかった。
まわりに将棋をやる人しかいなかったので将棋をやっていた。
最近は、その将棋さえほとんどやっていない。

先日のパンカーラでの「わいわいがやがやコンサート」で、
ハーモニカ演奏をした四日坊主さんがコンサートの最後に、
「みなさんの中で囲碁をやる人はいますか?」ということをおっしゃった。
誰もその質問に応える人はいなかった。
私の隣の席に戻ってきた四日坊主さんに、
「囲碁はまったくできないのですが、教えてくれますか」と私はいってみた。
私はこれからの老後に、囲碁を楽しめたらいいな、などと思ったのです。
私より一回り年上の四日坊主さんは快諾して下さった。
そういうわけで今日、四日坊主さん(Sさん)のところに行くことになりました。

今日は、囲碁のおおまかなことを教えていただいた。
私としては、茫漠としてつかみどころがない状態でした。
Sさんのやさしさでしょうか、
物置のようなところから将棋盤と駒を持ってきて指そうといってくれた。
正直なところ、将棋もここ何年も指していない。
戸惑ったが盤に駒を並べた。
指しているうちに少しづつ将棋の指し方を思い出してきた。
将棋を4・5回指して、なんとか勝たせていただいた。

Sさんは、アマチュアの四段で囲碁を指していたという。
「布石入門」という本を貸していただいた。
さあ、私は囲碁を打つようになれるのだろうか?
いつも時間がないといいながら、
新しいことにクビを突っ込んでしまう私の悪いクセが出てしまった日でした。

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居酒屋店主・中村重男

2013年06月10日 | 健康・病気

選りすぐりの酒と、素材にこだわった料理で、
数々の文化人や一流シェフを魅了する居酒屋店主・中村重男(55)。
今夜の「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK総合10:00~10:48)を観た。
中村重男は、朝早く市場に行き、よい食材を仕入れる。
仕事の休みの日は日本中に出かけて魅力的な食材を探していて、
いつも新しい料理を研究開発している。
料理人だったらこうゆうふうにやらないと、よい料理は作れないと思う。
むかし、日本料理店に勤めている友人から、たかが居酒屋じゃないか、といわれたらしい。
その居酒屋が、ミシュランに載っている。


8年前に、中村重男はJR福知山線脱線事故で奥様を亡くしていた。
そのとき店を閉じようと思ったらしい。何ヶ月か閉店したが、
しかし、まわりの人たちから「やめるな」「なめないで」という声があり、店を再開した。
店を開店すると一人息子といる時間がなくなることを心配したようだ。
息子の同級生の母親たちが交代で息子の弁当を作ってくれた。
奥様を脱線事故で亡くされて、気持ちの落ち込みはそうとうなものだったと推測する。
私なんか、だめでしょうね。

行けるものなら、あの店に行って酒を飲みたい。
脇にいた女房にいうと「私は行かない。だってお酒飲めないんだもの」という。
わが女房は、お酒は一滴も飲まない。

あの店は、同じ銘柄の酒もよそよりうまく飲めるらしい。
店主が、その酒の飲みどきをはかって出すという。
行きたいな、大阪のどこにあるのだろう?
さすがNHK、ホームページのどこにもその店のことを書いてない。

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みじめなライブ

2013年06月09日 | 健康・病気

  
うさぎ山もも代さん              グルーポ・デ・ルスカ            四日坊主さん

   
ARAN SAY1 さん                          ママからすべての客へのプレゼント           KSⅡ 2nd

  
HIROSHIさん                                    九想                    アール・クルー

 

昨日、私は夕方5時過ぎに家を出た。
それまでトイレでケーナの練習を必死でしていた。
何度練習しても指を間違えてしまう。
間際に真剣にやっても、こんな練習では身につきませんね。
これを教訓に、このライブが終わっても、これからは練習しよう、と決めた。
これまではライブが終わると半年はケーナを吹かない、こともあった。
これじゃだめだ。
パンカーラに着いて、本番が始まる前まで北軽井沢の草原でケーナを吹いた。

午後7時、定刻通り第13回わいわいがやがやコンサートが始まった。
そして7番目に私の出番がきた。
ダメでした。
もういけません。
根本からケーナを真剣に一からやりなおさないとダメだ。
情けない演奏だった。

<第13回わいわいがやがやコンサート プログラム>

第一部
Ⅰ うさぎ山もも代(ギター弾き語り)
  「ぐんま天文台の三大望遠鏡の歌シリーズより」

Ⅱ グルーポ・デ・ルスカ(ケーナとギター)
  1 リャキ・ルナ
  2 コンドルカンキ
  3 出会い
  4 陽気な柳

Ⅲ 四日坊主 (ハーモニカ)
  1 少年時代 (井上陽水)
  2 学生時代 (ペギー葉山)
  3 青春時代 (トップギャラン)

Ⅳ ARAN SAY1
    1 泣きながら
  2  水辺の花
  3  コンドルは飛んでいく

Ⅴ KSⅡ2nd
    1 IF
  2 チェンジ・ザ・ワールド

Ⅵ HIROSHI(ギター独奏)
  Asturias

Ⅶ 九想(ケーナ)
  El eco
    リャマの道

Ⅷ アール・クルー(ギターと歌)
  1  歩いて帰ろう
  2 追伸
  3 やさしさに包まれたなら

第二部 飛び入り演奏

久しぶりに、大酒を飲んで楽しもうと計画していたのですが、そんな気持ちにはなれず、落ち込んでいました。
いつまでたっても、ダメなワタシです。





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ラジオ文芸館

2013年06月08日 | 健康・病気

今朝のラジオ文芸館は、藤沢周平著「滴る汗」(「時雨みち」(新潮文庫)所収)だった。
ここのところ藤沢周平の小説を読んでいないので、久しぶりに、藤沢周平の文章を味わった。
布団に横になって聴いていたのですが、心地よかったです。
石澤典夫アナウンサーの朗読がよかった。

先週は、織田作之助著「昨日・今日・明日」だった。
私は、織田作之助の小説はまったく読んだことがないのですが、私の好きな小説だなと思った。

ラジオ文芸館←ここをクリックすると、NHKのサイトに行きます。
小説のあらすじが書いてありますから見て下さい。
このサイトに行くと、過去の朗読が聴けます。
こういうところがあると助かります。

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ふたりのいい女

2013年06月06日 | 健康・病気

昨夜(といっても6日0:30から)NHKEテレで「ミュージックポートレート」を再放送していた。
橋真梨子と萬田久子だった。
この番組は、2人がそれぞれに思い出の10曲を持ち寄り、過去を語るという番組だ。
今、ネットを見ていたら、本日11:25から“2夜”をやっていたんですね。
再放送は13日の0:30からと書いてある。
今夜家に帰って来たのが11:15、気がつくのが遅かったので観ていない。

“1夜”で2人が選んだ曲は、
橋真梨子
・明日になれば ザ・ピーナッツ
・メモリーズ・オブ・ユー ベニー・グッドマン
・ドクター・フィールグッド アレサ・フランクリン
・素直になれなくて シカゴ
・桃色吐息 橋真梨子

萬田久子
・おはなはん 連続テレビ小説テーマ曲
・メロディ・フェア ビー・ジーズ
・サムライ 沢田研二
・無造作紳士 ジェーン・パーキン
・ケアレス・ウイスパー ワム!

橋真梨子は、ザ・ピーナッツの歌を聴いて歌手になろうと思ったそうだ。
ジャズミュージシャンの父親が、ポップスもいいけどまずジャズをやれといったらしい。
父親は36歳の若さで亡くなった。
3曲目は、何度練習しても自分のものにならなかった。
自分にはソウルというものがないと知らされた曲。
「素直になれなくて」は、ソロになって4年間全然売れず、
33歳でものすごい失恋をして、しょっちゅうこの歌を歌っていたという。
(この曲、私も大好きです)
「桃色吐息」のヒットで運命が変わった。
橋真梨子の名前が世に初めて出た。
それまではペドロ&カプリシャスのボーカルとしかいわれなかった。
(「桃色吐息」を私は、昔カラオケでよく歌っていた)

萬田久子は小3のとき母親と毎日「おはなはん」を観ていた。
映画「小さな恋のメロディ」を何度も観た。
萬田は、マーク・レスターに恋をしたそうだ。
ミス・ユニバースに選ばれたときのゲストが沢田研二だった。
そのときに沢田がステージで「サムライ」を歌った。
1999年、みんなから反対されて上京。
一升瓶のワインをよく飲んでいたそうだ。
22歳で「なっちゃんの写真館」でデビュー、主役は星野知子。
萬田は挫折感を味わった。
5曲目の「ケアレス・ウイスパー」
26歳で佐々木力さんと恋に落ち、世界中を旅行した時に流れていた。
85年、夏目雅子が死んだ。
萬田はすごいショックを受けた。
彼女には遺作がいっぱいあるけど、自分には代表作がない。
どうなのよと思っている矢先の妊娠。
女優が面白くなくなり、NYで出産。
女優は自分の中では「辞めた」と思ったそうだ。

今日放送された番組のことはここにあります。
橋真梨子は、1949年生まれ、萬田久子は、1958年生まれ、どちらも私の好きな女性です。
出来ることならお酒でも飲んで話たいが、……………………………………………ムリですね。

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ケーナのこと

2013年06月05日 | 健康・病気

今夜8時過ぎ、私は北軽井沢のパンカーラに行った。
客がいないときにマスターとケーナの練習がしたいと考えたからです。
私の家(中軽井沢)からパンカーラまでは20kmあり、浅間山を越えていく。
北軽井沢は、長野県ではなく群馬県なんです。
パンカーラに着くと、駐車場に車が1台とバイクが1台停まっていた。
店に入ると当然2組の客がいました。
客がいては(パンカーラにとってはいいことです)、今夜はケーナの練習は出来ないなと諦めた。
注文した料理を食べたら帰ろうと思った。
マスターが私に気を遣って話しかけてくれる。
最近の私の生活のことなどを話す。
パンカーラに来る私の知り合いのことをマスターが報告してくれる。

そうしているうちに客がみんな帰った。
マスターとの練習が出来る環境になった。
最初に「リャマの道」を吹く。
だめだ、まったく音が出ない。
それにマスターのギターの音程に合わない。
ギターの音はチューナーで合わせてある。
私のケーナの音が低いのだ。
マスターが「買ったばかりのケーナだからだろう」という。
それで以前のケーナで吹いたら、音程はほぼ合っていた。
しかし、歌口の大きさが違うので、私が前のケーナをうまく吹けない。
もうボロボロだった。
それにしても、新しいケーナと古いケーナでは音程が違うということを知らなかった。
これは、吹き方(歌口と唇の角度)の違いだのようだ。

「El Eco」は、二重奏をしようとマスターがいう。(これは私の望む形です)
ところが私のケーナの音が低いので合わない。
私がなるべく音を高めに吹くと少し合う。
(トロンボーンなどの管楽器は、チューニング菅を調節すると音の高低が出来る)
マスターにケーナの吹き方をあらためて教わった。
マスターの音は深みがあってきれいだ。
私は、40年間、何やっていたんだろう、と自己嫌悪。

マスターと奥さんが「泊まっていけ」というのを振り切って家に帰った。
明日の午前中、ケーナの練習をしょう。
今日も、家のトイレで1時間ほど練習した。
私の家は、トイレと風呂がつながっている。(ユニットバスではない)
そこで吹けば、外には音があまり漏れないのではないかと思ってはいるが、どうなのでしょう?
私には、楽器を練習する環境がない。
あればもっと練習をしたいんですけどね。
今日、マスターに指摘されて初めて気づいたのだが、
「El Eco」も「リャマの道」も6/8のリズムの曲だった。
なんでこんなのを選んでしまったのだ!!

ここに私が手本とする「リャマの道」の動画を載せます。
こんなふうに吹けたらいいんですけど、100年無理ですね。

 
CAMINO DE LLAMAS - Indian Collque

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戸隠に熊出没

2013年06月05日 | 健康・病気



昨日、午後6時台のニュースを観ていたら、
戸隠奥社の植物園あたりに熊が出た、ということを報道していた。
そのへんは、先週私と女房が歩いてきたところです。
あのとき木道を歩いていたらこんなものがあった。
おそらく熊に付けた発信器の電波を受信するものかな、と思った。



あのへんはクマさんの生きる場所だ。
ヒトが行くのは勝手だが、クマさんの自由を奪うのはまずいと思う。
住宅街にクマさんが来たのではない。
ヒトがクマさんの住むところに踏み込んでいるのだ。
県の熊担当者がゴム弾、花火弾の銃でクマさんに対応していた。
そりゃ散弾銃なんて使うのはクマさんに申し訳ないと思う。

戸隠はいいところですが、でもクマさんの住む自然にヒトが行くことはまずいと思う。
私は何も知らないで戸隠に行ってしまったが、クマさんや自然を優先する必要があると思う。
戸隠を楽しんでしまった自分を少し反省しています。

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