こう寒くなるとウォーキングに出ることが億劫になる。
それでこのところ太ってしまった。
なんと75.5キロに体重が戻ってしまった。
悲しいことです。
9月、脇腹が痛くなってアルコールをやめたとき73キロまで落ちたのに…。
これからは、寒くてもできるだけウォーキングに行こうと思った。
水中ウォーキングもしていない。
湯川ふるさと公園の入り口
湯川 浅間大橋
新幹線の高架にできたツララが面白かった。
むこうは 軽井沢 この先は 小諸
湯川に架かる国道18号(中山道)の橋から見た浅間山
今日は10時45分から歯の治療だった。
12月22日は冬至だ。
それに合わせてトンボの湯ではゆず湯をやっていた。
どうしてもゆず湯に入りたかった。
歯科医院の予約の前にトンボの湯に行くのはむずかしい。
トンボの湯は10時から始まるので時間的に無理だ。
最低お湯には30分はつかっていたい。
歯の治療を終えて行くほうが無理はない。
しかしこれまでは、歯科医院に行く前に風呂に行っていた。
若い女性が私の間近で歯の治療の準備をしてくれる。
この歳になって、もし加齢臭のようなものが私の身体から出ていたら申し訳ないと思う。
そんな恐怖心が芽生えてきて、歯科医院に行くとき、シャワーか風呂に入って行くことにしていた。
でもそれを今日は断念した。
10時40分に歯科医院に着いた。
治療は50分から始まった。
今日は正月休みで間が開くので、今日だけで完結する治療をするといわれていた。
歯茎が後退してしみる歯の治療をしてくれた。
女性が最初から最後までやってくれた。
あ…、風呂に入ってくればよかった、とほぞをかんだ。
ひょっとすると20代?の女性が丁寧に治療してくれた。
治療を終えて歯科医院を出たのが11時20分、私は迷わず車をトンボの湯に走らせた。
30分には身体を洗っていた。
そして黄色く光るゆずが浮いているお風呂に入った。
今日は下足が20足はあった。
普通の平日より飛び石連休の間のせいか、入浴客が多かった。
お湯に浮いているゆずを見ているだけで幸せだった。
俳句が、句が、浮かばない。
だめだ、おれ。
40代の男が、おじいちゃんの手を引いて湯船に入ってきた。
おじいちゃんは80歳は過ぎていたと思う。
腰は曲がっているが、顔の表情は品のいいしっかりした顔をしていた。
湯船におじいちゃんを坐らせて、息子はゆずを抱えてきてそれをおじいちゃんのまわりに浮かべた。
そしていなくなったなと思ったら、脱衣場からスマホを手に持って現れ、それでおじいちゃんの写真を撮っていた。
親孝行な息子だなと思って私は、目頭が熱くなってきた。
それから私は露天風呂に入り、もう一度内風呂入ってから風呂を出た。
急いでダッシュで家に帰ると、12時10分。
私は12時30分に家を出ないと、午後1時からの勤務に間に合わない。
なんとか午後の勤務に間に合った。
忙しい冬至でした。
私は、ケーナを40年近く吹いているのにへたです。
真剣に吹いてこなかったせいだと反省しています。
自己流ということがいけなかったと思う。
私のまわりでケーナを吹く人が誰もいなかった。
軽井沢に来て、パンカーラでのワイワイガヤガヤコンサートなどでケーナを聴くことが増えた。
最近、私は正しくケーナを吹いていないと気づいた。
きちんとケーナの吹き方を習いたいと思う。
いろんな楽器をやってるが、ケーナだけはちゃんと吹きたい。
去年の12月19日、銀行に行って住宅ローンの契約書などに記入して、20日付で埼玉の家が私の名義になった。
その2週間前ぐらいまでは家を買うか買うまいか、深く悩んだ。
今、1年前の九想話「家を買う」を読んだ。
月日のたつのは早いものですね、あれから1年です。
現在、女房としみじみ「家を買ってよかったね」と話す。
それまで私たちはずーっと借家でした。
結婚したときに東京都豊島区の東長崎駅の近くのアパートから始まって、補欠で当選して板橋区高島平団地(1DK)に引っ越した。
そこから息子たちが成長したので埼玉県富士見市の団地(2DK)、新所沢団地(2DKテラスハウス庭付き)へと引っ越した。
新所沢団地では建て替えがあり、テラスハウスから新築の3LDKに移り、そこも家賃が高くなると安い所へ2度引っ越した。
そして、私が軽井沢に単身赴任したので、女房が東京都の清瀬団地へと移り住んだ。
私と女房は、生まれてから自分の(親の)土地の上に建った家というものに住んだことがなかった。
私は農家の生まれなので親の家だろうと思っていたが、土地は借地だった。
女房は都営住宅が長かった。
私が61歳、女房が56歳でやっと自分の家というものに住むことができた。
でも正直なところ私たちがマイホームを持てるとは考えてなかった。
高校を出てから15回以上は転職している私にはまともな退職金はありません。
蓄えも少ないです。
息子たちを大学までやることが一番の目標でした。
なんとか息子たちが大学を卒業した年に、私がそのとき勤めていた会社が消滅した。
親会社が、リストラとして私の会社を閉鎖したのです。
それから私は5回転職している。
そんな私が中古住宅といえども所有できたことは奇跡に近いです。
私の息子たちは20代で家を買った。
親の私を反面教師にしたので家を購入したようです。
家のリフォームは1部屋を残しほぼ終わっています。
来年、女房はどうしても庭を芝生にしたいという。
芝生は手入れがめんどうだよ、と私の職場の人たちにいわれているので、女房にいってきた。
それでもあのひとは、「庭を芝生にするのは夢だから」という。
私は、人の夢は実現させることが大切なことと考える人間です。
なので私は来年、女房に協力して庭の芝生化に努力するつもりです。
今、私と女房にはささやかな願いがある。
埼玉の家に、2人の息子の家族に来てもらって正月に新年会をやりたいということです。
どうなるでしょうか?
STAP実験会見 一問一答(上)(神戸新聞) - goo ニュース
STAP実験会見 一問一答(中)(神戸新聞) - goo ニュース
STAP実験会見 一問一答(下)(神戸新聞) - goo ニュース
私は10時半からの理化学研究所の記者会見をニコニコ動画で観た。
記者会見を聞いて素人の私が疑問に思うのは、
再現できないようなことがなぜ世の中に発表されたのか、ということです。
小保方という女性のこれからの生き方に興味があります。
自費でSTAP細胞の研究をつづけて、いつか…。
小保方氏、STAP再現できず…「存在せず」濃厚 理研、週内にも発表(産経新聞) - goo ニュース
> STAP細胞の有無を確かめる検証実験で理化学研究所の
> 小保方(おぼかた)晴子研究員(31)が細胞を作れず、論文に
> 記載した実験内容を再現できなかったことが17日、分かった。
> STAP細胞の存在を主張していた小保方氏が自ら作製できな
> かったことで、細胞は存在しない可能性が一段と高まった。今週
> 中にも理研が検証実験の結果を発表する。
なんだそうだったのか。
私はかなり小保方さんのことを信じ応援していた。
そんな私がバカだった。
STAP細胞のニュースを知ったとき私は素晴らしいことを研究している人がいるんだな、と思った。
STAP細胞を作れないのならどうしてそんなことを発表したのだろう。
そのときはかっこいいけど、すぐバレることではないか。
小保方晴子という女性はうそつきだったのですね。
ツヨギン
立冬や強吟響く能舞台
ツ ワ
石蕗の花六十過ぎて思うこと
冬の道帰りて家に灯りなし
11月末の句会に投句した句です。
久しぶりに1位になりました。
といっても1位が3人でした。
兼題は、「立冬」「石蕗の花」<“灯”しばり>です。
「類想の句ですね」と、師匠の旗防さんからきびしい批評が飛んできそうです。
今夜の「歴史ヒストリア」(NHK総合22:00~)は、
「友と刀と五七五 ~忠臣蔵 熱き青春の物語~」というものだった。
赤穂藩士のひとり大高源五という人は、俳句が好きだった。
この人のことを番組にしていた。
大高源五の俳句にしびれました。
志村けんのコント番組「となりのシムラ」(NHK総合午後10時~)を観た。
演出は、朝ドラ「あまちゃん」の吉田照幸。
志村けん以外はみな役者で、真剣なコント番組だった。
たんたんとコントが続き、どうでもいいおしゃべりはなかった。
なかでも「死ねない男」(?)というコントがよかった。
保証人になってしまい2億円の借金の肩代わりをすることになった男がホテルで自殺しようとする。
遺書を書くが、「家族」を「家旅」と書いたりしてゴミ箱がいっぱいになる。
死んだあと、悪くいわれたくない男は体裁をととのえる。
その男の名前が「荻原正直」という。
その男を呼ぶホテルの従業員の女が「萩原(ハギワラ)」さんという。
その男は「おれは荻原(オギワラ)です」と注意する。
でも相手はそんなこと何も気にしていない。
そうだよな、世の中では「荻原」「萩原」なんてどうでもいい。
おそらくこのコントを観ている人でもそんなこと気にしてないと思う。
でも、私には面白かった。
NHKよ、またこの「となりのシムラ」をつくって欲しい。
今朝、ラジオでこの言葉を知った。
6時半からの「森本毅郎スタンバイ」(TBSラジオ)の番組の頭でいつも、
森本毅郎が世の中のことに対して何かいうのだが、
今朝は当然、衆議院選挙のことだった。
投票率が52%ちょっとと低かった。
多くの若い人が投票に行かなかったようだ。
こういうことが続いていくと、高齢者の意見が優遇されて若年層の声が政治に届かなくなる。
これを「シルバー民主主義」というらしい。
「選挙に行っても何も変わらないよ」
「投票したい人、政党がないんだよな」
「選挙になんか行く時間ないよ」
などと若者たちが棄権をしていたら、若い人が住みずらい世の中になってしまう。
これはヤバイぜ若者諸君!!
昨日の朝の雪です。
私は中軽井沢に暮らして5年目ですが、12月にこんなに雪が降ったのは初めてです。
天気予報でいっていたが、かなりの寒波が日本に来たのですね。
職場に9時45分までに行かなくてはならなかったのでたいへんでした。
私は、ゴム長靴で家を出た。
普通の靴では雪にもぐってしまう。
ネクタイ閉めてゴム長です。カッコワルイ
まず車の雪を降ろした。
フロントガラスは凍っていたので、解氷スプレーをかけて氷をそぐヘラで削った。
なかなか氷が取れないので、視界が見えるだけでも必死に削った。
国道18号(中山道)に出るまでが心配だった。
道路に雪が積もっているので途中で停まったらどうしようと不安だった。
私の車は前輪駆動です。
過去にも雪道で動けなくなったことが何度かあります。
こういうとき四輪駆動だったらよかったのにとしみじみ思う。
国道には雪はなかった。
融雪剤(塩化カルシウム)がかなり撒かれていたのでしょう。
いつも通っている裏道には行かなかった。
軽井沢から御代田、佐久に抜ける裏道は坂道の高低差が激しい。
裏道だから融雪剤も撒いてないと予想した。
前日、夜の11時過ぎに仕事からの帰りに通ってきたけど怖かった。
それから一晩降っていたから雪はかなり積もっていたはずだ。
なんとか職場には9時半頃に着いた。
佐久市のあたりは軽井沢より雪が降っていなかった。
この冬のシーズンの雪はどうなんだろう?
今年の2月の雪にはまいった。
雪のために駐車場から出られずに3日間職場に泊まることになった。
もうあんなことはゴメンです。