欽ちゃん大学へ

2015年04月08日 | 健康・病気

欽ちゃんが駒沢大学に入った。
NHK NEWS WEB (午後11:30~)で知った。
あの年齢で大学受験勉強をしたということはすばらしい。
私は、高校を出て就職し、次の年に大学に入るために、
昼間仕事をして夜の予備校に行ったが挫折してしまった。
そういうことがあるので大学には憧れがあります。
21歳から26歳まで大学生協で仕事をしていたので大学というところには行っていた。
仕事しないで大学に行ける学生がうらやましかった。
仕事して夜の大学に行っていたひともいたでしょう。
私は、受験勉強が好きではなかった。
欽ちゃんはエライ!!

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雪です

2015年04月08日 | 健康・病気

 

今日、軽井沢は雪が積もっていた。
私の車はこんなことになっていた。
毎年4月に雪が降っているから驚きもしない。
しかし、寒いですね。
夜8時55分のNHKの天気予報では、軽井沢はマイナス3℃となっていた。

今日、私は仕事が休みなのでのんびりしていた。
食事をして尺八を吹き、ギターを弾いていた。
なんか今日はあったよな、とふと不安な気持ちになった。
そのときは午前10時前だった。
あ、そうだ今日は歯科医院に行く日だった、と思い出した。
予約カードを確認したら10時半からだったのでホッとした。
なんとか時間に遅れないで歯科医院に着いた。
だめですね。
昨日はあれほど注意していたのに、朝目が覚めて雪を眺めたら忘れてしまった。
60過ぎるとこんなことばかりです。

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1998年の頃

2015年04月07日 | 健康・病気

2001年までの九想話は、パソコン通信に書いていたので、
朝日ネット以外の人には見られなかった。
それをなんとかみんなに見て欲しくて九想庵というホームページを作ろうと考えた。
考えていたのだが、インターネットやホームページというものがよく分からなかった。
1998年4月に私は、会社を辞め山梨から所沢に帰ってきました。
その年に会社が、本社を東京から山梨に移転したからです。
1年の約束で山梨工場に単身赴任したはずなのに、本社が東京から山梨に移ってしまったのでは、
私の帰るところがなくなったので会社を辞めたのです。
山梨に行くまで私は、本社のあった小平工場に勤務していました。
いや、それから発展する会社だったら家族を山梨に引越させても会社に残ったと思うが、
そのときの会社は墜落寸前の旅客機でした。
産業の米といわれた半導体の生産は、その頃韓国や台湾が主流になってしまった。
私の会社は、半導体メーカーがある工程で必ず使う装置を造っていたのです。
2年ほど前には、国内の日立・富士通・NEC・東芝・ソニー・シャープなど半導体メーカーに、
海外ではインテル・モトローラーなどに、装置がバンバン売れていたのです。
私が会社に辞表を出すと社長が、
「もし転職した会社が良くなかったら帰って来い」と温かい言葉をかけてくれた。
しかし、その社長も3ヶ月ほどで解任になった。
5月から転職した新しい会社に行きかなり辛い思いをした。
そんなときに楽家に行くようになったんですね。
あの年はハッキリいって地獄でした。
45歳で転職して新しい仕事を覚えるということは並大抵のことではなかったです。
私と一緒に採用された30代の男は、仕事のことでノイローゼになり退職した。
私も何度やめようかと思ったことか、しかし、息子たちが高校3年生だった。
息子たちの進路を考えたら会社を辞めることはできなかった。
自分を殺しても息子たちの人生を生かしたかった。

楽家で肥さんとは、あまり話さなかったですね。
良くも悪くもあの頃(楽家)のことはいつか小説にしたいと考えています。

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朝日俳壇に今週は友が入選

2015年04月06日 | 健康・病気

私が今日の午前中、ウォーキングをしていたときにケータイが鳴った。
女房?会社から?と思った。
ケータイを見てみると俳句の師匠からだった。
「今年三句目の入選」という表題だった。
これはかなり私を意識したものだと笑ってしまった。
朝日俳壇は、1・2回まで入選はまぐれだ。(九想はまだ、1回です)
「私は3回目です」という通奏低音が静かに聴こえてきそうです。
  ヨワイ
  齢なるものに憑かれて鳥雲に

「この持ってまわったリズムに人生がにじむ。」
金子兜太の評がすばらしい。
でもやっぱり、この句を作った“師匠”に乾杯です。

私も負けてはいられない。
“まぐれ”だといつまでも飲むたびに友人からいわれたくない。
今日、朝日俳壇にハガキを出しました。
でも…、だめだろうな。
最近、俳句を作るエネルギーが減少ぎみです。

それはそうとして、私は今年こそ小説を書こうと考えています。
(と、こんなことを毎年書いていますが…)
文芸雑誌の新人賞に応募します。
もう、私は人生のどん詰まりです。
ここで書かなかったら私の人生は終わりだ。

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チューリップが咲いた

2015年04月06日 | 健康・病気

 

女房からのメールに添付されていた写真です。
私が軽井沢に来てから毎日送ってくれています。
その中から2枚九想話に載せます。
左の写真は今朝の写真です。
この目で見たいのですが、見られません。
同じチューリップでも、自分の庭に咲いているのは可愛いですね。

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今夜の「ヨルタモリ」

2015年04月05日 | 健康・病気

今夜の「ヨルタモリ」(フジテレビ 23:15~23:45)で、
初めてホワイトレインボーに来た近藤さんという建築家(タモリ)がいう。
「男の半分は、女でできている」
おれもそう思う。
「女は、全部女だ」
まったく同感です。

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九想庵の誕生日

2015年04月04日 | 健康・病気

4月4日は、九想庵の生まれた日です。
といっても、現在、九想庵はあってないようなものですが…。
2001年に立ち上げたときには、小説・俳句のページと九想話、
そして囲炉裏端という掲示板があった。
ブログにはコメントという 機能があるので掲示板はもう必要ないが、
小説と俳句のページは復活させたいと思っています。
今夜、ささやかにひとり、祝杯をあげています。

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声帯摘出

2015年04月04日 | 健康・病気

「後悔しても意味がない」 声帯摘出のつんく♂さん(朝日新聞) - goo ニュース

つんく♂(46)が4日、母校・近畿大の入学式に参加し、
がんの治療のため声帯を摘出し、声を失ったことを明らかにした。
声帯摘出、つらかったと思う。
自分のこととして想像すると、いったいどうなっていたか…、
おそらくみっともない姿をさらしていたと思う。
彼はりっぱです。
私は、つんく♂のこれからの生きていく姿を脇から見ていきたいと思います。

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しだれ桜

2015年04月03日 | 健康・病気

私が26歳のときだったと思う。
母と兄と3人で京都に行ったことがありました。
母と兄が川崎の姉のところに来ていて、私は仕事を終えてから遊びに行った。
翌日、2人が京都に行くというので「おれも行っていい?」と訊いた。
確か次の日は土曜日だったと思う。
私は、母と兄と一緒に新幹線に乗って京都へ行った。
3人で京都をあちこち見学して、翌日私だけ東京に帰ってきた。
そのあと母と兄は奈良に行った。
そのときに見た夜の八坂神社のしだれ桜が美しかった。
今でも忘れられないです。

この九想話は、「のはらだより」の「桜の夜」を読んで書きました。
京都の桜はいいですね。

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湯川ふるさと公園の水仙

2015年04月03日 | 健康・病気

 

今日、軽井沢に帰ってきて最初のウォーキングをした。
10時から歯科治療を受けて、少し休憩して行った。
湯川ふるさと公園の遊歩道の横に水仙が生えている。
その水仙につぼみがけっこうついていた。
来週あたりには咲くのではないかと思う。
まわりのいろんな緑の芽が伸びてきています。
そのうちたくさん花が咲くでしょう。
楽しみです。

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