9月に植えたブロッコリーとキャベツです。
防虫ネットをかけたのに、なぜかブロッコリーの葉が虫に喰われている。
これは悲しいですよね。
キャベツは中心が丸まろうとしている。
これは感動的です。
自分ちの庭でキャベツがキャベツらしくなろうとしている。
いとおしいです。
茨城の実家から持ってきて植えたミュウガが全滅しそうです。
しかし、そのミョウガの根から生えた子どものミョウガの元気がいい。
真ん中の写真は、万年青です。
女房と結婚したときに、彼女の両親が万年青を贈ってくれた。
その鉢に植えられた万年青は、現在の家でもリビングに健在です。
それから生まれた“子ども”の万年青を、女房が花壇の外に植えたら元気に育っている。
そのまわりに私が石を置いて万年青二世の家にしました。
右の写真は、ゴールドクレストが、
挿し木で増やせるということをネットで知って、挿し木を試みてみました。
これは2回目です。
前回は枯れてしまいました。
しかし、これは枯れないでいる。
実は、もうひとつ挿し木をしたプランターがあったのだが、枯れてしまった。
これは育ってくれるかな?
育ってくれたら嬉しいです。
これは、植えかえた柿の木です。
この葉っぱは柿だと思うのですが…。
この夏に庭の真ん中に芽を出した。
30センチほど育ったときに庭の隅に植え直した。
(庭の真ん中に柿の木は、ちょっと…)
そのときに10枚ほどあった葉がバタバタと落ちて、1枚だけ残った。
その葉が今も残っているのです。
根をはっているのでしょうか?
成長してくれたら感動です。
植物の生命力を信じたいです。
11月8日に女房が玄関で見つけたカマキリです。
あのひとは、声が出なくなるほど驚いていた。
私もこれだけ大きいカマキリは初めてです。
17・8センチはありました。
わが家には、この他にトカゲ、バッタ、ナメクジも遊びに来ます。
かなり大きな蝶も飛んで来ます。
小鳥も何種類か遊びに来る。
私はすべての訪問者を歓迎しています。
昨日は一日中雨が降っていたので庭の作業が何もできなかった。
今日は、快晴ではないがたまに太陽も顔を出してそこそこの天気だった。
女房の一番したいことは、ヘブンリーブルーの片づけだった。
ただ、来年撒くための種は採らなければならない。
それでこのようにした。
これで家からの視界は良くなった。
種を採ったら、片づけます。
昨日、ホームセンターでパンジー20苗を500円で売っていたので買った。
それを花壇に植えた。
花壇だけだと植えられなくて、庭にも植えた。
沢山花が咲いてくれたら嬉しいです。
秋になった庭に現在咲いている花は、マリーゴールドとバラです。
庭に花があることはいいですね。
今年もこの日が来ました。
私と女房が出会った日です。
埼玉と軽井沢に離れて暮らしている私たちが、この日に一緒にいることはあまりない。
37年たちました。
同棲から結婚式も挙げずにずるずる暮らしてきた。
息子たちは35歳になった。
次男の娘は小学3年生、長男の息子は12月になると3歳になる。
この街に、中古の家を手に入れ暮らしている。
それなりに家のリフォームをし、シロアリの検査もして問題のない家だとわかった。
この街が好きになり、手に入れた家での暮らしは快適です。
不満なことといえば、私が仕事に恵まれず多くの転職をしてきたということです。
そのせいで、世間の人が定年退職したときにもらえる退職金が私にはなかった。
経済的には辛い人生をおくっています。
でも、身体が健康だったので今の暮らしがある。
身体が健康だということはありがたいことだとしみじみ思います。
私は、虫垂炎、胆石除去、鼠径ヘルニア、右脚静脈瘤の手術をしてきた。
37歳のときには、交通事故で入院した。
下半身不随になってもおかしくない事故だった。
女房が今日から2階で寝ようという。
そのほうが布団を干すのが楽だからです。
それで今日の朝、2階の押し入れを整理して、布団を置けるようにした。
夕方、2階に布団を敷いた。
夜の9時頃、女房がいきなり2階の布団を1階に降ろした。
「なんか、へん」という。
しばらくして、また布団を2階に持って行った。
いったいなんなのだろう?
今、私は1階のリビングのコタツで九想話を書いている。
女房は、2階の和室で寝ている。
なんか隣の和室に女房が寝ていないのが不思議です。
人の人生とは不思議なものです。
それなりの苦労はありましたが、今は幸せを感じています。
不満を口にしたらきりがありません。
わが身に降るすべてのことを受け入れようと思います。
それを不器用ですが、身をかわして生きていきます。
かわし切れずに、痛手を負うこともあるでしょう。
そのときはそのときです、しかたないです。
東京モーターショーに行く前に、私は豊洲駅の先にある駅まで行った。
そこには2008年の12月まで警備員として勤めていた超高層マンションがある。
豊洲駅からゆりかもめに乗り換えると東京モーターショーには行ける。
しかし、10月30日の一般客の入場は12時半からだったのです。
それで時間潰しもかねて、昔の職場に行った。
その駅には11時半頃に着いた。
この写真の左の54階建てのマンションです。
隣の45階建てのマンションも警備していた。
(54階の裏にあって見えません)
ある程度のことは、2008年の九想話に書いてあります。
8月28日の九想話「メタセコイア」に書いたメチャセコイアがそれほど成長していなかった。
このマンションであったいろんなエピソードの詳しいことは書いていない。
警備員として働いていて、面白いことがいろいろありました。
書きたいこと沢山ありましたが、職務上それは書きませんでした。
現在勤めている3人の警備員を見たが、昔一緒に仕事をした人ではなかった。
ここは24時間勤務です。
あの当時働いていた人は今は、みな60歳は過ぎている。
60歳を過ぎたら24時間勤務はキツイと思う。
もし現在も警備員をしていたら、もっと楽な勤務地に行っているでしょう。
転職を15回以上している私は、東京を歩くとあっちこっちに昔の職場がある。
これはいいことなのでしょうか?
いや、けっして良くはないですね。
できるなら転職はしないほうがいいですよ。
私はゼッタイそう思います。
朝、私は6時前に目が覚めた。
3時に一度目が覚めている。
ラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」を聴いているうちにまた眠ってしまった。
昨夜の「にっぽんの歌こころの歌」は、作家で綴る流行歌:荒木とよひさ(作詞)作品集だった。
私は、荒木とよひさの詞が好きです。
ガキの頃のように 堀内 孝雄
四季の歌 芹 洋子
哀しみ本線日本海
もしも明日が わらべ
つぐない テレサ・テン
そして・・・めぐり逢い 五木 ひろし
追憶~NEVER FALL IN LOVE~ 欧陽菲菲
心凍らせて 高山 厳
Love Songが聴こえない 前川 清&藤山 直美
秋日傘(深夜便のうた)中西 保志
6時に起きて風呂にお湯を入れ入った。
それから洗濯してそれを干して家を出たのが7時20分だった。
病院で健康診断の受付をしたのが8時前、終了したのが11時半頃だった。
看護師さんたちの一所懸命さはビンビン感じたのですが、
最後の問診の医師のやる気のなさにはまいった。
もうちょっと仕事に熱意を持って欲しい。
12時前に軽井沢の家に戻り、
食事をして埼玉の家に持って行く荷物などを用意して家を出たのが午後2時前。
その日、新所沢でいつもの人たちと飲むので、高速道路で行くことにした。
埼玉の家に着いたのが午後4時前だった。
碓氷軽井沢ICから東松山ICまで通常料金は2600円だが、今日は2110円だった。
どうしてだろう?
家で少し仮眠をして4時45分に家を出た。
新所沢駅に着いたのが6時10分だった。
パルコの本屋で時間を潰して駅に戻った。
駅には、肥さんと翔空さんがいました。
それから居酒屋「三丁目の夕日」へ行く。
以前いた若いのが最近ウツになり、店に来ていないという。
それからは、オーナーが店を運営しているそうだ。
楽しいお酒を飲みました。
最後に食べた関さばが美味かった。
店を出たのが9時半過ぎ。
女房に電話をすると駅からのバスの最終が10時55分だという。
新所沢から本川越駅まで行く。
新所沢駅のホームに降りたときに電車が行ってしまった。
15分ほど待って次の電車が来た。
西武線の本川越駅から東武東上線の川越市駅まで15分ほど歩く。
川越市駅からの電車は10時43分だった。
これでは最終バスには間に合わないことがはっきりした。
私は、坂戸駅で降りて家まで歩くことにした。
坂戸駅から家まで歩いたことがないので道順が不安だった。
関越道を越えて行きました。
でもなんとか1時間25分歩いて家に着いた。
朝、軽井沢で目が覚めて、佐久の病院に行き、埼玉の家に帰り、新所沢で飲んで、坂戸から歩いた。
長い一日でした。
明日、健康診断に行きます。
なぜか胃カメラを飲まないのに今日の9時以降の飲食が禁止です。
なんかその理由がわからない。
お腹空きました。
辛いのでもう寝ます。
おやすみなさい。
久しぶりにトンボの湯に行きました。
私の記録を調べたら前回は3月4日でした。
そんなに行ってないのでしょうか?
やっぱりトンボの湯はいいですね。
六川水声という人の句碑を初めて見ました。
いつも私がトンボの湯に来て歩くところから少し外れたところにありました。
よるは夜の 虫鳴き 山の夏は去る
金持ちのところに生まれたが、家業より俳句や絵画に興味があったひとのようです。
昭和27年(私の生まれた年)9月に亡くなった。
私が死んだら、湯川ふるさと公園に句碑を作ってもらえるような男になりたい。
春愁や白い一日白いまま 九想
朝日俳壇に載った句です。
ささやかな私の願いです。
いまのままではだめですね。
これからの人生がんばります。
東京モーターショーといったら、車もいいですが、やはりコンパニオンですかね。
いや、私が東京モーターショーに行ったのは、もちろん、
自動運転技術や自動ブレーキ機能の最新のことが知りたかったからです。
それに姿のいい車も見たかった。
軽自動車に乗っている私ですが、
もし経済的に許されるのなら、こんなのに乗りたいと思う車を探しに行きたかった。
でも、それぞれのメーカーのブースに行くと、可愛い、美人のコンパニオンがこれでもかといた。
あのコンパニオンの数が少なかったら、1600円という入場料ももっと安くなるかな?
それはそれとして、私も初老ですが男です。
自分の子どものような娘さんたちですが、女として見てしまう。
このへんてこりんな気持ちの坐りがわるい。
しかし、彼女たちを“女”として見られなくなったとしたら、
私の“男”としての生命力は少ないことになる。
こんなことをぐだぐだ書くこともないですね。
そんなことはどうでもいいですが、文句なく素敵なお嬢さんたちが沢山いました。
モーターショーに来ているのに、車は撮らずに彼女たちの写真ばかりを撮っている男がいる。
望遠の一眼レフカメラで2・3メートル前から撮っている。
望遠レンズにする必要はあるのでしょうか?
コンパクトデジカメを持って行った私は、真っ正面からコンパニオンを撮れなかった。
1万円もしないカメラで、コンパニオンのお姉さんに「撮らせて下さい」なんていえません。
ところで私はふと、この可愛い、または綺麗な女性たちはいつもはどうしているんだろう?と考えた。
1年中、こういうイベントはやっていない。
高いギャラをもらっているのだろうが、コンパニオンをやる日数が少なかったら収入は多くない。
夕方、駅で出会った女房にそのことを訊くと、
「学生に決まっているじゃない。バイトでああいうことをして、金を稼いでいるんじゃないの」
美人に生まれてコンパニオンをやる女性たちに恨みがあるようにいった。
私は納得した。
つくづく私は世間を知らないなと反省する。
あの女性たちのこれからの人生は…。
【東京モーターショー2015】美人コンパニオンまとめ 第4弾
美人コンパニオンを動画でチェック! 東京モーターショー2015
東京モーターショーの各メーカーのブースに、自動運転技術システムの搭載された車があった。
自動車メーカーではないパイオニアは、自動運転技術で生き抜くことを会社の方針にしていた。
私にとってパイオニアという会社は、オーディオメーカーだった。
大学生協の電気担当のときには、パイオニアのオーディオ製品を沢山売りました。
ところで私は、自動運転技術システムということをあらためて考えてみる。
あと10年たてば私は73歳、免許証返上なんてことになるかも知れない。
私の埼玉の家は、バスで私鉄の駅には行けるが、車がないとかなり行動範囲は狭くなる。
車の運転ができないと、近くのショッピングモールに行けなくなるのでかなり辛い。
そういうときに自動運転技術の搭載された車があれば助かる。
日産は2020年までに自動運転技術の実用化を目指していると発表した。
しかしどうなんでしょうね?
私は、他人(ひと)よりはデジタル技術などの発展に乗っかってきたし、期待もしている。
でもそれが車の運転技術となると、眉唾です。
パソコンを、自宅の机の上だけで操作している分にはたいして問題はないと思うが、
公道を走る自動車となると、この脳天気な九想もちょっと心配します。
東京などの都会の街では、道路のまわりに建物があってセンサーにとってはいいだろう。
でも、田舎の田圃道ではどうなんでしょう?
車の高さには何もないというところがあります。
タイヤの下の方に稲や野菜が存在しているという環境です。
こういう道路ではGPSの機能が働くのかな?
障害物など関係なく地図情報で車は移動できるのか?
ま、車が動いているときにはすべてのセンサー機能が作動しているのだろう。
でも、車についているすべてのセンサーが車のまわりの環境を理解できるのか?
理解して、それに対する機能が働くのか? 私は危惧する。
東京モーターショーの屋上展示場で、自動運転・高度運転支援システムデモンストレーションを見た。
障害物の1メートルほど前で、ピタっと止まった車には感動した。
でもこれは、あくまでもデモンストレーションです。
実生活ではどうなのかな?と疑ってしまう。
しかし、気がつくと、まわりの車が全部こんな車になっちゃったりして。
おそらく人間の感覚というものは、車についたセンサーよりは劣るのでしょう。
しかしきめ細やかさという点では人間の感覚は負けないのではないか、と思いたい。
ま、車は発展していくでしょう。
私としては、それに乗り遅れないようなにしなくてはならないと思っています。
車のこれからの発展に私は注視していきます。